第7話 コンビニ
リングフィットが届いた。
ダンボールを開けた。Switch本体と、リングコンという輪っかの器具と、レッグバンド。
テレビがない。
そうだった。テレビは母さんが持っていった。
PC用のモニターにHDMIで繋いだ。映った。サブモニターがSwitchの画面になった。メインモニターは株のチャート——ではなく、ハローワークの求人検索画面だ。
リングコンを手に持った。
ゲーム開始。
キャラクターが走り出す。俺も走る。その場で足踏みする。レッグバンドが動きを検知する。
三十秒で息が切れた。
敵が出た。スクワットで攻撃する。しゃがんで、立つ。しゃがんで、立つ。
五回で太腿が震えた。
リングコンを押し込む。腕の筋トレだ。押す。硬い。もう一回。腕がぷるぷるする。
十分で汗だくになった。
十五分で膝をついた。
ゲームオーバーではない。まだ敵が残っている。だが俺のHPが先に尽きた。
——弱すぎる。
ゲーム内のキャラクターはまだ元気なのに、コントローラーを握っている俺の体が限界だ。こんなゲームは初めてだ。
だが。
ゲームだ。
ゲームなら、できる。
翌日もやった。十八分。三分伸びた。
翌々日もやった。二十分。
筋肉痛がすごい。階段が降りられない。タイミーの翌日と同じ症状だ。だがタイミーと違って、自分のペースでできる。誰にも見られない。休みたい時に休める。
これなら続く。
一週間で、一回三十分できるようになった。
汗の量が増えた。最初は脂っぽい汗だったのが、少しさらさらになった気がする。気のせいかもしれない。
——同時に、仕事を探していた。
ハローワークの求人検索で、バイトを探した。条件は「未経験可」「シフト自由」。
コンビニがあった。
家から徒歩八分のコンビニだ。毎日おにぎりを買いに行っていた、あのコンビニ。
面接に行った。
面接、と言っても店長と五分話しただけだ。
「いつから来られます?」
職歴を聞かれなかった。
人手不足だ。四十歳で職歴なしでも、レジに立てるなら雇う。そういう時代らしい。
「明日からお願いします」
翌日から行った。
制服を渡された。エプロンと帽子。着た。
鏡を見た。コンビニの制服を着た四十歳が映っている。
「浩平、四十歳。初めてのアルバイト」。
笑えるが、笑っている場合ではない。
レジに立った。
——無理だった。
初日。最初の客。弁当とお茶。
バーコードをスキャンする。ピッと鳴る。ここまでは大丈夫だ。
「温めますか?」
声が出なかった。
口は開いた。喉は動いた。だが音にならなかった。
客が待っている。
「……あっためますか」
かろうじて出た。裏返った声で。
客がうなずいた。弁当をレンジに入れた。何秒温めるか分からない。隣のベテランのおばちゃんが「五百ワットで一分半ね」と教えてくれた。
次の客。タバコ。
「マルボロの……ロング……」
番号が分からない。棚を見る。マルボロが八種類ある。どれだ。客がイライラしている。
「四十二番」
おばちゃんが横から言った。
三人目の客。PayPay。
操作が分からない。画面をタッチするのだが、どこを押せばいいか分からない。後ろに列ができている。
視線が刺さる。
首の後ろが熱くなる。手が震える。画面がぼやける。
おばちゃんが代わってくれた。
バックヤードで座り込んだ。
五分間、何もできなかった。心臓がバクバクしている。呼吸が浅い。手のひらが濡れている。
——ゲームの操作なら、どんなに複雑でも覚えられる。
WoWの四十人レイドでは、十二個のスキルをホットバーに配置して、ボスの行動に合わせてミリ秒単位で切り替えていた。
コンビニのレジは、それより簡単なはずだ。
だが、レイドには客の視線がない。
客の視線が、すべてを壊す。
「大丈夫? 慣れるまでは誰でもそうだから」
おばちゃんが缶コーヒーを持ってきてくれた。
二日目。少しだけましになった。弁当の温め時間を覚えた。
五日目。PayPayの操作を覚えた。だがタバコの番号がまだ入らない。
八日目。タバコの番号を半分覚えた。だが忙しい時間帯にレジが二台同時に動くと頭が白くなる。
十日目。クレーム。
酔った男がレジに来た。何を言っているか聞き取れなかった。聞き返した。怒鳴られた。
「はぁ?聞こえねえのかよ!」
体が固まった。
