第8話 三人の孤児と隠された才能
あの「遅霜の夜」から、さらに二年の歳月が流れていた。あいわらず、うちのホッホブルク領はギリギリの生活だ。
痩せた土地にしがみつくようにみんなが暮らしていて、一度でも大きな凶作が起これば、その年の冬を越すことすら難しくなっちゃう。
だから少しでも農業の助けになるように、前世の知識を引っ張り出して気温や湿度をはかる「百葉箱もどき」を手作りした。
それを領地のあちこちに置いて、お天気の記録をチマチマと集め続けている。
だけど成人を迎えて領地の仕事を本格的に手伝うようになったわたしの仕事量は、とうに一個人の限界を超えていた。
お屋敷の仕事に、百葉箱のデータ回収と計算。迷いの森で精霊たちとの修練もある。
おまけに前世の記念写真みたいに、記念の肖像画を描いてもらうみたい。そんな時間ないよ……。
これじゃあ身体がいくつあっても足りない!
「……あーもうダメ。そろそろ、本気で手伝ってくれる助手が必要だわ……」
自室の机にぐでーっと突っ伏しながら、深いため息をついた。
お父様に相談してみたものの、領内の大人はみんな畑仕事や出稼ぎで手一杯。お屋敷の使用人たちにこれ以上の負担をかけるわけにもいかない。
そこで目をつけたのが『孤児院』だった。
助手に求めているのは、クワを振るうような力仕事じゃない。観測箱の目盛りを正確に読んだり、数字を記録して計算したりする『細かくて根気のいる作業』だ。
それなら、大人のような体力がなくても、一から字の読み書きや計算を教え込めば立派な戦力になるはず。領主の娘として、孤児たちの就労支援にもなるから一石二鳥じゃない!
そう意気込んで領内の孤児院を見て回ったのだけれど……走りまわれるような健康な男の子や、手際の良い年長の子たちは、農家や兵士見習いなどで、すでにどこかに引き取られたあと。
すきま風が吹き込む古い孤児院の庭先。
前に並んだのは働き手として見向きもされず残されていた、十三、四歳ほどの三人の女の子だった。
「あ、あのっ……! わ、わたし、リナって言います……! どんくさいってよく言われますけど、体力だけはありますっ! 畑の石拾いでもなんでもしますから、どうか……!」
最初に声を絞り出したのは、赤茶色の短い髪を揺らす小柄な女の子、リナだった。
目が合うと、ビクッと肩を震わせて視線を泥だらけの地面に落としてしまう。手足には、何度も転んだであろう痛々しい擦り傷が絶えない。
「……エミリー。です。……その、足手まといには、ならないように、します……から……」
続いたのは、長い前髪で目元をすっぽり隠した、消え入りそうな声の女の子、エミリー。両手で擦り切れた麻布のワンピースの裾をぎゅっと握りしめて、まるで小動物みたいに震えている。
「サアラです。……私たち、どうせ冬になる前に追い出されるんでしょ? でも、少しでも働く場所と食事をもらえるなら、文句は言いません」
最後に名乗ったのは、金糸の混じった癖っ毛を結い上げた女の子、サアラ。強気な言葉とは裏腹に、その声はかすかに上ずっていて、警戒心と恐怖が入り混じった目をしていた。
無意識にリナとエミリーをかばうように、半歩前に出ている。
わたしは三人を見つめて、思わず息を呑んだ。
(なんだ、この子たち……)
彼女たちはひどくおびえている。だけど彼女たちの周囲には、まるで見えないひだまりのように淡い光――精霊たちが、なんとも楽しげにぽわぽわと浮遊していたのだ。
彼女たち自身は精霊の存在に気づいていないみたいだけど、その波長がひどく好まれているのは明らかだった。
自然と、口元に笑みが浮かんだ。
「……うん。君たちを助手として雇うわ」
そう告げた瞬間、三人は信じられないといったように目を丸くした。
◇
ホッホブルクのお屋敷に連れられてきた三人は、まるで借りてきた猫のようにおびえきっていた。
少しでも粗相をすれば、すぐさまあのすきま風の吹く孤児院へ送り返されると思いこんでいたらしい。
まずは彼女たちに読み書き計算を教えつつ、主な仕事となる領内各地にある観測データの回収と、羊皮紙や木簡への記録整理を伝えていく。
「ヴィ、ヴィナ様っ! す、すみません、昨日の暖かさの記録、煤のインクを羊皮紙の端に少しにじませてしまって……! どうか、どうか鞭打ちだけはご勘弁を!」
初日の夕方、リナは土下座の勢いで平伏した。
「……落ち着いて、リナ。そんなことで鞭なんか打たないし、そもそもお屋敷に人を叩くような鞭なんてないから! 文字が読めれば全然問題ないわ。ほら、涙を拭いて」
「えっ……怒ら、ないんですか? 孤児院の先生なら、ご飯抜きの上に納屋の掃除なのに……本当に……?」
リナは大きな瞳に涙を溜めたまま、信じられないという顔で見上げた。
「……ヴィナ様。この水瓶を使った大気の変化の記録、計算合ってますか……? 私、まちがえてないでしょうか……」
「完璧よ、エミリー。あなた、本当に数字に強いのね。これだけの量をミスなくまとめるなんて、大助かりだわ」
「ひゃわっ……! ほ、ほめられました……。私なんかが、ほめられ……えへへ」
エミリーは顔を真っ赤にして、持っていた記録用の木の板で顔を隠しちゃう。彼女の頭の上で、青や銀色の光点が嬉しそうにくるくると回っているのが見えた。
「ふん、私だってそのくらい計算できますし! ヴィナ様、次の巡回ルートはどうしますか? 私、体力には自信がありますから、遠くの森の観測箱に行けますよ!」
「ありがとう、サアラ。でもあそこは獣道で足場が悪いから、最初は一緒に行きましょう。怪我でもしたら大変だもの」
「べ、別に心配なんていりません! ただ、早く役に立たないと、口減らしのために用済みになっちゃうかもしれないから……」
サアラはツンとそっぽを向いたけれど、その耳の先は照れくさそうに真っ赤に染まっていた。
わたしは三人に、あえて精霊の存在は伏せたまま、天気予測の基本も少しずつ教え込んでいった。
「箱の扉を開けるときは、お日様の光が温度計に当たらないようにサッと開けてね」とか、「あの雲の形と動く方向を木炭でスケッチしてみて」といった、本当に基礎的な作業からだ。
最初は「私たちなんかにできるわけがない」とおどおどしていた三人だったけれど、一緒に笑い、失敗しても励ましながら教え続けるうち、徐々にその隠された才能を開花させていったのだった。
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