第45話 徒歩8分
やってしまった。
頭にちらついていたゲーム喫茶を、やってしまった。
カナの月次レポートを見て「数字で判断する」と決めたはずだった。村瀬に「散らかりすぎだ」と言われたはずだった。
だが物件を見つけてしまった。
Uberで走っていた頃に通りかかった場所だ。駅から徒歩八分の通り沿い。一階。元は定食屋だった。閉店して半年、テナント募集の看板が出ていた。
家賃九万。駅前のオフィスの十二万より安い。一階で路面店。入りやすい。
「ゲーマーが集まれるリアルな場所を作りたい」。
YouTubeのコミュニティは八千人から一万五千人に成長していた。オンラインでは繋がっている。だがリアルで会ったことがない。
リアルの場があれば、コミュニティが立体的になる。ギルドが本当のギルドになる。
——カナに言った。
「ゲーム喫茶を出す」
カナが眼鏡越しにこちらを見た。三秒間。
「法人口座の残高を確認してください」
「百十万くらいだろ」
「百八万です。ゲーム喫茶の初期費用はいくらを想定していますか」
「内装は前の店の設備が残ってるから安く済む。ゲーミングPCを五台。モニター。テーブル。椅子。ネット回線。ドリンクバー。漫画棚。全部で百五十万くらい」
「百八万の口座から百五十万は出せません」
「個人の口座から出す」
カナの眉が動いた。
「代表の個人資産を法人に入れるんですか」
「役員貸付にすればいい。借金じゃない。自分の金だ」
デイトレの口座に四十万ある。銀行に十三万。合わせて五十三万。NISAは崩さない。
法人口座の百八万と個人の五十三万で百六十一万。足りる。
「数字上は足ります。ですが、初期費用だけでは終わりません。月の運営費が——」
「分かってる。家賃九万。バイト代。光熱費。仕入れ。月二十万くらいだろ」
「二十五万から三十万です。人件費は最低でもアルバイト一人に月八万。光熱費がゲーミングPCの電力で月三万以上。ドリンクや消耗品で月二万。合わせて月の固定費は約二十二万。これに加えてオフィスの固定費が別にかかります」
月の固定費。オフィス分が月約四十万(人件費含む)。ゲーム喫茶分が約二十二万。合計六十二万。
SNS三社の売上が四十二万。YouTube広告が月二万。サイト広告が一万。受注生産ECが四万。合計四十九万。
月十三万の赤字。
デイトレの利益で補填できるか。最近は月五万から十万の利益が出ている。
「ぎりぎりです」
「ぎりぎりでも回る」
カナが黙った。
カナが黙る時は二種類ある。数字で止められない時と、数字で止めるべきだが代表の意志が固い時。
今回は後者だ。
——オープンした。
三週間で準備した。元定食屋の内装はそのまま使えた。カウンターをゲーミングデスクに改造した。壁にモニターを掛けた。
ゲーミングPCを五台。中古で揃えた。一台八万。五台で四十万。
モニター五台。ゲーミングチェア五脚。キーボードとマウスは——OEMの余りがまだあった。マウスの在庫がここで役に立った。壊れたらすぐ交換できる在庫が百二十個ある。
WiFi。光回線。業務用のルーター。
ドリンクバーマシンをリースした。月八千円。
本棚に漫画とゲーム雑誌を並べた。ブックオフで百冊まとめ買い。せどりの知識が活きた。
店名。
「ギルドベース」。
株式会社ギルドのリアル拠点。ギルドハウスのリアル版。
看板を作った。入り口に置いた。
オープン日をYouTubeとSNSで告知した。
——開店初日。
来た。
二十三人来た。
YouTubeの視聴者が来た。「ここが時田さんの店なんですね」「PCきれいですね」「居心地いいです」。
俺が店に立った。カウンターの中に立って、ドリンクを出して、客と話した。
