第12話 決別と護符の約束
嵐の誘導から数日が経ち、領主館は以前の静けさを取り戻したかのように見えた。
でも、そこにわたしの居場所はなかった。
家族たちはわたしを追い出そうとなんてしなかったし、むしろ「ホッホブルクの守護者」として、ひたすら丁寧に扱ってくれる。
だけど、それはむしろ逆効果になっていた。
古株のメイドですら、着替えを手伝う時、いつものように伸ばした手をビクッと激しく引っ込めてしまう。
「触れるのは恐れ多い」「機嫌を害すると罰が下る」とでも思い込んでいるみたいだ。
家族も使用人たちも、わたしを今までのように扱うことを完全にあきらめてしまっていた。
こんな異常な空気の中で家族ごっこを続けることは、自分にとってもみんなにとっても、ただの拷問でしかない。
……これは、もう無理だね。
◇
数日後の朝。最低限の着替えと、長年書き溜めた観測ノートだけをバッグに詰め込み、玄関ホールに降り立った。
そこには、ただならぬ気配を察したお父様とお母様、お兄様が立ちつくしている。
「……迷いの森に、移り住むことにします」
静かに告げると、お父様は悲しげに目を伏せ、血がにじむほど強く唇をかみ締めた。
「ヴィナ……あなたを追い出すつもりなどないのよ。ここは、あなたの家なのだから」
しぼり出すようなお母様の声に、わたしは小さく微笑む。
お兄様も何か言葉を探すように口を開きかけたが、結局、声が出ることはなかった。
彼らがよく知る、理屈っぽくて空ばかり見ている娘はもういない。目の前にいるのは、人知を超えた力を振るう「ナニカ」なのだ。
お兄様の沈黙は、その残酷な事実を雄弁に物語っていた。無理もない。恐れずにいてくれというほうが残酷なのだから。
だからすべてを打ち明けようと決めていた。家族への、せめてもの誠意として。
「最後にお話ししておきたいことがあります」
声は、どこまでも穏やかにホールへ響いた。
「わたしは……皆が知っている『ヴィナ』ではありませんでした」
お父様とお母様が、戸惑ったように顔を上げる。
「肉体はレヴィナのものですが、わたしの魂は別の世界から来ました。あちらの世界での名前は『ケイ』。
事故のあったあの日、危篤のレヴィナと魂が溶け合って……ひとつになりました。これまで天候を読み、農業に献策できたのは、その前世の知識があったからです」
あまりにも荒唐無稽な告白。けれど嵐を退けた奇跡を目の当たりにした家族にとって、それは辻褄が合う事実でもあっただろう。
「わたしは、ホッホブルクの土地が、ここに生きる人々が大好きでした。だから前世の知識を使って、この領地を守りたかった。でも、そのために自然の理へ干渉しすぎました……」
自分の胸にそっと手を当てる。
「わたしはもう、純粋な人間ではないのです」
お母様の目から大粒の涙がこぼれ落ち、お兄様はふるえる手で顔を覆った。
それは得体の知れない存在への恐怖ではなく、自分たちのために人間としての生を捨てざるを得なかった娘へ、妹への、痛切な悲しみと悔恨の涙。
「だますような真似をして、ごめんなさい。……でも」
一歩前に出て、涙を流す家族に深く頭を下げる。
「異世界人の魂を持っていようと、精霊と同化しようと……ホッホブルクの娘『レヴィナ』として、家族から愛情をもらい過ごした温かい時間は、まちがいなくわたしの宝物です」
懐から古い木で出来た一枚の札を取り出す。迷いの森で作った、精霊たちの波長を感じられる特別な護符。
それを、そっとお父様のふるえる手に握らせる。
「もし……どうしても助けが必要になった時は、この護符を持って森に来てください。これがあれば、森の迷霧に惑わされず、わたしにたどり着けるでしょう」
それは人間社会と愛した家族に残せる、最後の細いつながりだった。
「今まで育ててくれて、本当にありがとうございました」
お父様は護符を両手で強く包みこみ、お母様は嗚咽を漏らした。お兄様もまた、肩にそっと触れ、無言で別れを惜しんでくれた。
