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第41話 数字


 面接の日。

 八坪のオフィスに、デスクが四つ。一つだけ使われている。三つが空席。

 山下が使っていたデスクは片付けた。ペン一本と卓上カレンダーを捨てた。新しい人が座る前に、前の人の跡を消した。

 ——十四時。ドアがノックされた。

 「失礼します」

 小さな声だった。

 ドアが開いた。

 女性が立っていた。

 黒い髪。肩にかからない長さ。化粧は薄い。服はグレーのブラウスに黒のパンツ。派手な色がどこにもない。

 「中川です。本日はお時間いただきありがとうございます」

 中川カナ。三十一歳。吉田税理士事務所から紹介された。

 「時田です。どうぞ、座ってください」

 向かいのデスクに座った。面接用のテーブルはない。八坪にそんな余裕はない。仕事机の向かいで面接する。

 改めて見た。

 背は低い。百五十五センチくらいだろうか。細いが、華奢というより引き締まっている。姿勢がいい。背筋が真っ直ぐだ。

 顔は——美人か、と聞かれたら返答に迷う。

 リナは分かりやすく可愛かった。大きい目。白い肌。ふわふわの髪。見た瞬間に「可愛い」と思った。

 カナにはそれがない。

 目は切れ長で、どちらかと言えば厳しい印象を与える。鼻筋が通っている。唇は薄い。表情がほとんど動かない。笑顔がない——笑わないのではなく、面接だから笑っていないだけかもしれないが、普段から多くは笑わなさそうな顔だ。

 肌は綺麗だった。化粧が薄いのに——いや、化粧が薄いから肌の質が見える。手入れはしている。だが見せるためではなく、整えるためにしている。

 リナは「見られること」を前提にした顔だった。カナは「見られること」を気にしていない顔だ。

 ただ、眼鏡をかけていた。細い銀縁の眼鏡。

 眼鏡の奥の目が、こちらを見ている。値踏みしている。面接されている側なのに、こちらを面接している目だ。

 履歴書を渡された。

 写真は証明写真だ。マチアプのプロフィール写真ではない。加工なし。笑顔なし。正面。白い背景。

 職歴。会計事務所に六年間勤務。経理事務、給与計算、確定申告補助。

 六年。山下の前職は一年だった。六年同じ場所にいた人間と、一年で辞めた人間は違う。

 「なぜ前の事務所を辞めたんですか」

 後藤さんの質問一つ目。なぜうちに来たいのか。の前に、なぜ前を辞めたのか。山下の面接で学んだ。前職の辞め方に、その人の本質が出る。

 「事務所が縮小することになりまして。所長が体調を崩されて、規模を半分にすると。私ともう一人が退職勧奨を受けました」

 退職勧奨。自分から辞めたのではない。辞めさせられた。

 だが言い方が淡々としていた。恨みがない。愚痴がない。事実を事実として述べている。

 応募者Aの「上司が無能だった」との差が歴然だ。

 「吉田さんからうちのことを聞いて、応募を?」

 「はい。ゲーム業界のマーケティング会社だと聞きました」

 「ゲーム、やりますか?」

 聞いた。山下には聞かなかった。当然やるだろうと思っていたから。

 カナが答えた。

 「やりません」

 一拍置いて。

 「でも数字は読めます」

 ——数字は読めます。

 六文字。

 この六文字で、面接の空気が変わった。

 「ゲームはやりませんが、決算書は読めます。試算表も月次で作れます。給与計算、社会保険の手続き、請求書の発行と管理、全部できます。あと、契約書のチェックも前職でやっていました」