ゲームの話をした。攻略の話をした。デイトレの話もした。
最高の一日だった。
オンラインで繋がっていた人間とリアルで会った。画面の向こうにいたハンドルネームが、目の前に座って笑っている。
売上。一人あたり千二百円(時間制+ドリンク)。二十三人で二万七千六百円。
悪くない。このペースが続けば月八十万。家賃と運営費を余裕で賄える。
——続かなかった。
二日目。十二人。
三日目。八人。
一週間後の平日。三人。
初日は「オープン記念」で来た人たちだ。YouTubeの告知を見て、わざわざ足を運んでくれた。一回来た。満足した。また来るかどうかは別の話だ。
ゲーマーは家でゲームをする。
この当たり前の事実を、俺は無視していた。
家にPCがある。家にネット回線がある。家に椅子がある。なぜ電車に乗って、駅から八分歩いて、金を払って、他人と同じ空間でゲームをしなければならないのか。
ネットカフェとは違う。ネットカフェには「家にPCがない人」が来る。ゲーム喫茶に来るのは「家にPCがある人」だ。家にあるものを外で使うために金を払う理由がない。
——バイトを雇った。
俺が毎日店に立つことはできない。オフィスでSNS運用とデイトレがある。
大学生のバイトを雇った。時給千百円。週五日、六時間。月約十四万三千円。
バイトの名前はタクヤ。二十一歳。ゲームが好きだと言っていた。
だがタクヤのゲーム知識は浅かった。スマホゲーしかやらない。PCゲームの話が通じない。客が攻略の相談をしても答えられない。
ゲーム喫茶の「空気」は、店主のゲーム知識で作る。バーのマスターが酒に詳しいように。ラーメン屋の店主が味にこだわるように。
タクヤはドリンクを出せるが、空気は作れない。
俺が店にいる日は客が来る。いない日は来ない。
「時田さんいますか?」と電話で聞いてから来る客がいた。いないと分かると来ない。
店ではなく俺に客がついている。俺がいなければ、ここはただのPCが並んだ部屋だ。
——三ヶ月目。月の来客数が百人を切った。
一日平均三人。売上月約十二万。
家賃九万+バイト代十四万+光熱費三万+ドリンク仕入れ二万+雑費一万=月二十九万。
月十七万の赤字。
——五ヶ月目。
来客数がさらに減った。平日は一人か二人。ゼロの日もある。
タクヤが「お客さん来ないんですけど、何すればいいですか」と聞いてきた。
何すればいいか。俺にも分からない。
SNSで告知した。「本日限定、ドリンク無料」。五人来た。翌日はゼロに戻った。
帝国データバンクのレポートを読んだ。ゲームセンターは直近五年で店舗数が三割減。ボードゲームカフェの平均営業期間は二年七ヶ月。娯楽の多様化。人件費高騰。
二年七ヶ月が平均。俺はまだ五ヶ月。
だが五ヶ月で分かることがある。この店は二年七ヶ月持たない。
——カナが月次レポートを出した。
ゲーム喫茶の累計損益。
売上合計:約六十八万
初期費用:約百五十万(内装改修・PC・モニター・チェア・回線・その他)
保証金:約二十七万
家賃(五ヶ月):四十五万
人件費(バイト五ヶ月):約七十一万
光熱費(五ヶ月):約十八万
ドリンク・消耗品(五ヶ月):約十二万
運営費合計:約三百二十三万
損失:約二百五十五万。
保証金の二十七万は退去時に一部返還されるが、原状回復費用で相殺される見込み。
「代表」
カナがレポートの最後のページを開いた。
グラフがあった。法人口座の残高推移。右肩下がりの直線だ。
「今のペースだと、あと八ヶ月で資金がショートします」
八ヶ月。
「ゲーム喫茶を続けた場合です。閉店すれば、月の赤字が十七万減ります。それでも本業の赤字がありますから、楽にはなりませんが」
