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第42話 姿勢


 カナが入社して二ヶ月。法人の月次決算が回り始めた。

 数字が見えるようになると、問題も見える。

 売上が足りない。

 SNS運用二社で月三十万。WEBマーケ月額で二万。合計三十二万。

 経費は人件費カナ、家賃、光回線、会計ソフトで月三十九万。

 月七万の赤字。資本金を食い続けている。

 「代表、もう一社受注するか、既存の単価を上げるか、どちらかが必要です」

 カナの月次レポートに書いてあった。感情ではない。数字の結論だ。

 もう一社受注する。そのためにはSNS運用の実務を手伝える人間がもう一人要る。俺一人では二社が限界で、三社目を取れない。

 ——マーケターを採用する。今度こそ。

 求人を出した。今度は求人サイトに加えて、Twitter(X)でも告知した。YouTubeのコミュニティタブでも共有した。

 応募が十二件来た。前回の七件より増えた。YouTubeの影響だ。

 書類で半分を落とした。面接は六人。

 ——面接にカナが同席するようになった。

 「代表一人で面接すると、判断が偏ります。もう一人の目が必要です」

 正しい。山下の時、俺は一人で面接して「勢い」に引かれた。

 カナは面接中ほとんど喋らない。メモを取っている。面接が終わった後に、箇条書きの評価シートを俺に渡す。

 「応募者C。コミュニケーション能力は高いが、質問への回答が具体性に欠ける。前職の実績を聞いた際、数字が一つも出てこなかった」

 数字が出てこない。カナにとって、数字がない話は信用できない。

 ——六人の中で、橋本だけが違った。

 橋本誠。三十五歳。前職は中堅ゲーム会社のマーケティング部に五年。大型タイトルのSNS運用とプロモーションを担当していた。

 経歴が厚い。山下の一年とは比較にならない。

 面接で、橋本は的確に答えた。

 「前職ではどんなことを」

 「年間広告予算八千万のタイトルを担当していました。Twitter運用、インフルエンサー施策、リリース時のプロモーション全般です。フォロワーを半年で二万人から八万人に伸ばしました」

 数字がある。カナがメモを取る速度が上がった。

 「なぜ辞めたんですか」

 「会社の方針と合わなくなりまして。上からの指示通りにやるだけの仕事に限界を感じて」

 会社の方針と合わない。応募者Aの「上司が無能」とは違う。だが似た匂いがある。

 「うちに入ったら何がしたいですか」

 「自分の裁量で、一からマーケ戦略を設計したい。時田さんの会社なら、それができると思いました」

 自分の裁量。一から。

 この人は「自分で全部やりたい」人だ。

 ——面接後。カナの評価シート。

 「橋本氏。実力は全応募者の中で最も高い。ただし、協調性に疑問あり。『自分の裁量』を複数回強調。チームで動く意識が薄い可能性あり。採用する場合は、業務の範囲と報告ルールを明確に定めることを推奨」

 カナは見抜いていた。

 だが他に実力者がいない。六人面接して、実務経験があるのは橋本だけだ。

 採用した。月給二十五万。社保込みで月二十八万七千五百円。

 ——橋本が入社した。

 最初の一ヶ月は良かった。

 仕事が速い。SNSの投稿クオリティが高い。分析レポートの精度が山下とは比較にならない。

 三社目のクライアントが決まった。田中さんの紹介だ。橋本が実務を回してくれるから、俺が提案資料を作って打ち合わせに行けた。

 三社目、決まった。月二十万の契約。

 売上が月五十二万になった。経費を引いても黒字が出始めた。

 カナの月次レポートに、初めて「営業利益:+38,500円」と黒字の数字が載った。

 三万八千五百円。小さな黒字だ。だが赤字ではない。

 ——二ヶ月目から、異変が出始めた。

 橋本が報告しない。

 朝来て、PCを開いて、一日中黙って作業して、夕方帰る。何をやっているか分からない。

 「橋本さん、今どの案件やってる?」

 「大丈夫です。進んでます」

 大丈夫です。進んでます。

 具体的な内容が出てこない。

 山下は雑談が多すぎた。橋本は報告が少なすぎる。

 「悪いんだけど、日報を出してもらえないかな。簡単でいいから」

 「……分かりました」

 日報が来た。三行。

 「A社の投稿作成。B社のレポート作成。C社のリプライ対応」

 三行。何をやったかは分かる。だがどこまで進んだか、問題があるか、判断が必要なことがあるか、何も書いていない。

 俺がギルドマスターだった頃、メンバーの中にこういうタイプがいた。ソロで強い。レイドには参加するが、ボイスチャットに入らない。チャットログにも何も書かない。だが担当の仕事はきっちりこなす。

