第39話 8坪
不動産屋に行った。
法人契約で事務所を借りたい、と言ったら、担当者の表情が少し変わった。
「法人のお客様ですか。業種は何になりますか」
「WEBマーケティングです」
「従業員数は」
「今は一人です。これから増やします」
一人。一人の会社が事務所を借りに来ている。
担当者がPCを操作して、物件を探し始めた。
「ご予算は」
予算。いくらまで出せるか。
月の収入は約四十万。生活費と税金とNISAを引くと、事務所に使えるのは十五万くらいが上限だ。だが最初から上限で借りると余裕がない。
「十万から十二万くらいで」
「駅からの距離は」
「近い方がいいです。社員が通えるように」
社員がまだいないのに、社員の通勤を考えている。ギルドハウスをメンバーがいないうちに建てようとしている。
——三件紹介された。
一件目。駅徒歩二分。オフィスビルの三階。十五坪。家賃十六万。
広い。綺麗だ。エレベーターがある。だが十六万は予算オーバーだ。
二件目。駅徒歩十分。マンションの一室。六坪。家賃七万。
安い。だがマンションの一室だ。郵便受けに「株式会社ギルド」と書くのか。来客が来た時に、マンションのインターホンを押させるのか。
三件目。駅徒歩四分。雑居ビルの四階。八坪。家賃十二万。
雑居ビル。
見に行った。
一階に整骨院。二階に英会話教室。三階に何かの事務所。四階が空き。
エレベーターはない。階段だ。四階まで階段。
三年前なら息が切れていた。百キロの体で四階まで上がれなかっただろう。今は七十四キロだ。普通に上がれる。
四階のドアを開けた。
——何もない部屋だった。
白い壁。灰色の床。蛍光灯が二本。窓が一つ。窓からは隣のビルの壁が見える。景色はない。
八坪。約二十六平米。
自分の部屋より少し広い。二十年間引きこもっていた部屋が六畳(約十平米)だから、二・五倍だ。
デスクを四つ置いたら、もう歩くスペースがほとんどない。
「ここにします」
即決した。
担当者が驚いた顔をした。「もう少しご検討されますか」と言おうとしていた。
考えても仕方ない。三件見て、予算内で駅から近くて、法人として恥ずかしくないのはここだけだ。マンションの一室は避けたい。クライアントが来た時に「マンションの四〇三号室です」とは言いたくない。雑居ビルの「四階」なら、まだ事務所っぽい。
——法人契約の審査があった。
登記簿謄本。法人の印鑑証明書。代表者の身分証明書。
「決算書はありますか」と聞かれた。ない。設立一年目で決算がまだ来ていない。
「では、法人口座の残高証明をお願いします。あと代表者個人の連帯保証が必要になります」
連帯保証。社長の俺が個人で保証する。会社が家賃を払えなくなったら、俺個人が払う。
法人と個人が紐づく。失敗したら個人に返ってくる。ゲームのように「リセット」はできない。
残高証明を出した。資本金五百万がまだほぼ残っている口座だ。
保証金は家賃三ヶ月分。
保証金三十六万。初月の家賃十二万。仲介手数料十二万。合計六十万。
六十万。
デイトレで増やした金が飛んでいく。だがこれは投資だ。せどりの在庫とは違う。在庫は売れなければ腐る。場所は毎月使う。使い続ける限り価値がある。
審査は三日で通った。資本金五百万の残高証明と代表者の連帯保証で、新設法人でも借りられた。
鍵を受け取った。
銀色の鍵が二本。一本は俺用。もう一本は——社員用だ。まだ渡す相手がいない。
——週末。オフィスの準備をした。
机と椅子を買わないといけない。
ニトリに行った。ユニクロのマネキン買いと同じ発想だ。ニトリで事務所セットを買う。
デスク四台。一台五千九百九十円。四台で二万三千九百六十円。
椅子四脚。一脚四千九百九十円。四脚で一万九千九百六十円。
本棚一台。四千九百九十円。
ゴミ箱二個。各三百三十円。
合計約五万円。
会議用のテーブルはない。デスクを向かい合わせにすれば会議もできる。八坪に会議室を作る余裕はない。
電気の契約。ネットの契約。
ネットは光回線を引いた。月五千五百円。デイトレとSNS運用には高速回線が必須だ。
——月曜日の朝。オフィスに出勤した。
初めての「出勤」だ。
家を出て、自転車で十二分。駅前の雑居ビル。階段を四階まで上がる。鍵を開ける。蛍光灯をつける。
PCを置いた。デイトレ用のモニターを並べた。自宅から持ってきた。
椅子に座った。
——誰もいない。
八坪の部屋に、俺一人。
二十年間の引きこもり部屋も一人だった。今も一人だ。
だが違いがある。
引きこもり部屋には、出る理由がなかった。
このオフィスには、人が来る予定がある。
まだ来ていない。だが来る。来させる。そのためにこの部屋を借りた。
——求人票を書いた。
オフィスのデスクで書いた。自宅の二階ではなく、オフィスで。
「株式会社ギルド スタッフ募集
ゲーム業界に特化したWEBマーケティング会社です。
業務内容:SNS運用補助、コンテンツ制作
勤務地:〇〇駅 徒歩4分(雑居ビル4階)
ゲームが好きな方歓迎」
——ゲームが好きな方歓迎。
三年前、マチアプのプロフィールに「ゲームが好きです」と書いて全滅した。
今は求人票に書いている。ゲームが好きなことが採用条件になる会社を、自分で作った。
求人サイトに掲載した。掲載料二万円。
それとは別に、吉田さんに事務の人を紹介してもらう連絡をした。
「面接はオフィスでやりますか」と吉田さんに聞かれた。
「はい。オフィスで」
オフィスでやる。面接を。俺が面接官をやる。
三年前、模擬面接で教室を凍らせた男が。
応募を待つ。
——その夜、帰宅して布団に入った。
天井の染みを見た。
雨漏りの跡。この染みを何百回見たか。フリーズの夜。不眠の夜。リナの夜。
だが今夜は違うことを考えている。
明日もオフィスに行く。明後日も行く。毎日行く。
毎月十二万の家賃を払い続ける。払い続けるために稼ぐ。稼ぐために人を雇う。人を雇うために面接する。
固定費は恐怖だ。
だが固定費は覚悟でもある。
十二万の家賃を払い続けると決めた瞬間、「いつでも辞められる」という逃げ道が狭くなった。
ゲームなら、ギルドハウスの維持費を払っている間は、ログインし続けるしかない。ログアウトしたら維持費だけが溜まっていく。
ログアウトしない。
この八坪から、始める。
残金:1,140,039円
(内訳:証券口座24万8,000円 + 銀行15万2,039円 + NISA45万円 ※NISA評価額+88,200円
+ 法人口座29万1,800円)
※法人口座から支出:
保証金(家賃3ヶ月):−360,000円
初月家賃:−120,000円
仲介手数料:−120,000円
デスク4台+椅子4脚+本棚+ゴミ箱:−49,250円
光回線初期費用:−16,500円
※個人収入(今月分):
SNS運用(二社):+300,000円
WEBマーケ月額:+20,000円
株デイトレ確定利益:+58,000円
YouTube広告:+16,000円
サイト広告:+7,500円
※求人サイト掲載料:−20,000円
※個人生活費:約75,000円
※NISA積立:−30,000円
★法人口座から初期費用66万超が出ていった★
★月の固定費:家賃12万+光回線0.55万=12.55万(社員人件費はまだ)★
★8坪。デスク4つ。椅子4脚。人は1人。空席3つ★
★空席を埋めるために、面接をする★