「閉店する」
言った。今度はカナに言われる前に。
マウスの時はカナの「撤退を提案します」で動いた。攻略本は自分で損切りを言えた。ゲーム喫茶も自分で言えた。
損切りの速度が上がっている。
——六ヶ月目。閉店した。
タクヤに「ごめん」と言った。タクヤは「いえ、まあ、しょうがないですよね」と言った。あっさりしていた。バイトにとっては次の仕事を探すだけだ。
PCとモニターは中古で売った。ゲーミングチェアも。回収できたのは約二十万。
漫画はブックオフに持ち込んだ。百冊で千二百円。買った時は百冊で一万円だった。せどりを逆方向にやっている。
原状回復して、鍵を返した。
最終損失。
初期費用百五十万+運営損失百五十万+原状回復費二十五万−中古売却二十万−保証金返還五万=約三百万。
設計より少し安く済んだのは、カナが「五ヶ月で止めましょう」と数字で示してくれたからだ。六ヶ月以上続けていたら、三百五十万を超えていた。
——帰り道。元ゲーム喫茶の前を通った。
看板はもうない。「テナント募集」の看板が元に戻っている。
半年前、ここを通った時に「やれる」と思った。
やれなかった。
リアルの場は、俺の戦場ではなかった。
俺の戦場はネットだ。画面の向こうだ。キーボードの先だ。
二十年間、画面の中で生きてきた男は、画面の中で稼ぐべきだ。
——村瀬と飲んだ。サイゼリヤではなく、駅前の居酒屋にした。ウーロンハイを頼んだ。
「ゲーム喫茶、閉めた」
「だろうな」
「だろうなって」
「あんた、最初から分かってたろ。ネットの外に出ると負けるって」
「分かってた。分かってたけど、やりたかった」
「やりたかったのか」
「YouTubeの視聴者とリアルで会いたかった。オンラインじゃなくて、顔を見て話したかった」
村瀬がウーロン茶(村瀬は酒を飲まなくなった。離婚後の酒の失敗があるから)を飲んだ。
「それはな、イベントでやればいい。店を持つ必要はない」
イベント。
「年に一回、ファンミーティングでもやれば済む話だ。毎日店を開ける必要はない」
正しい。年に一回会えればいい。毎日会う必要はない。
毎日会いたいのは——
カナの顔がちらついた。
毎日オフィスで会っているのは、カナだ。
何を考えている。
「お前、散らかりすぎだ。何回目だこれ」
「三回目くらい」
「もうやるなよ。ネットの外に出るな。次出たら俺が止めるからな」
「止めてくれ。マジで」
グラスを合わせた。
三百万失った夜のウーロンハイは、いつもより苦かった。
【個人資産】約210万(証券口座22万+銀行3万+NISA162万 ※評価額約186万)
※法人への役員貸付で個人資金を投入した分、証券・銀行は目減り
※NISAは月3万を54ヶ月継続。元本162万。評価益約24万。これだけは崩さない
【法人】株式会社ギルド
<ゲーム喫茶 最終損益>
売上:68万
総コスト:368万
損失:−300万
<法人口座残高>
約65万(※役員貸付50万を含む)
<月次(ゲーム喫茶閉店後)>
売上:+49万(SNS三社42万+広告3万+EC4万)
経費:−43万(人件費カナ26.5万+岡田23万−売上按分。家賃12万+固定費4.5万)
月次損益:+6万(ゲーム喫茶の赤字が消えて、ようやく黒字に戻る)
★法人口座65万。あと8ヶ月→閉店で出血止まる★
★だが65万は薄氷。次の大きな失敗で会社が終わる★
★ゲーム喫茶の教訓:ネットの外に出ると負ける。リアルは俺の戦場ではない★
★閉店後、本業だけなら月+6万の黒字。薄いが黒字★
★損切りの速度:マウス(カナに言われて)→攻略本(自分で)→ゲーム喫茶(自分で、より早く)★




