第9話 三人の助手と小さな予兆
彼女たちの才能がはっきりと証明されたのは、働き始めてひと月が経った頃だった。
ある日の午後。空はすっきりと晴れ渡っていたのだけれど、わたしは書斎で羊皮紙の束をにらみつけていた。
(……おかしい。気圧計代わりの水面は安定しているのに、動物の毛の張り具合からすると、どうも湿度の上がり方が不自然だね)
そこへ、三人が慌てた様子で書斎に駆け込んできた。
「ヴィナ様! 大変です、西の風が……なんだか、すごく『重たく』感じます! 息が詰まるみたいな、どんよりした感じです!」
リナが息を切らして報告する。
「……はい。観測器に大きな変化はないですけど、空のにおいが、急な雨の前のにおいです。それも、ただの雨じゃなくて、雹が降る時の冷たくて痛いにおいがします……」
エミリーも、普段の引っ込み思案な様子を感じさせない真剣な眼差しでこちらを見た。
「ふたりとも落ち着いて! ……ヴィナ様、西の山沿いの鳥たちが、一斉に低い場所へ移動を始めました。これ、ヴィナ様が教えてくれた『危険な嵐の予兆』です!私の肌も、なんだかピリピリします!」
サアラが的確な情報を付け加える。
精霊に愛される彼女たちの感覚は、わたしの手作りの計器よりも早く、大気の急激な変化――局地的な嵐の兆候を察知したのだ。
「……みんなの言う通りだね。計器が反応していないのは、雨雲の範囲が局地的すぎるからよ。すぐに領民に避難と、麦の保護を指示しなきゃ!」
すぐさま早馬を走らせ、村の鐘を鳴らさせた。三人も泥だらけになりながら、農家の人たちと一緒に麦わらのシートを被せて回ってくれた。
――迅速な行動により、直後に襲いかかった雹の被害は、奇跡的に最小限に抑えられたのだ。
嵐が過ぎ去った後、三人の頭を順番にポンポンと撫でた。
「みんなのおかげだね。三人が異変を教えてくれなかったら、西の畑は全滅して、今年の冬は飢える人が出ていたかもしれない。本当にありがとう」
その言葉を聞いた瞬間、三人は顔を見合わせ、ポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。
「う、うわあああん! よかったですぅ! ヴィナ様の、お役に立ててぇ!」
リナが子供のように声を上げて泣きじゃくる。
「……私、生きててよかったです。ヴィナ様の、助手に、なれて……」
エミリーも、涙を流しながらふにゃっと微笑んだ。
「も、もう! 二人とも泣かないでよ! ……っ、私も、その……ヴィナ様が信じてくれたから、言えただけで……」
サアラは必死に涙を堪えながら、袖でごしごしと目元を擦る。
わたしは、三人を優しく抱きしめた。
◇
この日を境に、三人の態度は劇的に変化した。
深い敬意と信頼はそのままに、彼女たちは驚くほど積極的に、明るく仕事へ取り組むようになったのだ。
静かだった領主館は、いっきに賑やかになった。
「ヴィナ様、おはようございます! 本日の東エリアの観測データ、回収してきました! ついでに、風の動きが少しヘンだったので、追加で高台のデータも取ってきました!」
朝一番、リナが元気いっぱいの笑顔で木簡を提出してくる。相変わらずおっちょこちょいで石につまずく音は聞こえるけれど、その機動力は目を見張るものがあった。
「助かるわ、リナ。……でも、急ぎすぎてまた転ばなかった? 膝に泥がついてるよ」
「あはは! 今日は三回しか転んでません! かすり傷です! ヴィナ様が靴底を直してくれたブーツ、すごく歩きやすくて最高ですから!」
「ふふっ。リナは元気ですね。ヴィナ様、こちらの過去の降水記録ですが、傾向を木の板に書き写しておきました。あ、それとヴィナ様へ温かいカモミールティー、淹れておきました」
いつの間にか隣に立っていたエミリーが、丁寧に整理された記録と、いい香りのするカップを差し出す。
以前の怯えていた姿はどこへやら、今や専属秘書のような落ち着きと有能さを発揮している。
「エミリー、あなた本当に天才ね。これ、わたしがやったら夜明けまでかかる作業だよ」
「とんでもないです。ヴィナ様のお力になれることが、私のただ一つの喜びですから……えへへ」
エミリーはふわりと微笑み、わたしの袖を少しだけ嬉しそうに引っ張る。
「ちょっとエミリー! 抜け駆けしてヴィナ様に甘えないの! ヴィナ様、南の森の観測用の木箱ですが、一部腐りかけていたので私の方で新しく木材を切って直しておきました」
サアラが腕組みをしながら、得意げに胸を張って報告する。
「あと、村長からの農作業の時期についての相談、私の方で話を聞いてまとめておきましたから、後で目を通しておいてくださいね!」
勝気な性格はそのままに、負担を減らそうと先回りして動くその姿は、非常に頼もしい。
「サアラまで……本当にありがとう。みんなが来てくれて、見違えるほど仕事が回るようになったよ。すっごく助かってる」
「と、当然です! 私たちはヴィナ様の一番優秀な助手なんですから! これからも、ビシバシこき使ってくださいね! ……あ、でも、たまにはお休みをいただいて、四人で遊びに行きたいなーなんて……」
サアラが上目遣いでチラリとこちらを見る。
「うんうん! 行きたいです! ヴィナ様と一緒にお弁当を持って、見晴らしのいい丘へ行きたいです!」
「……私も、行きたいです。ヴィナ様と、手をつないで、森で綺麗な木の実を拾ったり……」
「わかった、わかった。次のお休みの日は、みんなで少し遠出をしましょう」
三人の弾けるような笑顔と楽しげな歓声を聞きながら、心から安堵の息を吐いた。
不思議なことに、彼女たち自身は未だに精霊の存在を認識できてはいない。
しかし、大気の変化を察知する彼女たちのセンスは、普段の仕事を通じて磨かれ、研ぎ澄まされていった。
精霊に愛される者というのは、理屈を超えて世界の呼吸を感じ取れるのかもしれない。
彼女たちの周りで、まるで共に喜ぶように飛び交う色とりどりの光の粒を眺めながら、なんとなく感じていた。
この三人の女の子たちとの出会いは、これから訪れる大きな運命のうねり――その、ほんの小さな予兆に過ぎないのだということを。
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