何も言えなかった。おばちゃんが来て対応してくれた。
十二日目。店長に呼ばれた。
「時田さん、ちょっと」
バックヤードで二人きりになった。
「うちも人手が足りないから助かってるんですけど、ちょっとレジのスピードが……お客さんからも何件か……」
分かっている。
分かっている。遅い。声が小さい。タバコの番号を間違える。混んでいる時に固まる。
「もう少しシフトを減らしましょうか。週一か二で……」
週一。四時間。時給千十円。日給四千四十円。
週一だと月に一万六千円。
これでは生活費にならない。
辞めた。自分から辞めた。
「ありがとうございました」
店長が言った。おばちゃんが「大変だったね」と言った。
大変だった。
十二日分の給料が振り込まれた。四万三千六百三十円。
——次。
スキルツリーが間違っている。
コンビニのレジは対人スキルが要る。タバコの番号は暗記だ。PayPayは操作の習熟だ。
どれも覚えられる。時間をかければ覚えられる。
だが対人スキルだけは、時間をかけても覚えられない。客の視線に耐えるスキルは、二十年のブランクで完全に枯れている。
ハローワークの求人をまた見た。
テレアポ。電話営業。時給千二百円。「未経験歓迎」「台本あり」「座ってできるお仕事」。
座ってできる。
台本がある。覚えれば読める。
対面ではない。電話だ。顔を合わせなくていい。
——行った。
オフィスに着いた。ビルの五階。パーティションで仕切られた机が並んでいる。
ヘッドセットを渡された。台本を渡された。リストを渡された。上から順に電話する。
「お忙しいところ恐れ入ります。わたくし株式会社○○の——」
台本を読む。読めばいい。
一本目。
電話が鳴っている。出ない。切った。次。
二本目。出た。
「お忙しいところ恐れ入り——」
ガチャ。切られた。
三本目。出た。
「お忙しいところ——」
「要りません」ガチャ。
四本目。
「お忙しいと——」
「二度とかけてくんなクソが」ガチャ。
ここまでは耐えた。台本通りに読んでいるだけだ。切られるのは俺のせいじゃない。
十二本目。
「お忙しいところ恐れ入ります。わたくし——」
「あのさ、こっちは忙しいんだよ。何で赤の他人に迷惑電話かけてんの?恥ずかしくないの?いい歳して。仕事ないからこんなことしてんの?」
切れなかった。
切ればよかった。相手が喋り続けた。一分以上、ずっと言われた。
ヘッドセットを外した。
立ち上がった。
隣の席の女の子が「大丈夫ですか?」と言った。
「辞めます」
入って二時間で辞めた。
給料は出なかった。「半日以上勤務で日払い」と書いてあった。二時間は半日未満だ。
交通費だけ消えた。
——何をやっているんだ。
帰りの電車で、窓ガラスに映る自分を見た。
コンビニのガラスに映った男より、少しだけ顎のラインが出ている気がした。
リングフィットを始めて二週間。気のせいかもしれない。だが、気のせいではない気もする。
家に帰った。
リングフィットの電源を入れた。
今日の分をやっていない。
スクワット。プランク。ニーリフト。
三十分。
汗だくになった。
シャワーを浴びた。
鏡を見た。
——まだぶよぶよだ。
だが二週間前よりは、少しだけ、少しだけ、輪郭がある。
コンビニは駄目だった。テレアポは二時間で逃げた。タイミーは三日で体が壊れた。
だがリングフィットは続いている。
二週間、毎日三十分。一日も欠かさず。
ゲームだからだ。ゲームならできる。
ゲームだけは、二十年間、一日も休まなかった男だ。
レベルが上がった時の効果音が鳴った。
画面にレベルアップの表示が出た。
——リアルでも、レベルが上がる音が聞こえたらいいのに。
聞こえなくてもいい。上がっている。少しずつ上がっている。
明日もやる。
スキルツリーは間違えた。コンビニは間違いだった。テレアポも間違いだった。
だが体力のツリーだけは、正しい方向に伸びている。
残金:409,879円
(内訳:証券口座12万8,000円 + 銀行28万1,879円)
※収入:コンビニ12日分 +43,630円
※食費14日分(自炊):約7,000円
※テレアポ交通費:−550円
※ハローワーク通い交通費(バス4往復):−1,760円
※スキルツリー方向:対人系× 肉体系△ 自宅PC系?




