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第6話 不可視の流体力学と精霊の森

 あの「大祈雨祭」の夜から一年が経つ。


 十八歳になったわたし――レヴィナ・フォン・ホッホブルクは、領主である父、ガウェインの補佐として、日々領地経営の第一線で立ちまわっている。


 そう、この世界にはファンタジーのお約束である「魔法」は残念ながら存在しない。人々は物理法則という絶対的なルールの下、泥臭くクワを振るい、汗を流して生きている。


 だからあの大祈雨祭の夜の出来事も、領民たちにとっては「大いなる精霊の奇跡」や「神の恩寵」ってことで都合よく(?)片付けられているみたい。


 ……うん、それでいい。わたしの能力は、絶対にバレてはいけないのだ。


 精霊――それは、この世界における大気の構成要素。前世の言葉で言えば「空気分子」のようなもの。


 それとなくまわりに聞いてみたけれど、光の蝶として空間をただよう彼らを視認し、あまつさえ語りかけることができる人間なんて、わたし以外には存在しないみたいだった。


「レヴィナ様。今年の麦は順調です。これも、あなたの風読みのご指示のおかげですな」


 初夏の陽光の下、年老いた村長さんが深く頭を下げてきた。


 わたしは慌てておだやかな笑みを浮かべ、彼を制する。


「頭を上げてちょうだい、村長。ただ過去の記録を洗い出し、風の吹き方を見て助言しただけよ。みんなが汗を流してくれた努力の賜物だわ」


「ご謙遜を。レヴィナ様が『明日は強い風が吹く』と仰れば、必ずその通りになります。村の者たちも、まるで精霊の声が聞こえているようだ、とうわさしておりますぞ」


 ひえっ。

 村長さんの何気ない言葉に、内心で滝のような冷や汗をかきつつも必死に涼しい顔をキープした。


「まさか。雲の形や風のにおい……自然のふるまいを注意深く観察すれば、ある程度の予測はつくものなの。観天望気かんてんぼうきというやつね」


 そう、これがわたしの表向きの「立ち回り」だ。


「勘がするどく、過去の天候記録を熟知している優秀な領主の娘」――それがわたしのポジション。


 雨が降る前ぶれも、風が強まる兆しも、全部「精霊の動き」じゃなくて「観天望気」としてまわりに説明し、作物への被害を防いでいるわけなのだ。


 でも、出歩く真の目的は別にある。



 農地を抜け、愛馬を走らせること約二時間。なだらかな丘陵地帯を越えた先にその山林はあった。


 一年中どんよりとした霧に包まれ、奇妙な風が吹きぬける「迷いの森」。領民からは恐れられ、立ち入りが禁じられているあやしげな場所。


 ここは周囲を小高い丘に囲まれた盆地状の地形。

 夜間に冷やされた重い空気が斜面をすべり降りて溜まる、いわゆる「冷気湖れいきこ」が形成されやすいスポットだ。

 霧がつねに発生しているのも、気温が露点に達しやすいからに他ならない。


 だけど、馬を降りてうっそうとした広葉樹のアーチをくぐり抜けると――森の奥の開けた泉に足を踏み入れたとたん、その不気味な景色はガラリと一変する。


『ケイさんこんにちは〜』

『待機してました』

『あそぶー!』


 鈴を転がしたような、くすぐったい声が直接脳内に響いてくる。


 視界を埋めつくすのは、淡い青や赤、緑といったさまざまな色の小さな羽根のような形の光。純粋な意思を宿して明滅する光の蝶――そう、彼らこそが「精霊」だ。


 なぜか、彼らはわたしのことを名乗る前から『ケイ』と呼ぶ。気になったのでたずねてみたら、魂を見ればわかるとか。


『ええ、今日もよろしく頼むね。あなたたち、また少し数が増えたんじゃない?』


 手を差しのべると、わーっと光の蝶たちが嬉しそうに群がってきた。ふれるとほんの少しだけひんやりとした感覚があって、なんだか心地いい。


 一年前、あの大祈雨祭の祭壇でわたしを見つけた彼らは、この空気が溜まりやすい盆地状の森へと案内してくれたのだ。


 それ以来、仕事の合間を縫ってはこの森に通って彼らと「遊んで」いる。

 もちろん、ただの遊びじゃない。これこそが『気象操作』の修練なのだから。


 わたしはこの一年で、彼ら精霊を用いた一つの法則――『精霊式』を構築しつつあった。


 気圧、密度、気温。前世の物理において、この三つはつねに連動し、一つの数式で縛られていた。地球の気象学では、空気の密度は気圧や気温の変化に引きずられて『結果として変わる』だけの数値にすぎない。


 でも、この世界ではちがう。


 精霊たちに語りかけることで、本来なら直接触れられない『空気の密度そのものへ干渉する』ことができそうだったのだ。


『よし、じゃあ今日は「つむじ風」を作ってみようか。足元の落ち葉を中心に、半径一メートルだけ外側に退がってみてちょうだい。ただし、ほんの少しだけななめに回転しながらね』


 集中してイメージを伝えると、精霊たちは『ぐるぐるー!』と楽しげに明滅しながら、指示通りに中心から渦を巻くように離れていく。


――すると。


 わたしの目の前の空間だけ、精霊の密度、つまり『空気の密度』が急激に薄くなる。


 その結果、空間の充填作用がはたらく。中心の空気が減った分をおぎなうべく、周囲から空気がしゅうっ、と音を立てて強制的に吸いこまれ始めた。


 さらに、精霊たちが離れる際に与えた『わずかな回転』がここで生きてくる。


 フィギュアスケーターが腕を身体に引きよせると回転速度がはね上がるように、まわりから中心に向かって空気が収束しながら加速されるのだ。


 最初はゆっくりだった空気の渦が、中心に近づくにつれてすさまじい速度へとグングン加速していく。


 ザワッ! と足元の落ち葉が弾け飛んだ。


 目の前で、何もない空間から突如として高さ数メートルのするどいつむじ風――小規模な竜巻が生まれて、落ち葉を美しくらせん状に巻き上げ始める。


『うん、いいわ。中心気圧の低下と、周囲からの収束、そして渦の強化……プロセスは完璧ね。制御もしっかりできている』


 わたしは満足げにコクンとうなずいた。自分の背丈ほどのつむじ風なら、こうして数分で生み出せるようになっている。


 すごいことだけど、この能力は決して万能じゃない。


 彼らはあくまで「空気分子の具現化」。意思一つで「ドカーンと巨大な嵐を召喚!!」なんてことは不可能なのだ。


 このつむじ風を大きな竜巻や、あるいは村をうるおすような大規模な雨雲に成長させるためには……

広範囲の気圧を操作して、長い時間を掛けて大気力学のプロセスを順序立てて踏まなければならないわけで。


 ……とてもじゃないけど、集中力と精神力が保つとは思えなかった。


 『よし、お疲れさま!  もういいわ、ゆっくり元に戻ってね』


 そう念じると、精霊たちは『はーい』と光を瞬かせ、再び元の密度へと戻っていく。


 中心の気圧差が解消されると、つむじ風はふっと力を失い、巻き上げられていた落ち葉がはらはらと静かに地面へと舞い落ちた。


 (ふふっ、今日もいいデータが取れたわ。そろそろ館に戻らないと、またお兄様に小言を言われちゃうわね)


 精霊たちにひらひらと手を振って別れを告げて、森の出口へと向かった。


 充実した修練を終えて、気分は上々。

――だったんだけど。


 森を抜けて開けた場所に出た瞬間、わたしの足はピタリと止まった。




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