第19話 斥候
◇枯れ沢・ゼクセン帝国軍 斥候隊
俺の名はゲオルグ。ゼクセン帝国軍の先陣を切る斥候隊の小隊長だ。
三万という大軍の進軍に先立ち、俺は足の速い身軽な部下を五人だけ引き連れて、複雑に入り組んだ枯れ沢を登っていた。
「おい、足元に気をつけろよ。この谷筋の岩は崩れやすい」
「わかっていますよ、隊長。……しかし、こんな険しくて狭い地形、本当にあのホッホブルクの連中は防衛線を敷いているんでしょうか?」
後ろを歩く部下が、息を切らしながらぼやいた。
「油断するな。我が大軍が崖上に出るには、ここを抜けるのが一番の近道だ。必ず見張りくらいはいるはずだぞ」
「見張りがいたところで、俺たちの敵じゃありませんよ。さっさと首を掻き切って、本隊の到着を待つとしましょう」
部下たちは軽い調子で笑い合ったが、俺の胸の中には微かな違和感が渦巻いていた。
静かすぎるのだ。大軍を迎え撃とうという切迫感が、この谷からはまったく感じられない。
俺たちは息を殺し、這うようにしてようやく崖の縁へとたどり着いた。
「……ん? なんだ、上の方は何やら騒がしいな」
「規則的な音がしますね……馬の蹄?」
身を低くして体を隠しながら、そっと崖上を覗きこんだ俺は、我が目を疑った。
暗闇の中、月明かりに照らされた広大な平原には、点々と動く影があった。
騎馬だ。それも、ただの巡回ではない。
松明を持ったおびただしい数の小隊が四方八方に散らばり、たえ間なく動き続けている。一分の隙もなく、計算されているであろう網目状の警戒網が敷かれていたのだ。
おまけに、俺たちが今まさに登ってきた谷の出口付近には、太い丸太や岩が山のように積まれ、強固な防壁まで築かれているのが見える。
「ば、馬鹿な……。俺たちの進軍ルートも、到着のタイミングも、完全に読まれているだと……?」
「た、隊長! あれじゃあ、本隊がここを登り切る前に、上から一網打尽にされますよ!」
「ああ、わかっている! このままではまずい。一刻も早く本隊に戻り、この情報を知らせなければ……!」
青ざめた俺は踵を返し、今登ってきたばかりの枯れ沢へと滑り降りようとする。
ピィィィィィィッ……!!
その時、頭上で鋭い笛の音が鳴り響いた。
「なっ……見つかったか!?」
「隊長! 上から来ます!」
見上げると、崖の縁から月を背にして、一陣の風のように騎馬の群れが飛び出してきた。
「チィッ! 迎撃しろ!」
俺は剣を抜いたが、相手の動きは絶望的なまでに速く、そして正確だった。
「第十五小隊、突撃! 敵の斥候です、一人も逃さないで!」
凛とした、冷徹な女の声が響く。
先頭を駆ける騎士が手にした槍の一閃が、部下の一人を容赦なく吹き飛ばした。
「ぐあっ……!」
「うわぁっ!」
次々と倒れていく部下たち。隠密行動と身軽さだけを優先した俺たちの軽装備では、地の利を得た馬上からの強烈な一撃をしのぐことなど不可能だった。
「おのれぇぇっ!」
俺はヤケクソで剣を振り上げたが、次の瞬間、凄まじい衝撃が胸を貫いた。
「ガ、ハッ……」
口から血の泡を吹きながら、俺は冷たい岩肌に崩れ落ちた。
薄れゆく意識の中で最後に見たのは、俺を見下ろす、冷たい瞳をした女騎士の姿だった。
(本隊に……知らせ……なけ……れ……ば……)
その思いを最後に、俺の意識は永遠の闇へと沈んだ。
◇大縁崖・軽騎兵隊
「……敵斥候、全滅を確認しました」
血振るいをして槍を収めた第十五小隊長のカリンは、暗闇の先、少し小高い場所に陣取るケイのもとへ馬を走らせた。
「ケイ殿、報告します。枯れ沢を登ってきたゼクセンの斥候部隊六名を捕捉、ただちに殲滅しました。こちらの被害はありません」
カリンが見上げる先。大縁崖の突端、月光を真後ろから浴びて黒いシルエットのみを切り取られたケイが佇んでいる。
「ありがとう、カリンさん。見事な初動だったね」
的確な報告に、ケイは深くうなずいた。
「しかし、奴らの斥候がここまで来ているということは……」
「うん。本隊も、もう近くまで迫っているということだね」
ケイは再び、眼下の暗い谷底へと視線を落とす。
――最初の血は流れた。
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