第9話 シュテルンフェルス城
重厚な正門をくぐり、城の敷地内へと足を踏み入れる。エドマンドさんとレオニー団長が手綱を預けると、待機していた従者が手際よく馬を厩舎へと引いていく。
『光の翼で空を飛んでくれた軍馬さん、今日はいっぱい食べてしっかり休んでね』と心の中でねぎらうと、漆黒の軍馬はブルルル! と楽しそうに頭を振った。
笑顔になりつつ、彼らの後に続いて城内へと進む。
磨き上げられた石張りの床に、コツコツとカカトの音が響く。
案内されたのは、天井が高く立派なタペストリーや鎧の装飾が並ぶ長い回廊だった。
壁には、歴代のホッホブルク領主たちの肖像画が等間隔に飾られている。
歩きながら何気なくそれらを眺めていると、ふと見覚えのある顔を見つけて、思わず足が止まった。
厳格そうだが、どこか優しげな目元をした初代領主ガウェイン。そしてその隣には、彼に似て不器用なほど実直そうな兄レオンハルトの姿があった。
「……懐かしい顔」
小さくつぶやくと、前を歩いていたエドマンドさんが振り返る。
「おや、ご存知ですか。我が遠祖、剣豪と謳われたレオンハルトと、その父でありホッホブルクの始祖たるガウェインの肖像画です。レオンハルトが私の六代前にあたりますな」
エドマンドさんがお兄様から数えて六代後ということは、つまり、あの超がつくほどの堅物だったお兄様が、デレデレになりながら膝に乗せてあやしていたあの子の……その血が、五つもの世代を渡って、こうしてエドマンドさんへと受け継がれてきたということか。
血の繋がりと積み重ねられてきた時間の重みに、なんとも言えない感慨が押し寄せてくる。
その後、通されたのは賓客をもてなすための豪奢なサロンのような部屋だった。
ふかふかのソファに腰を下ろすと、すぐにメイドが温かいお茶と焼き菓子を運んできた。上品で甘い香りが、長旅の疲れをふわりと解きほぐしてくれる。
「どうぞ、お召し上がりください。ホッホブルクで採れた小麦と蜂蜜を使った焼き菓子です」
レオニー団長が、騎士の険しい顔を少し和らげて勧めてくれた。一口かじると、ザクッとした食感と素朴で優しい甘さが口いっぱいに広がる。
「美味しい。本当に、豊かな土地なのね」
わたしが素直な感想を漏らすと、レオニー団長の顔にふっと暗い影が落ちた。
「……ええ。かつて不毛だったこの地は、先人たちの血のにじむような努力によって、黄金の麦畑へと変わりました。ですが……皮肉なことに、その豊かさが、新たな悲劇を招き続けているのもまた事実なのです」
彼女は膝の上で、ギュッと拳を握りしめた。
「隣国、ゼクセン帝国です。奴らは、我がホッホブルクが豊かになればなるほど、その富と土地を狙って侵略を激化させてきました。
代々のご先祖様方も、この地を護るために激闘を繰り広げ、その多くが戦場で命を落としました。私の祖父にあたる先代様も……家督を継いで間もなく、ゼクセンとの戦で亡くなり……父上も、幾度となく死線を彷徨っております」
レオニー団長の声には、帝国への激しい怒りと、愛する領地と家族を理不尽に脅かされることへの深い悲しみが滲んでいた。
(人が豊かになれば、それを力で奪おうとする者が現れる……いつの時代も変わらない、人間の業、か)
わたしは静かにお茶を啜り、目を伏せた。
「レオニー、過去の悲劇を語るのはそこまでにしておきなさい」
エドマンドさんが静かに娘を制し、そして改まった様子でわたしに向き直った。
「ケイ殿。長旅の直後で誠に申し訳ありませんが、状況は一刻を争います。ゼクセン帝国の軍勢は、徐々に国境付近へ大規模な陣を構えつつあります。……我々の防衛戦に、お力添えをいただけますな?」
「ええ、もちろん。そのために飛んできたんだもの」
わたしが事もなげに頷くと、レオニー団長が素頓狂な声を上げた。
「は……? ち、父上!? 今なんと……この方が、戦に参加されると仰ったのですか!?」
彼女は目を丸くして、エドマンドさんとわたしを交互に見比べた。
「このような、戦について何もかもご存知なさそうな貴族の令嬢を、最前線に出すおつもりですか!? いくらなんでも正気の沙汰とは――」
「レオニー! 控えよ!」
エドマンドさんの雷が落ちる。
「ケイ殿のお力は、我ら百の騎士にも勝る! お前もいずれ、自身の目でその意味を知ることになる。けっして無礼のないように振る舞え!」
「……っ! はい……」
納得がいかない様子で唇を噛むレオニー団長。無理もない。どう見てもわたしは、血生臭い戦場に立つような屈強な戦士の風貌ではないから。
気まずい沈黙が流れる中。窓の外を見ると、いつの間にか空はすっかり暗くなり、夜の帳が下りていた。
「……今日はもう遅いですね。ケイ殿には城内の客室をご用意しております。夕食もそちらに運ばせますので、今宵はゆっくりと長旅のお疲れを癒やしてください」
エドマンドさんが重苦しい空気を振り払うように立ち上がった。
「ありがとう、エドマンドさん。お言葉に甘えさせてもらうわ」
わたしも立ち上がりかけたところで、不満げに俯いているレオニー団長に視線を向けた。
「ねえ、レオニー団長。もしよかったら明日の朝、少しこの都市の中を案内してくれないかしら?」
「……都市の案内、ですか?」
「ええ。どんな人たちが、どんな風に暮らしているのか見ておきたいの。あなたたちの警備のついでで構わないから」
彼女は少し戸惑ったように父へ視線を向けたが、エドマンドさんが鷹揚にうなずくのを見て騎士らしく小さく頭を下げた。
「……承知いたしました。では明朝、お部屋までお迎えにあがります」
◇
案内された客室は、広々として清潔だった。美しい刺繍が施されたふかふかのベッドが用意されている。
部屋に運ばれてきた温かいスープとちょっと硬めのパンで夕食を済ませたわたしは、一人、窓辺に立って夜のシュテルンフェルス城塞都市を見下ろした。
街のあちこちに、家々の窓から漏れる温かなオレンジ色の明かりが灯っている。
かつては飢えと寒さにおびえていたこの地の人々が、今はあの中で、家族とともに食事を取り、笑い合い、穏やかな夜を過ごしているのだ。
(お父様、お母様、お兄様……。リナ、エミリー、サアラ)
窓硝子に手を触れる。
(あなたたちが命をかけて切り拓き、繋いできたこの豊かさを……絶対に、奪わせやしないから)
窓硝子に映る自分の顔は、いつになく真剣な表情をしていた。
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