第17話 帰りたい場所がある
いよいよ大縁崖へ向けて出立する日の朝。
わたしは自室で、城に来たとき持ってきたバッグに荷物を詰め込んでいた。
この中には、引きこもっていた時に暇を持て余して作った道具や、細かい日用品、傷薬などが色々と入っている。
何がどう役に立つか分からないし、手元にあるとなんだか安心するのだ。
服装は、いつもの青いドレス、下には持ってきたウサギ毛のパンツ。ドレスの上から金属のブレストプレート、肩当て、手甲、すね当て。
なんだかソシャゲのキャラみたい。バトルドレス! とか言って遊んでたけど、指揮官は目立つほうがいいだろうし、これでよしとしようかな。
◇
城の中庭に出ると、すでに先行部隊が集結していた。
機動力を活かして崖上を巡回する軽騎兵隊四百名。
各谷の出口に岩や倒木などの障害物を積んで「足止め用の関所」を作る工作隊三百名。
合わせて七百名の部隊だ。
エドマンドさんやレオニー団長が率いる本隊は、明日の朝に出発することになっている。
仰々しい出陣式はない。皆静かに、研ぎすまされた刃のような緊張感を漂わせている。
列の先頭に立つセリアさんとミーナさんが、馬上のわたしを見てコクリとうなずいた。
大きく息を吸い込み、澄んだ朝の空気の中に声を響かせる。
「出陣!」
その号令を皮切りに、七百の先行部隊が蹄の音を鳴らして城門を抜け、南東へと進路を取った。
◇
目的地の大縁崖までは馬の足で約二日の道のりだ。
初日は、城の南に広がるさまざまな畑のある田園地帯を抜けていく。
風に揺れるライ麦畑や、地下水を引いた穏やかな水路の風景がどこまでも広がっていた。
「ケイ殿、見てください。風が吹くと、まるで緑の波のようで綺麗ですよ」
並走するミーナさんが、少しだけ表情をゆるめて畑を指差した。
「本当ですね。豊かで、すごくいい場所」
「はい。ホッホブルクの民を養う、我らが誇るべき生命線です」
セリアさんが手綱を握り直し、前を見据えたまま力強く言った。
「だからこそ、我々がここで防がねばなりません。
大縁崖を越えられれば、この緑豊かな大地が真っ先にゼクセンの軍馬に踏みにじられてしまいますから」
「……うん。絶対に、この景色を守り抜きましょう」
わたしの言葉に、二人は力強くうなずいた。
しかし、半日も進むと風景は劇的に変わり始める。
豊かな緑が少しずつ薄れ、地面からはゴツゴツとした岩肌が顔を出し始めた。
馬が蹴り上げる土埃は白から乾いた赤茶色へと変わり、視界の先には、荒涼とした高平原が広がっている。
この何もない赤茶けた大地の果てに、敵が這い上がってくる大縁崖がある。
景色が荒涼となるにつれ、兵士たちの間での会話も減り、再びピリッとした焦燥感が混じり始めていた。
◇
やがて日が落ち、周囲が深い夜の闇に包まれたところで平原の真ん中に夜営を張った。
パチパチと爆ぜる焚き火を囲みながら、セリアさんたちと一緒に夕食をとる。
みんな無理に明るく振る舞おうとしているけれど、隠しきれない硬さがある。明日は戦地だから無理もない。
でも敵の部隊が崖下に到着し、本格的な防衛戦が始まるのは早くても明後日の目算。
今からこんなに肩に力が入っていると、いざ本番という時にもたないよね。
(今日はとにかく、しっかり寝てほしいんだけどな……)
少し考えて、食べ終えた食器を置くと傍らのバッグにごそごそと手を入れる。
「ケイ殿? 何か探し物でしょうか?」
「うん。昔、暇潰しに作ったんだよね」
バッグの底から取り出したのは、木材の切れ端などで作ったウクレレのような小型の弦楽器――前世でちょっとかじったギターを再現したくて作ったもの。
焚き火の明かりに照らされた珍しい楽器に、周囲の騎士たちが興味津々の視線を向けてくる。
「せっかくだし、何か弾こうかな。うーん……これかなぁ」
小さくつぶやいて、ぽろろん、と弦を弾き、チューニングを確かめる。
選んだのは、前世で流行っていたバンドのヒット曲。
誰かから誰かへと受け継がれていく想いや、記憶の温かさを歌った、優しくて、でもどこか切なくてノスタルジックな曲だ。
焚き火の音に優しく溶け込むように、柔らかいアルペジオを爪弾きながら静かに歌い始める。
過ぎ去った過去の思い出に優しく包まれること。それによって前に進めること。
遠のいていく日々の中で、それでも胸の奥底にずっと居続ける大切な人たちの記憶――。
夜の平原に響くおだやかな歌声に、最初は物珍しそうにしていた騎士たちも、次第に目を閉じてじっと聴き入ってくれた。
けど、この曲はただ静かなだけじゃない。
中盤へ差し掛かると、語りかけるようだったメロディは次第に熱を帯びていく。
アルペジオから、感情をぶつけるような力強いストロークへと弾き方を変えた。
それに呼応するように、周りを囲む騎士たちの何人かが、自然と曲のリズムに合わせて手拍子を打ち始めた。
チャッ、チャッ、という温かい音が、夜の平原に響く。
そして、クライマックス。
世界の色がパッと塗り替わるような、劇的な転調のコードをかき鳴らし、夜空に向かって思い切り声を張り上げた。
ただ穏やかだった前半からは想像もつかないほどの、感情が爆発するようなエモーショナルな盛り上がりに、手拍子も一層の熱を帯びていく。
「……っ!」
セリアさんが小さく息を呑む気配がした。
この世界の音楽には、こんな風に曲の途中でドラマチックに調が変わるという概念がないんだろうね。
突然視界が開けたような圧倒的な音の展開に、騎士たちは目を丸くして驚いていた。
やがて最後の一音が夜風に溶けて消え、再び元の静かな余韻へと着地する。
一瞬の静寂の後――焚き火の周りは、わぁっ、と温かく大きな拍手に包まれた。
「……素晴らしい演奏でした。最初はおだやかな子守唄のようだったのに、後半は胸の奥が熱くなるような……
不思議な気持ちになりました」
パチパチと拍手を送りながら、セリアさんがほうっと熱い息を吐き出して微笑んだ。
ミーナさんや他の兵士たちも、すっかり強張りが取れた柔らかな表情になっている。
誰からともなく、たった今聴いたばかりのメロディを、楽しそうにフンフンと口ずさむ声が聞こえ始めた。
(よかった。これで今日は、みんな落ち着いて休んでくれるといいな)
炎の揺らめき越しに、楽しげに鼻歌を歌う兵士たちの顔を見つめながら、そっとギターをバッグにしまった。
明日には大縁崖に到着し、苛烈な防衛戦の幕が上がる。
でも今夜だけは、この優しいメロディの余韻と一緒に、彼らが深い眠りについてくれることを祈りながら。
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