第8話 城塞都市シュテルンフェルス
半日ほど進み、黄金色の波打つ麦畑を抜ける。
なだらかな丘をいくつか越えると、やがて前方の地平に巨大な石造りの建造物群が姿を現した。
「あれが我らの拠点。城塞都市シュテルンフェルスです」
遠目からでもその堅牢さが伝わってくる。街全体をぐるりと囲むのは、途方もない高さと厚みを持った灰色の城壁。一定間隔でそびえ立つ見張り塔が、周囲を鋭く睨みつけている。
先ほど空から見下ろした穏やかな農村風景とは打って変わり、そこはまさに「戦うための街」。
そんな印象を持って眺めていると、城塞の巨大な門のあたりからもうもうと土埃が上がるのが見えた。
「ん? 誰かこっちに向かってきますよ」
目を凝らすと、二十騎ほどの騎馬隊が、統率の取れた見事な陣形でこちらに向かって猛スピードで駆け寄ってくる。
「おお……私を探しに出た部隊のようですな」
エドマンドさんが落ち着いた様子でつぶやいた直後、騎馬隊はわたしたちの数メートル手前でピタリと馬を止めた。
先頭に立つのは、白銀の鎧を身に纏い、凛とした空気を漂わせる一人の女性だった。エドマンドさんと同じ、鋭くも誠実そうな灰色の瞳。きつく後ろで束ねた亜麻色の髪が風に揺れている。
驚いたことに、彼女の後ろに控える二十人ほどの騎士たちも全員が女性だった。身幅に合わせた軽量で実用的な鎧を着用し、その身のこなしからは相当な訓練を積んでいることが窺える。
「父上ッ! 一体どこへ行っておられたのですか!」
先頭の女性騎士が、厳しい声でエドマンドさんに詰め寄った。
「こんな非常時に、護衛もつけずに単騎で城を抜け出すなど……! 幾度止めても聞かぬゆえ、我ら『精霊騎士団』が捜索に出る羽目になったのですよ!」
「騒ぐな、レオニー」
エドマンドさんは馬から降りると、娘の勢いに一切ひるむことなく、厳格な父親、そして指揮官としての低い声で一喝した。
「私には、どうしても自ら赴かねばならない理由があったのだ。大切な客人をお迎えにな。大層な部隊を引き連れては、かえって余計に目立つ羽目になる」
「……っ。しかし……」
「よいか。街の守りを預かる騎士団長たる者が、そのように軽挙妄動を見せるではない」
「……はっ。申し訳ありません、父上」
父親の静かな威圧感の前に、レオニーと呼ばれた娘はしぶしぶといった様子で頭を下げて引き下がった。どうやら彼女がこの精霊騎士団の団長らしい。
(……エドマンドさん。さっきも言いましたけど、『様』付けや、身分がバレるようなことは厳禁ですからね。目立ちたくありませんから)
わたしは馬から降りる直前、エドマンドさんの背中をツンとつつき、周囲に聞こえない声で念を押した。エドマンドさんは小さくうなずく。
「コホン。紹介しよう。こちらは……ホッホブルクに連なるお方、ケイ殿だ」
エドマンドさんはわたしの意を汲み、余計なことは一切言わず簡潔に紹介する。
わたしは馬からひらりと飛び降り、レオニー団長に向かって軽く微笑んでみせた。
しかし、レオニー団長の視線は氷のように冷たく、そして鋭かった。
上から下まで、わたしの姿を値踏みするように舐め回す。青いトレンチコート、極細ウサギ毛のパンツ、ショートブーツ。
「……ケイ、殿? この国では聞きなれない名ですね」
レオニー団長は、厳しい騎士としての顔を崩さないまま、低い声で尋問するように言った。
「そのお召し物、見たことのないほど上質な生地と仕立て……どこぞの王侯貴族かとお見受けしますが、そのように奇抜な装いは見たこともなく……。
父上は『ホッホブルクに連なる』とおっしゃいましたが、非常時にあるこのシュテルンフェルスへ、素性の知れぬ者を招き入れるわけにはいかないのです」
理路整然とした、見事な警戒ぶりだ。騎士団を束ねるだけのことはある。
わたしは少しだけ困ったように首を傾げた。
「素性の知れぬ者、と言われても……。そうね、色々な名前があるから説明が難しいのだけど」
わたしは一歩だけ彼女に近づき、ふと目を細めて、柔らかく微笑んだ。
「愛称で、『ヴィナ』と呼ばれていたこともあるわ」
「ヴィナ、ですか」
レオニー団長はわずかに眉を動かしたが、特に驚いた様子は見せなかった。
「女神様にあやかって、この地では子供によくつけられるありふれた名前ですね。……なるほど、ホッホブルクの信仰を重んじるお家柄の出身ということですか」
彼女の中では、「ヴィナ=女神信仰の篤い家庭で育った、少し変わった服装の貴族令嬢」という解釈で落ち着いたらしい。わたしはエドマンドさんとチラリと視線を交わし、ふふっと笑ってごまかした。
「まあまあ、立ち話もなんですし。急いでいるのでしょう?」
わたしが促すと、レオニー団長はまだ少し訝しげな視線を残しつつも、辺境伯であるエドマンドさんの手前、それ以上の追及は控えた。
「……承知いたしました。では、城へご案内します。どうか、こちらへ」
精霊騎士団の護衛に囲まれながら、わたしたちはシュテルンフェルス城塞都市へと足を踏み入れた。
分厚い石橋を渡り、巨大な落とし格子が不気味に口を開ける城門を潜り抜ける。街の中は、遠くで起きている戦の気配を感じ取っているのか、どこかピリピリとした緊張感に包まれていた。
迷路のように入り組んだ石畳の路地を抜ける。
街の最も高い場所にそびえ立つ領主の居城――シュテルンフェルス城の堅牢な正門が、重々しい音を立ててわたしたちを迎え入れた。
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