第21話 キルゾーン
◇ゼクセン帝国軍・本陣
ゼクセン帝国の本陣は、ホッホブルク領との境界にそびえる『大縁崖』を真っ向から見上げる平野に敷かれていた。
「我が軍は三万。対する辺境伯の兵は、たかだか五千にすぎぬ」
磨き上げられた銀の燭台、注がれた上質な赤ワイン。
帝国軍の象徴である巨大な彫刻のコマが置かれた地図机を見下ろし、ゼクセン帝国軍を率いるゴラン将軍はニヤリと笑った。
大崖という厄介な地形ではあるが、警戒すべきはその点だけだ。崖上へと通じる道は、軍が通れるほどの大峡谷が二つ、歩兵が登れる中規模の谷が四つある。
「全軍を六つの部隊に分けよ。準備が整った部隊から順次、すべての谷から崖上へと進軍させろ」
将軍の采配は、圧倒的な物量差を前提としたものだった。
敵は五千。もしすべての谷口をふさごうとすれば、一か所あたりの兵力は千にも満たない。
五千ずつの束となって六つの谷から同時に押しよせれば、薄く引きのばされた防衛線など、たやすく食い破れる。
地形の不利さえ数で埋めつくせば、この崖は苦もなく越えられるだろう。
将軍はそう確信し、冷酷に進軍の号令を下した。
◇ゼクセン帝国軍 先鋒隊
「くそっ、なんだってこんな急斜面を登らなきゃならねえんだ……!」
四つある中規模の谷の一つを割りあてられた、五千の部隊。先鋒として出陣した一兵卒のルッツは、荒い息を吐きながら悪態をついた。
見上げれば、切り立った岩肌が天を突くようにそびえている。
ゼクセン帝国の誇る重厚な甲冑は、平地においては絶対の防壁となるが、このような崖登りにおいてはただの鉄の枷でしかない。
谷幅は狭く、横に五人も並べばギュウギュウになるほどだ。仕方なく五千の兵は長大な縦列を組んで、ノロノロと斜面をはい上がるしかなかった。
(……それにしても、妙に息が切れるな)
額の汗を拭う。まだ戦闘すら始まっていないというのに、頭がひどく重い。肺がうまく空気を吸い込めていないような、奇妙な疲労感があった。
兵士の密集と、戦の前の緊張感からだろうと考え、ルッツは頭を振った。
やがて斜面がわずかにゆるやかになり、谷の出口――崖上の平原から差し込む陽光が見えてきた。
しかし、そこで足がピタリと止まる。
「なんだ、あれは……?」
「立ち止まるな! 前へ進め!」
後方から上官の怒声が飛ぶが、進めるわけがなかった。
谷の出口をふさぐように、大人数でかからなければ動かせないような巨大な岩石と先端を鋭くけずった丸太が積み上げられていたのだ。
「ええい、早くしろ! さっさとその岩をどかせ!」
「は、はいっ!」
彼ら先頭集団は武器を置き、泥にまみれながら巨大な岩に取りついた。
狭い谷口では大人数で一気に取りかかることもできず、数人で一つの岩を押しのけるという厳しい重労働を強いられる。
すでに限界まで疲弊していた身体に、容赦のない命令。爪から血をにじませながら岩を転がし……ようやく防壁に人が一人通れるほどの隙間があきそうな、その時だった。
――ピイィィィィッ!!
不気味なほどの静寂を破り、崖上の平原から鋭い笛の音が鳴り響いた。
ビクンと肩をふるわせ、岩の隙間から崖上を見上げた瞬間。
地鳴りのような轟音とともに、太陽の光を背にした「塊」が空から降ってきた。
「なっ……!?」
それは大縁崖の平坦な地形を最大限に活かし、横合いから猛烈なスピードで突撃してきたホッホブルクの重騎兵部隊だった。
谷の出口で立ち往生し、防壁をかたづけるために武器すら手放していたゼクセン帝国軍の先鋒部隊。
そこへ、完全に加速しきった騎馬の槍が容赦なく突きささる。
「ぎゃあああっ!」
目の前で岩に取りついていた味方が、鎧ごと紙クズのように吹き飛ばされた。
まさに鎧袖一触。崖上に顔を出していた先頭の数十人は、悲鳴を上げる間もなく、すり潰されるように肉塊へと変えられていく。
「て、敵襲! 騎兵だ! 下がれ、下がれぇっ!」
ルッツはパニックに陥り、転がるようにして後ろへ下がろうとした。
しかし彼の背中は後続の兵士の甲冑にぶつかり、それ以上後ろへ行くことができない。
「おい、急に止まるな! 前へ進め!」
「押すな! 戻れ! 前は敵だ!」
「何言ってやがる、俺たちの後ろにはまだ五千もいるんだぞ! 戻れるわけねえだろ!」
後ろからは、なにも知らない後続の味方が「前へ進め」と押し寄せてくる。
目の前には岩の防壁と敵兵。後ろは味方の分厚い壁。
縦に細長く伸びきったゼクセン帝国軍は、狭い谷筋の中で身動きが取れなくなり、完全に詰まっていた。
「射てぇっ!!」
崖上から、無慈悲な号令が下る。
身動きの取れない味方の頭上へ、ホッホブルクの弓兵から放たれた矢の雨が降りそそいだ。
密集した谷底では狙いをつける必要すらない。放たれた矢は、ゼクセン帝国兵を次々と貫いていく。
「ひっ……! 助け、たすっ」
となりにいた兵が喉ぶえを射抜かれ、血しぶきを上げて倒れ込む。
しかし、倒れ込もうとした体すら周囲の密集具合のせいで地面に崩れ落ちることもできず、彼は中腰のまま絶命していた。
「ぎゃあああ! 押すな! 押すなァッ!」
パニックになった兵士たちが暴れ回るが、それがさらに混乱をまねく。
崖上のホッホブルク軍は、まるで穴から這いでてくる虫を棒で叩きつぶすように、渋滞して動けないゼクセン帝国軍の先頭を一方的に刈りとっていく。
一人倒れ、五人倒れ、また十人。
逃げまどう味方が倒れた味方を踏みぬく地獄。
将棋倒し。
狭い谷の出口にはまたたく間に味方の死体が積み上がり、新たな防壁となって後続の行く手をふさいでいく。
血のにおいと悲鳴が谷底に充満した。
(あ、ああ……)
降りそそぐ矢の雨の中で、ようやく自分たちの置かれた状況を理解する。
ここは戦場ではない。逃げ場のない狭い筒の中で、ただ順番に殺されていくだけの屠殺場。
積み上がっていく味方の死体を前に、彼は己の命がつきるその瞬間まで、真の地獄にただ恐怖することしかできなかった。
面白い、続きが気になる!と思っていただけましたら、ぜひブックマーク登録や、下の「評価(★★★★★)」から応援していただけると大変嬉しいです!
皆様の応援が更新の励みになります!
どうぞよろしくお願いいたします。