 橋本はそのタイプだ。一人で完結できる人間だ。

 だが会社は一人では完結しない。

 ——三ヶ月目。橋本が急に休んだ。

 朝、LINEが来た。「体調不良でお休みします」。

 翌日は来た。何事もなかったように仕事をした。

 翌週、また休んだ。「体調不良で」。

 カナが言った。

 「代表、橋本さんの勤怠データです。入社三ヶ月で欠勤四日。有給はまだ発生していないので、全て欠勤扱いです」

 四日。月に一回以上のペースで休んでいる。

 体調が悪いなら仕方ない。だが「体調不良」の中身が見えない。

 ——聞くべきか。

 俺は自分のフリーズを知っている。布団から出られない朝を知っている。

 橋本も、そうなのかもしれない。

 あの時、村瀬が「明日9時な」とLINEをくれた。後藤さんが「一人で抱えるな」と言ってくれた。

 俺は上司として、橋本に何を言えばいい。

 「橋本さん、少し話せる?」

 昼休み。八坪のオフィスの隅で。カナは席を外してくれた。

 「最近体調悪いみたいだけど、大丈夫?」

 「大丈夫です」

 大丈夫です。また大丈夫だ。

 「無理に聞かないけど、もし仕事のことで困ってることがあれば——」

 「ないです。仕事は問題ないです」

 壁だ。

 橋本の前に壁がある。俺の部屋にもあった。二十年間、壁の内側にいた。壁の外から声をかけてくる人がいても、壁越しには届かなかった。

 俺から見て、橋本は昔の俺に見える。

 だが橋本から見て、俺は何に見えているのだろう。上司か。邪魔か。壁の外からうるさく声をかけてくる人間か。

 ——半年目。橋本の仕事に問題が出た。

 C社の月次レポートの数字が間違っていた。エンゲージメント率の計算式が違う。

 カナが見つけた。

 「代表、C社のレポートです。インプレッション数とエンゲージメント率の計算が合いません。確認してください」

 橋本に確認した。

 「あ、すみません。直します」

 直した。だが翌月も別のミスが出た。コピペで前月の数字が残っていた。

 確認していない。自分で確認していない。山下と同じだ。山下は返信を確認しなかった。橋本はレポートを確認しない。

 だが理由が違う。山下は面倒だから確認しなかった。橋本は——たぶん、限界が近いのだ。

 一人で三社の運用を抱えて、報告を強いられて、自分のペースで動けない。前職では一つのタイトルに集中していた。ここでは三つを同時に回している。

 キャパを超えている。

 だが「キャパを超えている」と言わない。「大丈夫です」しか言わない。

 ——十ヶ月目。

 橋本がオフィスに来なくなった。

 LINEが来た。

 「すみません。少し休みをいただきたいです」

 一週間休んだ。

 復帰した。

 また二週間後に三日休んだ。

 ——俺は自分の正月のフリーズを思い出していた。三日間布団から出られなかった。

 橋本に聞いた。今度は直接ではなく、LINEで。対面は壁がある。テキストの方が橋本には合うかもしれない。

 「橋本さん。無理に答えなくていい。ただ、もし仕事のやり方を変えた方が楽になるなら、変えるから言ってほしい」

 既読がついた。一時間後に返信が来た。

 「正直に言うと、組織で働くのが向いていないと感じています。前職でもそうでした。自分のペースで、自分の判断で動けないとストレスが溜まります。時田さんの会社が悪いわけではないです。自分の問題です」

 ——分かる。

 分かるのだ。

 俺もそうだった。二十年間、自分のペースで、自分の判断で、部屋の中で生きていた。誰にも報告しない。誰にも指示されない。

 橋本は俺ほど極端ではない。社会に出て、五年間会社で働いた。だが根っこは同じだ。一人で完結したい人間だ。

 一人で完結したい人間は、組織に向いていない。

 俺自身がそうだ。だから社長をやっている。社長は組織の中で最も「一人で判断できる」ポジションだ。

 橋本にはそのポジションがない。

 ——一年目。

 橋本が辞めた。

 「やっぱりフリーランスの方が向いてます。ご迷惑をおかけしました」

 引き継ぎは丁寧だった。山下とは違う。二週間かけて全案件の資料を整理して、カナに渡した。

 最後の日、橋本が言った。

 「時田さん、一つだけ聞いていいですか」

 「うん」

 「時田さんも、組織が苦手だったんですよね。YouTubeの動画で、昔の話をされてるのを見たことがあって」

 「……苦手だった。今も苦手かもしれない」

 「どうやって社長やってるんですか」

 「苦手なまま、やってる。苦手だけど、一人では限界があるから。一人じゃ行けない場所に行くために、苦手を我慢してる」

 橋本が少し笑った。入社して初めて見た笑顔だった。

 「自分にはその我慢ができませんでした」

 橋本が去った。

 また空席が一つ増えた。

 ——橋本の採用コストを計算した。カナが出してくれた。

 求人掲載料:二万円(前回と同じサイト)

