第49話 藤原
田中さんから電話が来た。
いつもと違う声だった。
「時田さん、ちょっと相談があるんですが」
田中さんは株式会社ギルドの最初のクライアントだ。SNS運用を三年近く任せてもらっている。月十五万の契約が、今は月二十万に上がっている。
「実はですね、うちの元社員が独立して、同じようなSNS運用の会社を始めたんです」
元社員。
「名前は藤原っていうんですけど。うちのマーケ部にいた人間で、時田さんのやり方を社内で見てたんです。それで独立して——」
「うちと同じことをやってるんですか」
「ほぼ同じです。ゲーム会社のSNS運用とコミュニティマネジメント。時田さんのやり方をそのまま持っていったような感じです」
——コピーされた。
ギルドの戦略を、クライアントの内部にいた人間に見られて、真似された。
「それで田中さんに何か——」
「いえ、うちは時田さんと続けますよ。ただ、藤原がうちの業界の他の会社に営業かけてるらしいんです。時田さんの他のクライアントにも接触してるかもしれないと思って、お伝えしておこうかと」
——胃が冷えた。
今まで失敗は全部、自分が原因だった。マウスもゲーム喫茶もアプリも、自分の判断ミスで金を溶かした。
今回は違う。外から来た。自分ではコントロールできない脅威だ。
ゲームで言えば、PvEからPvPに変わった。ボス戦なら攻略法がある。だが対人戦は相手も考えて動く。
——藤原のことを調べた。
三十八歳。田中さんのゲーム会社に五年いた。マーケ部でSNS運用と広告運用を担当していた。
独立して「株式会社フロンティア」を設立。事業内容は「ゲーム業界特化のデジタルマーケティング」。
ホームページがあった。綺麗なサイトだ。俺のサイトより洗練されている。デザインが良い。
実績紹介。「大手ゲーム会社のSNSフォロワーを半年で三倍に」「リリース初週のDL数を前作比150%達成」。
前職の実績をそのまま載せている。ゲーム会社の中にいた時にやった仕事だ。
俺にはこの種の実績がない。俺の実績は「ギルドマスターの経験」と「YouTubeの登録者七万人」だ。大手ゲーム会社の内部実績ではない。
——二週間後。恐れていたことが起きた。
SNS運用のクライアント四社のうち、二社から連絡が来た。別々の日に。
一社目。
「時田さん、申し訳ないんですが、来月で契約を終了させてください。別の会社にお願いすることになりまして」
「別の会社って——」
「フロンティアさんです。うちと同じ業界の会社を何社も担当されてるそうで、業界の横のつながりも含めた提案をいただいて」
業界の横のつながり。
俺にはない。俺は一社一社を個別に運用している。業界全体を横断的に見る視点は、大手の中にいた藤原の方が持っている。
二社目。翌週。
「時田さんの仕事には満足しています。ですが、フロンティアさんの方が月額が安いんです。同じ内容で月十五万のところ、月十万でやってくれると」
月十万。
俺の月二十万の半額だ。
「値下げは難しいですか」と聞かれた。
十万に下げれば利益がほぼ消える。人件費を考えたら赤字だ。
「申し訳ありませんが、十万では品質を維持できません」
「そうですか。では、すみませんが——」
切られた。
——二社。月三十五万の売上が消えた。
四社のうち二社。売上の30%が一気に飛んだ。
カナが月次レポートの数字を出した。
「月の売上が百十八万から八十三万に減ります。経費は変わりませんから、月次損益が+五十八万から+二十三万に落ちます」
二十三万。まだ黒字だが、薄い。D2Cが成長しなければ、すぐに赤字に転落する。
——オフィスの空気が変わった。
岡田が聞いてきた。
「代表。競合って、やばいですか」
「やばくはない。まだ二社残ってる」
「でも残りの二社も取られたら——」
「取られない。取られないようにする」
どうやって。
安さでは勝てない。藤原は独立したてで、自分の人件費さえ出ればいいから安くできる。俺には社員がいる。家賃がある。最低限の月額を下回れない。
——村瀬に相談した。サイゼリヤ。ミラノ風ドリア。
「競合に客を取られた」
「営業の世界じゃ日常茶飯事だ。で、どう取り返す」
「取り返せるのか」
「取り返せるかは分からん。だが守ることはできる。残りの二社を守れ。守り方は一つだ。相手にできなくて、お前にだけできることを見せろ」
相手にできなくて、俺にだけできること。
「藤原っていう相手は、何ができるんだ」
「ゲーム会社のマーケ経験者。営業が上手い。横のつながりがある。月額が安い」
「お前は何ができる」
「……ゲームの知識。コミュニティ運営。YouTube。攻略サイト」
「そこだ。その差を見せろ。藤原はゲーム会社のマーケを『やった人間』だ。お前はゲームを『二十年やった人間』だ。その差は埋まらない」
