第20話 本隊到着
ドッドッドッ…………
東の空が白み始め、大縁崖に朝の光が差し込む頃。
後方から地鳴りのような馬蹄の音が響いてくる。
待ちに待った本隊が到着したのだ。
わたしは軽騎兵隊長たちを引き連れ、本陣の天幕へと向かった。天幕の中では、すでにエドマンド辺境伯とレオニー団長が地図を広げ、諸将と軍議を交わしているところだった。
「エドマンド辺境伯閣下、ならびにレオニー団長。軽騎兵隊、予定通りの布陣を完了いたしました」
歩み出て報告すると、天幕の視線が一同に集まる。続けて、昨夜の出来事を手短に伝えた。
「また昨夜半、手薄な枯れ沢より侵入を試みたゼクセン帝国軍の斥候隊六名を捕捉。第十五小隊がこれをただちに殲滅しております。こちらの被害はありません」
「うむ、大儀であった、ケイ殿」
エドマンド辺境伯は鷹揚に頷いた。普段の気さくな態度を微塵も感じさせない、威厳に満ちた将の顔だ。
「夜闇に乗じた敵の潜入を未然に防ぐとは、見事な初動である。それにしても……この短時間で、これほどまでに緻密で隙のない警戒網を敷いてみせるとはな。ケイ殿の采配、まことに見事としか言いようがない」
「もったいないお言葉です」
恭しく頭を下げると、辺境伯は力強くうなずいた。
到着した本隊は、ただちに大縁崖の中央にどっしりと位置取った。三万の敵軍を迎え撃つための、最後の強固な砦。いよいよ、戦の準備は完全に整ったのだ。
◇レオニー視点
「……それで、ケイ殿はどうだ?」
本隊の陣形構築が慌ただしく進む中、自らの天幕にセリアとカリンの二人を呼び出し、静かに問いかけた。
「はっ。ケイ殿の采配は見事、の一言に尽きます。地形を完璧に把握し、各小隊の特性を活かした的確な配置……無駄が一切ありません」
セリアが誇らしげに胸を張って報告する。それに続いて、いつものように真面目な面持ちのカリンが一歩前に出た。
「実務的な布陣の的確さもさることながら、兵たちの士気の高さにも目を見張るものがあります。これもひとえに、ケイ殿のお心遣いのおかげかと」
「心遣い、とは?」
「はい。一昨日の夜営時、ケイ殿が珍しい楽器を用いて、兵たちの前で自ら歌を披露してくださったのです。そのおかげで皆の緊張がほぐれ、万全の精神状態で持ち場に就くことができました」
真面目なカリンの報告に、眉がピクリと動いた。
歌、だと?
「ああっ、あの歌は本当に素晴らしかったんです……!」
カリンの話に乗っかるように、セリアが突然身を乗り出してきた。
「最初は穏やかで優しい曲調だったのに、後半になると突然、世界がパッと色づくように劇的に展開して! 美しいお声を張り上げて熱唱されるケイ殿のお姿といったら、もう情熱的で……思い出すだけで……」
両手を胸の前で組み、恍惚とした表情でほうっと熱い息を吐き出すセリア。
「…………そうか」
努めて低い声で相槌を打った。
表情筋を総動員して、あくまで冷静な、威厳ある騎士団長としての顔を保つ。
(……なんなのだ、それは。ケイ殿のそんな素晴らしい歌を、お前たちは最前で聴いたというのか。……羨ましい。非常に羨ましい)
胸の奥で、ドロドロとした嫉妬の炎が渦を巻く。
私だって聴きたかった。焚き火に照らされながら歌うケイ殿の姿を一番近くで見たかった。
いや、それだけではない。本当なら、私が一番槍を掲げて最前線でケイ殿の隣に並び立ち、共に戦いたかったのだ。
だが、精霊騎士団長としての責務がある。
本陣を離れるわけにはいかないし、こんな私情を部下の前で露わにするわけにもいかない。
「……兵の士気が高いのは良いことだ。引き続き、ケイ殿の補佐を頼むぞ」
内心の葛藤をどうにか押し殺し、鷹揚に頷いてみせた。
完璧だ。団長としての威厳は保たれているはずだ。
「「…………ふふっ」」
だが、セリアとカリンは顔を見合わせると、隠しきれないといった様子で小さく吹き出した。
「な、なんだ。何かおかしいか」