 橋本の一年分の給与:三百万円

 社会保険の会社負担(15%×12ヶ月):四十五万円

 教育・引き継ぎの時間コスト:約三十万円

 合計:約三百七十七万円

 三百七十七万。山下の九十四万の四倍だ。

 在籍期間が長いほど、辞めた時のダメージが大きい。

 だが橋本がいた一年間で三社目のクライアントを取れた。橋本がいなかったら取れなかった。売上への貢献は二百四十万。差し引き百三十七万の損失。

 カナがレポートの最後に一行書いた。

 「次回採用時の検討事項:実力より定着可能性を重視すべき」

 定着可能性。

 能力が高くても辞める人間は、コストだけ食って去る。能力が普通でも残る人間は、時間をかけて育つ。

 ——もう一度採用する。今度は基準を変える。

 「能力」ではなく「姿勢」で選ぶ。

 具体的には——

 一、分からないことを「分からない」と言えるか。

 二、報告を嫌がらないか。

 三、チームで動くことにストレスを感じないか。

 四、長く続ける意志があるか。

 スキルは教えられる。SEOもSNS運用もコンテンツ制作も、教えれば覚える。

 だが「一人で抱え込まない姿勢」は教えられない。それは性格だ。

 ——岡田啓太。二十九歳。

 応募者の中にいた。職歴はWebメディアのアシスタントを二年。スキルは普通だ。橋本と比べたら半分以下だ。

 だが面接で印象に残った一言があった。

 「正直、自分はスキルが足りてないと思います。でも時田さんのYouTubeチャンネルをずっと見ていて、この人の下で学びたいと思いました。分からないことは聞きます。時間がかかるかもしれませんが、ちゃんとやります」

 分からないことは聞きます。

 山下は「分かりました分かりました」と言って分かっていなかった。

 橋本は「大丈夫です」と言って大丈夫ではなかった。

 岡田は「分からない」と言った。

 カナの評価シート。

 「岡田氏。スキルは標準以下。ただし、自己認識が正確。不足を認められる人材は改善が早い。定着可能性:高。推奨:採用」

 定着可能性:高。

 カナが「高」と書いたのは初めてだ。

 採用した。月給二十万。社保込みで月二十三万。

 岡田が出勤した初日。

 「時田さん、いや、代表、よろしくお願いします。本当にYouTubeずっと見てたので、一緒に仕事できるの信じられないです」

 嬉しかった。

 自分のチャンネルを見て「この人の下で働きたい」と思ってくれた人がいる。

 ギルドに、初めて「このギルドに入りたい」と言って来たメンバーが入った。

 山下は「キャリアのため」に来た。橋本は「裁量のため」に来た。

 岡田は「この人のため」に来た。

 ——岡田の最初の一ヶ月は遅かった。

 投稿の作成に時間がかかる。分析レポートの書き方が分からない。ツールの使い方でつまずく。

 だが毎回聞いてくる。

 「代表、ここが分からないんですけど」

 「代表、この書き方で合ってますか」

 「代表、確認お願いします」

 毎日五回は聞いてくる。

 うるさい。

 だが嬉しい。

 報告しない橋本より、五回聞いてくる岡田の方がいい。

 カナも岡田の質問に答え始めた。経費精算の仕方。請求書のフォーマット。Slackの使い方。

 八坪のオフィスに、三人。デスク四つのうち三つが埋まった。

 残り一つは空席だ。

 でも今は、三つ埋まっていれば十分だ。

   【個人資産】約95万(証券口座36万+銀行11万+NISA51万 ※評価額+12万)

   【法人】株式会社ギルド

   <月次(岡田入社後・直近月)>

    売上:+52万(SNS三社42万+WEBマーケ2万+YouTube/サイト広告8万)

    人件費:−49.5万(カナ26.5万+岡田23万)

    家賃+固定費:−12.8万

    経費合計:−62.3万

    月次損益:−10.3万

   <法人口座残高>

    約320万(資本金500万から1年半で180万減少)

   ★橋本の1年間のコスト:377万。売上貢献240万。差引−137万★

   ★まだ赤字。だが橋本時代より構造は健全★

   ★採用の教訓:山下(勢い→3ヶ月)→橋本(能力→1年)→岡田(姿勢→?)★

   ★「分かりました」は信じるな。「大丈夫です」は疑え。「分からない」を信じろ★

   ★デスク4つ。空席1つ。三人のギルドが動き始めた★

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