 契約書のチェック。

 山下のNDA問題が頭をよぎった。あの時、契約書をちゃんと管理できる人間がいれば、山下にNDAの重要性を入社時にもっと強く伝えられた。

 「入ってから何がしたいですか」

 後藤さんの質問三つ目。

 「経理と事務を整えたいです。失礼ですが、御社の帳簿はどなたが管理されていますか」

 「……俺です」

 「会計ソフトは何をお使いですか」

 「Excelです」

 カナが一瞬だけ眉を動かした。

 「Excel」

 「はい」

 「仕訳帳もExcelですか」

 「仕訳帳……というか、入出金を日付順に並べてるだけで——」

 「それは仕訳帳ではなくお小遣い帳です」

 ——お小遣い帳。

 資本金五百万の株式会社の経理が、お小遣い帳。

 恥ずかしかった。だが事実だ。簿記の知識がない。訓練校でExcelは覚えたが、複式簿記は覚えていない。

 「会計ソフトを導入して、月次で試算表を出せる状態にします。それと、請求書のフォーマットを統一して、入金管理を仕組み化します。今のままだと、入金の抜け漏れが見えません」

 入金の抜け漏れ。

 実際、先月リフォーム会社からの入金が三日遅れていたのに気づかなかった。金額が小さかったから見落とした。

 「どのくらいで整いますか」

 「一ヶ月あれば、基本的な仕組みは作れます。二ヶ月で月次決算が回る状態にします」

 具体的だ。山下の「バズらせます」とは違う。期限と成果物が明確だ。

 ——後藤さんの警告を思い出す。「気に入った相手の欠点を見ないこと」。

 気に入っているか。

 気に入っている。認めよう。

 だが今回は「勢い」に気に入っているのではない。「正確さ」に気に入っている。

 山下の時は勢いに引かれた。カナには勢いがない。代わりに精度がある。

 欠点を探す。

 口数が少ない。表情が動かない。愛想がない。クライアントとの対面業務には向かないかもしれない。

 だが経理に愛想は要らない。数字に愛想は要らない。正確であればいい。

 「月給はいくらを希望されますか」

 「前職と同等でお願いできれば。月二十三万です」

 二十三万。山下より一万多い。社会保険の会社負担を入れると月二十六万五千円。

 だが経理がいれば、俺が請求書やら帳簿やらに使っていた週五時間が浮く。その五時間をSNS運用やYouTubeに回せる。

 五時間分の売上を考えれば、二十六万五千円は安い。

 「お願いします。来月から来られますか」

 「大丈夫です」

 握手はしなかった。カナは手を差し出さなかった。俺も出さなかった。

 名刺を渡した。

 カナが受け取って、一瞬だけ見た。

 「株式会社ギルド」

 声には出さなかった。目で読んだだけだ。

 ——カナが出勤した初日。

 八坪のオフィスに、二人。

 カナは朝九時ちょうどに来た。一分も早くなく、一分も遅くない。

 「おはようございます」

 「おはよう。えっと、まず——」

 「先に帳簿を見せてください」

 先手を取られた。

 ExcelのファイルをカナのPCに共有した。入出金の記録。日付と金額と摘要が並んでいる。

 カナがスクロールした。

 三十秒間、無言でスクロールした。

 「……代表」

 「はい」

 「経費の按分が全くされていません。通信費は事業と個人で按分しないと、全額経費にすると税務調査で否認されます」

 「……はい」

 「あと、山下さんの社会保険の資格喪失届は出しましたか」

 「資格喪失届?」

 「退職した社員の社会保険は、五日以内に届け出が必要です。いつ退職されましたか」

 「二週間前——」

 「遅れてます。今日出します」

 カナが自分の鞄からクリアファイルを出した。中に届出の用紙が入っていた。

 持ってきていた。入社初日に、前の社員の退職処理の書類を持ってきていた。

 「吉田先生から、退職者がいると聞いていたので」

 ——準備していた。

 面接の時点で、入社後に何をやるか分かっていた。分かった上で来た。

 山下は「バズらせます」と言って来た。カナは届出の用紙を持って来た。

 ——一ヶ月後。