「いえいえ、なんでもありません。団長のお気持ち、しかと受け取りました」
「私たちにお任せくださいませ」
どうやら、内心を彼女たちにすっかり見透かされているらしい。
苦笑する二人の部下を前に、気まずさを誤魔化すようにコホンと小さく咳払いをした。
◇
まさにその直後。
「レオニー団長、失礼します」
天幕の外から、凛とした、それでいてどこか柔らかい声が響いた。ケイ殿だ。
「っ……! け、ケイ殿! あ、ああ、どうぞお入りください」
直前まで彼女のことで頭をいっぱいにし、あまつさえ部下に嫉妬を悟られていたばかりだったためか、声が裏返り、ひどくどもってしまった。
幕をめくって入ってきたケイ殿は、私の不自然な様子にきょとんと目を丸くしている。
セリアとカリンは顔を見合わせると、「では団長、我々はこれにて持ち場へ戻ります」と、綺麗に敬礼をして足早に天幕を出ていってしまった。
すれ違いざま、ケイ殿に「後ほど」と楽しげにウィンクを残していくあたり、本当に小賢しい部下たちである。
「どうかしました? わたし、お邪魔だったかな」
「い、いえ! そのようなことはありません。
……開戦前の最終確認でしょうか」
努めて平然を装いながら尋ねると、ケイ殿はふっと表情を引き締めてうなずいた。
「うん。念のため、いくつか擦り合わせておきたくて」
それからしばらくの間、二人で盤面の駒を動かしながらいくつかの想定パターンを確認し合った。戦術を語るケイ殿の横顔は理知的で、とても頼もしい。
やがて一通りの確認を終えると、ピンと張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。
「……そういえば」
少々迷ったが、思い切って口を開いた。
「一昨日、夜営の最中にケイ殿が兵たちの前で歌を披露されたと伺いました。先ほど、セリアたちがひどく興奮した様子で報告していきまして」
「あー……もう耳に入っちゃいましたか」
ケイ殿はバツが悪そうに頬を掻いた。
「皆の緊張が強かったから、少しでもリラックスして眠れればと思っただけで。ただの気晴らしだから。恥ずかしいから、あんまり話題にしないでほしいな」
「……私も、聴きたかった」
ぽつりと、思わず本音がこぼれ落ちてしまった。
ケイ殿は驚いたようだったが、すぐ困ったように小さく笑った。
「無事にこの戦いが終わって、皆で王都へ帰還できた暁には……その歌を聴かせていただけますか」
「ええー……まあ、機会があればね」
「はい。必ずや」
あまり乗り気ではなさそうな彼女の返答だったが、私にとっては大切な約束だ。
「じゃあ、持ち場に戻りますね」
「ええ。お願いします、ケイ殿」
敬礼を交わし、ケイ殿が身を翻して天幕の出口へと向かう。
その後ろ姿を見送りながら、もう一度気を引き締め直そうと息を吸い込んだ。
その時、幕を潜ろうとしていたケイ殿が、ふと「あ、そうだ」とつぶやいて足を止めた。
「どうされました?」
振り返ったケイ殿は、まっすぐに私の目を見つめてきた。その瞳には、静かで強い光が宿っている。
「大丈夫だとは思うけど……もし、危険に陥ったら」
ケイ殿はそこで言葉を区切り、一歩身を乗り出した。
「わたしの名前を呼んでくださいね」
「……え?」
聞き返すよりも早く、ケイ殿はふわりと花が綻ぶように笑い、そのまま天幕の外へと出ていってしまった。
残された私は、呆然とその場に立ち尽くしていた。
ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
私が全軍を補佐する団長で、彼女は一隊長だというのに。
まったく、あれで無自覚なのだから恐ろしい。
「……私が遅れをとるはずがないだろう」
誰もいなくなった天幕で、熱を帯びた自分の頬に手を当てながら、誰にともなく小さく独りごちた。
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