第10話 街歩き
翌朝。小鳥のさえずりではなく、規則正しく響く騎士たちの訓練の掛け声で目を覚ました。
「おはようございます、ケイ様」
控えめなノックと共に部屋に入ってきたのは、若いメイドだった。彼女の腕には、見慣れない青いドレスが丁寧に抱えられている。
「レオニー様からの申し付けでございます。昨日のお召し物は、街を歩くには少し目立ちすぎるとのことで……。こちらのドレスをご用意させていただきました」
「あはは……確かに、昨日の格好は浮きまくっていたものね。お気遣いありがとう」
レオニー団長なりの配慮なのだろう。わたしは素直に受け取り、メイドの手伝いを借りながら着替えた。
渡された青いドレスは、装飾のないシンプルなもの。けれど生地はしっかりとしていて動きやすく、安っぽさはみじんも感じさせない。
驚いたことに、わたしの身体のラインにぴったりとフィットしていた。
(目立たないように、でもみすぼらしくないように……。レオニー団長、意外と気配りができる人なのね)
木製の髪留めでいつものように髪をハーフアップにまとめて身支度を終えた頃、部屋の扉が再びノックされた。
「ケイ殿、お支度はよろしいですか」
銀色の軽鎧から、警備用の簡略化された騎士服に着替えたレオニー団長が入ってきた。
彼女はわたしのドレス姿を上から下までスッと確認し、「よくお似合いです。それなら無用な耳目を集めることもないでしょう」と短く告げる。
「では、こちらを本日の散策の足しにしてください」
そう言って、彼女は小さな革袋をわたしに差し出した。
受け取ると、チャリンと小気味よい金属音が鳴る。中を開けて手のひらに出してみると、キラキラと輝く数枚の金貨と銀貨だった。
「これは……貨幣?」
「はい。露店などを巡るなら、少しはお手持ちがあった方がよろしいかと思いまして。父上からの生活費、という名目です」
わたしは驚きで目を見開いた。
かつてのホッホブルクは、麦や芋を物々交換するのがやっとの、貧しく閉鎖的な領地だったのだ。それが今や、貨幣が流通しているほどの経済力と統治機構を確立している。
感動で胸が熱くなりながら、何気なく金貨の裏面を指でなぞる。
そこには、麦穂を抱いた女性の横顔が精巧に刻まれていた。
「……これって」
「ホッホブルクの主神、天候と豊穣の女神、レヴィナ様です。この地は帝国との最前線として、王家より貨幣を鋳造する特権を許されております。金貨には、必ず女神様の御顔が刻まれているんですよ」
(わたしじゃん……!)
ちょっと気恥ずかしいような、こそばゆい気持ちになりながら、今度は銀貨の裏面を見てみる。そこには、三人の少女が寄り添うように並んだ姿が刻まれていた。
「銀貨の方は、女神様にお仕えしてこの地に水をもたらした三人の従者様……聖リナ、聖エミリー、聖サアラです。我々の誇りですね」
『……そっか。三人とも、ちゃんとここにいるのね』
わたしは愛おしむように、銀貨のレリーフを指でなぞって微笑んだ。
貨幣経済が根付いていることへの驚き。そして、あの子たちの功績がこうして形として遺り、人々の生活の中で息づいていることへの感動で胸がいっぱいだった。
◇
城を出て、レオニー団長の案内で街へと繰り出した。
「さあ、いらっしゃい! 採れたての野菜だよ!」
「こっちの串焼きも美味いぞ! 持ってきな!」
城壁に囲まれた都市の中は、活気に満ちあふれていた。広場には所狭しと露店が立ち並び、香ばしいにおいと人々の威勢の良い声が交差している。
石造りの家々はひしめき合っているものの、どこも綺麗に手入れされており、すれ違う人々の顔には豊かな土地特有のゆとりと活気があった。
「わあ、可愛い……」
わたしは露店に並んだ木彫りの小物や、色とりどりの刺繍が施された布を眺めながら、純粋に街歩きを楽しんでいた。
一方で、わたしの斜め後ろを歩くレオニー団長は、眉間に深い皺を寄せ、周囲を鋭く睨みつけている。
彼女から発せられるピリピリとした剣幕に、すれ違う町民たちが思わず道を譲るほどだ。
「レオニー団長、そんなに怖い顔をしていると、せっかくのきれいな顔が台無しよ? もっと肩の力を抜いたら?」
「……そうはいきません。今はゼクセン帝国との戦時下。いつ敵の間者が紛れ込んでいるとも限らないのです。父上の客人であるあなたに、万が一のことがあってはなりませんから」
生真面目すぎる彼女の返答に、わたしは苦笑するしかなかった。
その時だった。
人混みの中で、路地裏からすれ違いざまに、不自然に身体を寄せてきた少年がいた。
彼の視線は、わたしの手元にある革袋――金貨と銀貨が入った財布に釘付けになっている。
(あ、スリだ)
少年の指先が、わたしの革袋に触れようとした瞬間。
わたしは歩みを止めることなく、極めて自然に、心の中で念じた。
『精霊式』
『加速』
直後。彼の踏み出した足の裏で、空気がポンッと弾けた。
「うわっ!?」
見えない小さな高気圧のバネに足をすくわれ、少年は不格好に宙に跳ね上がった。バランスを崩し、奪い取ろうとしていたわたしの革袋を空中に放り出してしまう。
わたしはクルリと振り返り、落ちてきた革袋を片手でパシッと受け取った。
「あぶないあぶない。落とし物には気をつけてね」
地面に尻餅をついた少年に向かって、わたしは両手を腰に当てながら、にっこりしつつも逆らってはいけない類の圧を込めて微笑んだ。
彼はあっけにとられた様子だったが、我を取り戻すと半べそをかきながら、逃げるように人混みの中へと消えていった。
「……今の子、手癖の悪いスリですね」
背後で一部始終を見ていたレオニー団長が、呆れたような、驚いたような声を出した。
「気づいていたのですか。それに、あの身のこなし……ただの深窓の令嬢というわけではなさそうですね。何らかの護身術を会得しておられる?」
風を操ったことには微塵も気づいていないようだけど、スリの少年をあしらったわたしの動きを見て、彼女の中の「怪しい貴族の令嬢」という評価がほんの少しだけ上方修正されたらしい。
「まあ、昔からちょっとおてんばなのよ、わたし」
財布をポンポンと手で弄びながら笑うと、レオニー団長は小さく息を吐いた。警戒心こそ解けていないが、朝よりも少しだけ声のトーンが柔らかくなっている。
「……油断は禁物です。しかし、ご自身の身を最低限守れるのであれば、少し安心しました」
彼女はそう言うと、広場の先へと視線を向けた。
「ここから少し歩いたところに、この街の象徴があります。……大聖堂を見に行きませんか?」
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