——ゲームを二十年やった人間。
藤原は「マーケの手法」を知っている。SNSの運用方法、広告の出し方、レポートの書き方。
だが藤原は「ゲーマーの気持ち」を知らない。
なぜこのゲームが面白いのか。どの瞬間にユーザーが課金するのか。コミュニティで何が話題になるのか。新作発表の時にユーザーが何を期待しているのか。
俺は知っている。二十年間ゲームをやってきたから。八千人のギルドを率いてきたから。七万人のYouTubeコミュニティの温度を毎日感じているから。
——残りの二社に提案した。
「今までのSNS運用に加えて、コミュニティレポートを毎月出します」
コミュニティレポート。
YouTubeとSNSのコメント欄から、ユーザーの声をカテゴリ別に分析して、「ユーザーが今何を求めているか」をレポートにまとめる。
「先月、コメント欄で『PvPモードが欲しい』という声が四十二件ありました。前月の十一件から四倍に増えています。開発チームに共有しますか」
これは俺にしかできない。
なぜなら俺はコメントを一件ずつ読んでいるからだ。AIで自動分析するのではなく、一件ずつ目を通して、文脈を理解して、分類している。
ギルドマスターがメンバーの発言を一つ一つ読んでいたのと同じだ。
藤原にはこれができない。藤原はSNSの「運用」はできるが、コミュニティの「温度」は読めない。運用は仕組みでできる。温度は人間でないと読めない。
——一ヶ月後。
残りの二社から反応が来た。
「コミュニティレポート、開発チームがすごく喜んでいます。ユーザーの声をここまで整理して届けてくれるのは、時田さんだけです」
守れた。二社は残った。
——三ヶ月後。
引き抜かれた二社のうち、一社から連絡が来た。
「時田さん。ちょっとお話できますか」
電話の声が沈んでいた。
「フロンティアさんに切り替えてから、数字は出てるんです。フォロワーは増えてる。投稿の見た目も良い。でも——コミュニティの温度が上がらないんです」
温度が上がらない。
「投稿への反応が薄いんです。リプライが減った。ファン同士の交流が減った。数字は伸びてるのに、空気が冷たくなった。前は時田さんがコメントに返信してくれて、ファンが嬉しそうにしてたのに」
「——それは」
「戻れますか。時田さんに」
戻りたい。
だが安い方に行って、合わなかったから戻ります、は虫が良すぎる。
——少し考えた。
「戻れます。ただし、前の月額では受けられません」
「いくらですか」
「月二十五万。コミュニティレポート込みで」
前は月十五万だった。十万上げた。
沈黙。
「……分かりました。お願いします」
戻ってきた。月二十五万で。
安さで出て行った客が、品質で戻ってきた。しかも前より高い金額で。
——もう一社は戻ってこなかった。藤原の方が合っていたのかもしれない。あるいは、一度出て行った手前、戻りにくいのかもしれない。
全部は取り返せない。だが一社戻った。
そして残った二社との関係は、競合の存在を経て、むしろ強くなった。「時田さんの仕事の価値が、比較対象ができたことで分かりました」と言われた。
比較対象。
一人しかいない時は、その人の価値が分からない。二人いると、違いが見える。
藤原がいてくれたおかげで、俺の価値が可視化された。
——皮肉だが、競合に感謝だ。
村瀬にLINEした。
「一社取り返した。前より高い金額で」
「営業の鑑だな。で、藤原とは今後どうする」
「棲み分ける。藤原は数字で勝負する。俺は温度で勝負する。同じゲーム業界でも、求めるものが違うクライアントがいる。全部を取り合う必要はない」
「PvPじゃなくて共存か」
「共存だ。サーバーは広い」
【個人資産】約555万(証券口座365万+銀行5万+NISA174万 ※評価額約204万)
※デイトレ口座が365万に成長。月平均+35万を維持
【法人】株式会社ギルド
<クライアント変動>
SNS運用:4社→2社(流出)→3社(1社復帰・単価アップ)
月額:56万→21万→46万(復帰社は月25万に増額)
<月次(現在)>
売上:+99万(SNS三社46万+YouTube計33万+D2C 16万+サイト2万+WEB2万)
経費:−55万
月次損益:+44万
<法人口座残高>
約250万(D2C成長+復帰クライアントの増額で回復基調)
★初の外敵。自分の失敗ではなく、他者の攻撃で売上が飛んだ★
★安さでは勝てない。温度で勝つ。コミュニティレポートが差別化の武器★
★1社復帰。前の15万→25万に増額。「比較対象ができて価値が分かった」★
★PvPではなく共存。「サーバーは広い」★
★D2Cが月16万に成長。SNS依存から脱却し始めている★