重い扉を開けて屋敷を出る。
すると、門の前にリナ、エミリー、サアラの三人が、目を真っ赤に腫らして待ち構えていた。
「ヴィナ様!」
リナが泣き叫びながら駆け寄り、バッグをうばい取ろうとする。
「お願いです、私たちも連れて行ってください!」
「観測のお手伝いでも、お掃除でも、なんでもします! どうか、置いていかないで!」
エミリーとサアラも服の裾を掴み、泣きじゃくりながら訴えかけてくる。その健気な姿に、胸が強く締め付けられた。
この領主館で、最後まで「人間」として見てくれたのは、彼女たちだけだったから。
けれど、わたしはきっぱりと首を横に振った。
「ダメ。あなたたちを連れて行くことはできない」
「どうしてですか! 私たちは、ヴィナ様にお仕えするのが……っ!」
「リナ」
おだやかな声で言葉を遮り、彼女たちと目を合わせた。
「みんなには、自分自身の素晴らしい人生がある。恋をして、家族を作って、当たり前のように年を重ねていく自由がある。わたしのような『止まった時間』の中に、みんなの命を巻き込むわけにはいかない」
「そんなの……っ、ヴィナ様がいない人生なんて!」
泣き崩れる三人の肩を優しく撫でる。
「それに、みんなに頼みたいことがあるの。わたしがいなくなった後の、このホッホブルクのために」
「頼みたい、こと……?」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げ、リナが問い返してくる。
「ええ。ガルム山脈からの風の影響を和らげるために『防風林』を作って、土壌を強風から保護してほしいの。木々の選定や配置、密度については、観測ノートの最後のページに書いておいたから」
「防風林……」
「それからもう一つ。ガルム山脈に降った雨や雪解け水は、地面に浸透して、領地の地下深くを流れている可能性が高いの」
わたしの推測に、サアラが目を見開く。
「それを見つけ出し、ため池や水路を整備して、降雨に頼らない農業を確立させてほしい。天候に左右されない農業の基盤があれば、ホッホブルクのみんなが飢えることなく生きていけるから」
三人の顔をまっすぐに見つめる。
「わたしのためじゃなく、自分のため、みんなのために生きてほしい。これは、神の啓示でもなんでもない、『ヴィナ』からのお願い。
自分でやろうと思っていたことで申し訳ないけれど、みんなになら、託せる。……できるよね?」
リナとサアラが顔を見合わせ、そしてエミリーが、震える手で涙を拭い、しっかりとうなずいた。
「……はい。ヴィナ様が愛したこのホッホブルクを、私たちが必ず守り抜いてみせます。土を守り、水を見つけて……豊かな土地にしてみせます」
三人の頭を順番に優しく撫でる。その手のひらには、以前と変わらぬ温もりが伝わった。
「ありがとう。頼んだよ」
少女たちはあふれる涙を拭おうともせず、深々と頭を下げる。
わたしは立ち上がり、そのまま振り返ることなく領主館を出た。
そのまま領地の外れにある「迷いの森」へと足を踏み入れる。森の奥深くに、小さな小屋を建てた。
◇
人間社会からは完全に隔絶された、静かで穏やかな世界。精霊たちは、ずっと自分たちの領域にいてくれることが嬉しいのか、以前にも増して周りをぷかぷかと浮かび、楽しげに笑っている。
春の木漏れ日の中で風を読み、秋の落ち葉を踏んで歩き、冬の雪が小さな小屋を白く染め上げる。
季節が猛烈な速度で巡っていく。
細い苗木は、あっという間に見上げるほどの大樹へと成長し、森の風景を塗り替えていった。
移り変わる外界の景色の中で、わたしだけが寸分違わぬ姿のまま、永遠の凪の中に留まり続けている。
そうして――気が遠くなるほど長い、長い年月が過ぎた。
(第一章 完)
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