 カナの言った通り、一ヶ月で基本的な仕組みが整った。

 会計ソフトを導入した。freee。月額二千三百八十円。

 仕訳帳が自動で生成される。銀行口座を連携すると、入出金が自動で取り込まれる。俺がExcelに手打ちしていた作業が、ほぼゼロになった。

 請求書のフォーマットが統一された。発行日と支払い期限が管理され、入金が遅れたらカナが先方に連絡する。

 俺がやることは、カナが出す月次レポートを見て、数字を確認するだけだ。

 週五時間の事務作業が、週三十分になった。

 ——浮いた時間で、SNS運用の質を戻した。

 山下時代に落ちていたリプライの質を、俺自身が手を動かして戻した。クライアントの田中さんから「最近また良くなりましたね」と言われた。

 YouTubeの更新頻度も週二本に戻った。

 カナは静かだった。

 オフィスで隣に座っているが、必要なこと以外は話さない。

 「代表、この経費の領収書、日付が読めません」

 「代表、リフォーム会社の入金が二日遅れています。確認しますか」

 「代表、来月の社会保険料の概算です」

 全部、業務連絡だ。雑談がない。

 山下は雑談が多かった。「昨日のTikTok見ました?」「あの配信者やばくないですか」。うるさかったが、賑やかだった。

 カナのオフィスは静かだ。キーボードの音と、たまに鳴る電話の音だけだ。

 静かだが、不快ではない。

 引きこもり部屋も静かだった。だがあの静けさは孤独の静けさだった。

 カナのオフィスの静けさは違う。隣に人がいて、その人が正確に仕事をしている静けさだ。信頼の静けさだ。

 ——ある日の昼休み。

 カナが弁当を食べていた。自分で作った弁当だ。毎日持ってきている。

 俺はコンビニのおにぎりを食っていた。

 「代表は毎日コンビニですか」

 「自炊はするんだけど、弁当を作る習慣がなくて」

 「弁当の方が安いですよ。おにぎり二個で二百六十円。弁当なら百五十円くらいで済みます」

 数字だ。弁当の話ですら数字で返してくる。

 「カナさんは、いつも数字で考えるんだね」

 言ってから、「カナさん」と名前で呼んだのが初めてだと気づいた。今まで「中川さん」と呼んでいた。

 カナが一瞬だけ箸を止めた。

 「数字は嘘をつかないので」

 数字は嘘をつかない。

 リナは嘘をついた。「好き」は嘘だった。「死ぬ」も嘘だった。

 数字は嘘をつかない。売上は売上だ。経費は経費だ。利益は利益だ。赤字は赤字だ。

 この人は数字の側にいる人だ。

 嘘をつかない側にいる人だ。

 ——その夜。帰宅して布団に入った。

 天井を見た。

 カナのことを考えていた。

 考えていたが、リナの時とは違う感覚だった。

 リナの時は心臓が跳ねた。興奮した。眠れなくなった。

 カナのことを考えても、心臓は跳ねない。興奮もしない。

 ただ「明日もあの人がオフィスにいる」と思うと、少し安心する。

 安心。

 それだけだ。今は、それだけでいい。

   【個人資産】約87万(証券口座30.2万+銀行8.8万+NISA48万 ※評価額+9.5万)

   【法人】株式会社ギルド

   <売上(カナ入社後1ヶ月目)>

    SNS運用二社:+30万

    WEBマーケ月額:+2万

    売上合計:+32万

   <経費>

    人件費カナ:−26.5万(給与23万+社保15%で3.5万)

    家賃:−12万

    光回線:−0.55万

    会計ソフト(freee):−0.24万

    経費合計:−39.3万

   <法人口座残高>

    前月417万→410万(月7.3万の赤字。だが山下時代の月22万赤字より大幅改善)

   ★カナの月給はSNS売上1社分とほぼ同額。だが浮いた時間で品質が戻った★

   ★会計ソフト導入。お小遣い帳が月次決算に進化★

   ★オフィスの空席:4つ→3つ→山下退職で3つ→カナ入社で2つ★

   ★静かなオフィス。信頼の静けさ★

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