第2話 緑の神殿にて
ゆっくりと開いていく緑の扉。
パチパチと爆ぜる暖炉の炎が、その隙間からだんだんピントが合ったように見えてくる。
その暖炉のそば、二つある椅子の片方へ一人の「女性」が腰かけていた。
エドマンドの心臓が、早鐘のように高鳴った。
屋敷の地下最奥。限られた者しか立ち入ることのできない場所にある、幼い頃に見た一枚の古い肖像画。
そこに描かれていた姿と、寸分たがわぬ者が目の前にいる。
驚くべきことに、その姿は二十歳ほどの瑞々しさを保ったまま完全に時間が止まっていた。
明るく長い金髪、雪のように白い肌、一切の無駄をそぎ落としたかのような、整った目鼻立ち。
彼女を包む空気はあまりにも静謐で、きわめて自然にその空間へ溶けこんでいる。
おそれ多くて声を発することもできず、雨に濡れた外套のまま入り口で立ちつくしていると、彼女は手元の本から顔を上げ、音もなく椅子から立ち上がった。
そしてこちらに顔を向けると、ふわりと春の花がほころぶような柔らかい笑顔を見せたのだ。
「――よくいらっしゃいました」
その笑顔と、あまりにも優しげな声に、エドマンドは思わず目を見張る。
それは、迷い込んできた旅人をねぎらうような、慈愛に満ちた響きだった。
「ひどい雨だったでしょう。さあ、どうぞ中へ」
雨水をたっぷり吸いこんだ外套からしたたる雫が、美しく磨かれた無垢の床に染みを作っていく。彼はひどく恐縮したが、彼女は気にする素振りも見せなかった。
棚から取り出した、手ざわりの良い真っ白な布を渡される。
「これで、ぬれた髪と体を拭くといいですよ」
「あ、ありがとうございます……」
恐縮しながらそれを受け取り、顔に押し当てた彼は小さく驚きの声を漏らした。
軽く髪や外套の表面をなでただけで、重く冷たかった雨水が驚くほどの勢いで布に吸い込まれ、あっという間に不快な水気が消え去ったのだ。
「よく水を吸うでしょう? わたしの手作りなんですよ。さあ、そこへ座って、少し休んで」
女性はいたずらっぽく笑いながら、暖炉にかけられていた鉄瓶を手に取った。
その言葉に促されるまま、水気をふき取って少し身軽になった彼は、泥だらけのブーツを引きずり、恐る恐るもう一つの椅子へと腰を下ろす。
木製の丸いカップにコポコポと琥珀色の湯が注がれる。またたく間に、芳醇で甘い香りが部屋いっぱいに広がった。
「さあ、どうぞ。体を温めて」
湯気を立てる茶がそっと置かれた。ふるえる両手でカップを包み込むように持ち、一口すする。
とたんに、こわばっていた全身の筋肉が解け、芯から冷え切っていた身体の奥底へポカポカとした温もりが染み渡っていくのを感じた。
同時に、張り詰めていた緊張の糸が少しずつゆるんでいく。
(このお方が……)
エドマンドは、改めて目の前でおだやかに茶を飲んでいる女性を見た。
伝承に伝えられる、ホッホブルクの守護者。
しかし、今こうして向かい合っている彼女は権力や威圧感とは無縁の、ただ静かに自然と共に生きる一人の優しい女性にしか見えなかった。
その光景に緩みそうになる気持ちを、自らが背負っているものの重さを思い出して背筋を伸ばす。自分がここに来たのは、「ホッホブルクを救う」ためなのだ。
彼はカップをテーブルに置き、大きく息を吸い込んだ。そして、椅子から立ち上がると、深く臣下としての礼をとった。
「……温かなおもてなし、心より感謝申し上げます。申し遅れました。私はエドマンド・フォン・ホッホブルク。
かつてあなたが礎を築かれた地、現在における『ヴォルケン王国ホッホブルク辺境伯領』にて辺境伯を務めている者です」
「王国」、そして「辺境伯」。
その単語を聞いて、女性はわずかに目を丸くした。
「辺境伯領……そっか。あの子たちは、あの場所をそこまで立派な『街』にしたんだね」
そのつぶやきには、驚きと共に、かつての仲間たちへの深いねぎらいと、いとおしさがにじんでいる。
彼女は、エドマンドがどれほどの苦労を経てここへやってきたのかを知らない。その言葉から、自分が去ったあとの領地が街として形を成したことだけを純粋に喜んでいるようだった。
エドマンドもまた、目の前の存在がどれほど長い間この場所で時を止めていたのかを察し、あえて経過した年月を口にすることはしなかった。
女性は再びふわりと微笑んだ。それは、歴史上の人物としてではなく、今ここにいる一個の存在としての、純粋な笑顔だった。
「初めまして、ホッホブルク辺境伯。わたしの名前は……『ケイ』。ただのケイと呼んでください」
――ケイ。
その名を聞き、彼の全身に雷に打たれたような衝撃が走った。
親族にのみ、密かに語り継がれてきたその二文字。
その名が持つ真の重みを、エドマンドは知っている。
彼はふるえる拳を強く握りしめ、込み上げる圧倒的な畏怖と感動を必死に胸の奥へと押しとどめた。
ケイは彼のそんな激しい内心など知る由もなく、ただ静かに、誠実な眼差しで問いかける。
「それで、辺境伯様が自らこんなところまで、単騎で駆け込んで来なければならないような……一体何がありましたか?」
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