第4話 城へ
◇ケイ視点
床に突っ伏してむせび泣くエドマンドさんの震える背中を優しく撫でながら、わたしはひっそりと細く息を吐き出した。
(ああ、本当に……あの子たちは、あれから立派にやり遂げたんだなぁ)
荒れ果てた辺境の地だったホッホブルク。それを何代にも渡って、血のにじむような思いで守り抜いてきたんだ。
目の前の初老の男性が背負ってきた重圧がいかほどのものか、わたしには想像しかできない。
けれど、そのひたむきな懇願の姿は、かつて共に笑い、泥にまみれ、走り回ったかつての仲間たちの面影を確かに感じさせる。
「……さて。そうと決まれば、すぐに出発の準備をしましょうか」
ひとしきり涙を流し、少しだけすっきりしたような顔を上げたエドマンドさんに微笑みかけた。
「わたしが支度を終えるまで、少し時間がかかると思います。エドマンドさん、随分とお疲れのようですし、お腹も空いているでしょう?
ちょうど奥の石炉で火にかけていたものがありますから、待っている間、お食事でもされてください」
恐縮して固辞しようとする彼を半ば強引に椅子に座らせると、台所へと向かった。
この森の奥にこもってどのくらいたったのか、もう正確な年月は覚えていない。数十回目の冬を越えたあたりで、数えるのをやめてしまったから。
そんな果てしない時間の中で、趣味として没頭したことのひとつが、前世――つまり「二十一世紀の地球」のいろいろなものをできるだけ再現することだった。
誰も来ないしバレないなら、生活レベル上げたいよね。便利だし。
あの洗練された衣食住をつたない知識と限られた物資で再現するには、けっこうな数の試行錯誤と膨大な時間が必要だった。
大したものは出来なかったけど、それなりに頑張ったつもり。
この世界には魔法などという便利なものは存在しない。中世の地球と似たような、素朴で泥臭い文明レベルだ。
石炉の上では、ぶ厚い鉄鍋がコトコトと心地よい音を立てている。すでにじっくりと煮こみ工程に入っていたため、新たに包丁を握る必要はない。
ひょい、と指を動かし、離れた石炉にかかっている鍋を空中に浮かせる。
そのまま火から下ろして目の前の鍋敷きに着地させると、大きな木杓子で中身をすくい、深皿へとたっぷりと注いだ。
⋯⋯魔法なんてないんですよ? ふふ。
具材は、ふっくらと甘みのある大地の根菜類と、秋に採って干しておいた森の香草、そして脂の乗った鳥肉。
それらを、すりつぶした木の実の粉と山羊の乳、そして地下の冷温庫でじっくり熟成させていた自家製のバターと合わせた、なめらかで濃厚な『ホワイトソース』で煮込んだものだ。
傍らで温めておいた、天然酵母から育てて焼き上げた丸パンをバスケットに盛って居間へと運ぶ。
「お待たせしました。冷え切った身体には、温かいものが一番ですから」
湯気を立てる乳白色の『クリームシチュー』とパンをテーブルに並べると、エドマンドさんは目を丸くした。
「こ、これは……? 随分と芳醇で良いにおいがしますが、私の知るどの料理とも違うような……」
「故郷の料理を、少し工夫して再現したものなんです。お口に合うと良いんだけど」
エドマンドさんは泥だらけの手を布で綺麗に拭うと、神妙な面持ちで木のスプーンを手に取り、シチューを一口すくって口に運んだ。
その瞬間、彼の動きがピタリと止まった。
「……っ!?」
カッ、と目が見開かれ、信じられないものを見るかのように手元の皿を凝視する。
「おいしい……! な、なんというコクとまろやかさ! 口の中でホロホロに崩れる肉と野菜の旨味が複雑にとろけ合い、この乳白色の滑らかで濃厚な汁がすべてを優しく包み込んでいる……!
辺境伯として王都の晩餐会などで数多の美食を口にしてきたつもりでしたが、このような、心までふんわりと溶けていくような美味は初めてです!」
感極まったような顔で、エドマンドさんは次々とシチューを口に運び始めた。パンを大きくちぎってスープに浸し、それすらも愛おしそうに咀嚼している。
洗練されておらず、無骨な塩焼きや水煮ばかりだった食文化からすれば、地球の料理の再現は彼にとって未知の味覚だったのだろう。
過酷な状況から不眠不休で馬を走らせてきた緊張が解け、あたたかな食事が胃の腑に落ちていく安堵感からか、彼の目尻には再びうっすらと涙が浮かんでいた。
「よかった。お鍋におかわりはたくさんありますから、ゆっくり召し上がってくださいね」
一心不乱に匙を動かす彼を見とどけて、わたしは自分の寝室へと向かった。
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