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第35話 名刺


 デイトレのフェーズ2は、八ヶ月で終わった。

 五十万を二百万にするフェーズだ。

 スキャルピングで月八~十二万の安定収益を出しながら、四半期に一度の決算シーズンでレバレッジをかけた。

 最初の決算トレードは控えめだった。コミュニティの温度感で「上振れる」と読んだ銘柄に、信用二倍で張った。決算翌日に18%のギャップアップ。利益二十三万。

 二回目の決算トレードで、初めて負けた。

 読みが外れた。コミュニティでは好評だったゲームの運営会社が、開発費の増大で減益決算を出した。ユーザーの課金額は増えていたが、それ以上に開発に金を使っていた。

 ユーザーの温度感だけでは見えないものがある。IRの数字も読まないといけない。

 損切りルールに従って、翌朝の寄り付きで切った。損失九万円。

 九万。痛い。だが口座は溶けなかった。ルールが機能した。

 損失九万を、翌月のスキャルピングで取り返した。一ヶ月半で回収。

 これがデイトレの強みだ。負けても、翌日から取り返せる。相場は毎日開く。毎日チャンスがある。

 三回目の決算トレードで大きく取った。

 VR対応を発表したゲーム会社。YouTubeのコメント欄で半年前から「VR版出してほしい」という声を追っていた。IR資料の設備投資額の増加。開発者の採用情報。断片的な情報を組み合わせて、「次の決算で何か出る」と読んだ。

 信用二倍で張った。

 決算発表。VR対応タイトルの開発を正式発表。株価がストップ高。

 利益五十二万。

 一回の取引で五十二万。

 口座残高が一気に跳ねた。

 ——フェーズ2完了。証券口座二百十万。

 フェーズ3に入った。二百万から五百万。

 フェーズ3はフェーズ2より速かった。資金が大きくなると、同じ利益率でも絶対額が大きい。複利の力だ。

 二百万の10%は二十万。五十万の10%は五万。同じ10%でも、四倍の差がある。

 スキャルピングの月間収益が二十万を超える月が出てきた。決算トレードと合わせて、月平均三十万。

 ——SNS運用の月十五万より、デイトレの方が稼いでいる。

 だがデイトレには波がある。負ける月もある。SNS運用は毎月確実に十五万が入る。

 安定収入と変動収入。両方あるから安心できる。どちらか一方だけでは不安だ。

 分散だ。また分散。

 ——フェーズ3に入って五ヶ月目。

 証券口座の残高が五百万を超えた。

 五百十三万円。

 十四万から始めて、一年二ヶ月。

 BNFは四年で億に届いた。cisは七年だった。俺は一年二ヶ月で五百万。スケールは比べものにならないが、計画通りに進んでいる。

 ——五百万。

 税理士の吉田さんが言っていた数字だ。「法人化の資本金は三百万から五百万あった方がいい」。

 五百万ある。

 法人化できる。

 ——吉田さんに電話した。

 「証券口座が五百万を超えました」

 「早いですね。デイトレですか」

 「はい」

 「……時田さん、法人化の話、本気で検討しますか」

 「はい。来年の税金を考えると、今のうちに」

 事業所得が年間三百万を超える見込みだ。SNS運用百八十万。WEBマーケ二十四万。広告収入約三十万。合わせて二百三十万以上。ここから経費を引いても、所得税の税率が20%の区間に入る。

 法人税の実効税率は約25%だが、役員報酬を自分に払って所得を分散すれば、トータルの税負担は個人より軽くなる。吉田さんが試算してくれた。

 「株の利益から資本金を出す形ですね。特定口座から出金して、法人の資本金に充てる」

 「はい」

 「では、設立の手続きを進めましょう。合同会社と株式会社、どちらにしますか」

 「違いは何ですか」

 「合同会社は設立費用が安い。六万円くらいで作れます。株式会社は二十万くらいかかりますが、対外的な信用は株式会社の方が上です」

 信用。

 四十三歳。大学中退。職歴なし。信用がゼロの男が、会社の「信用」を語っている。

 「株式会社で」

 言った。

 株式会社。代表取締役。

 どうせ作るなら、一番上の肩書きがいい。ゲームで最強装備を選ぶのと同じだ。性能が同じでも見た目が良い方を選ぶ。

 ——設立手続きに入った。

 定款の作成。吉田さんが紹介してくれた司法書士に依頼した。

 会社名を決める必要がある。

 二十分悩んだ。攻略サイトのドメイン名を決めた時と同じだ。

 ゲーム関連の名前にしたかった。だが「ゲーム」を入れると、ゲーム会社だと思われる。俺はゲーム会社ではない。WEBマーケティングの会社だ。

 ゲームの知識を使ったWEBマーケティング。

 ——ギルド。

 ギルドという言葉は、ゲーム用語であると同時に、中世ヨーロッパの職業組合を意味する。同じ技術を持った職人が集まる組織だ。

 今は俺一人だ。だがいつか、同じ志を持った人間が集まるかもしれない。

 株式会社ギルド。

 検索した。同名の会社がないか確認した。あった。いくつかある。

 ギルドマーケティング。ギルドワークス。ギルドラボ。

 もう少し考えた。

 ——ギルドマスター。

 いや、それは自分の役職だ。会社名にするのは恥ずかしい。

 結局、シンプルにした。

 株式会社ギルド。同名があっても所在地が違えば登記できる。

 定款を作成した。事業目的は「WEBマーケティングに関する業務」「SNS運用代行」「ウェブサイトの企画・制作・運営」「インターネットを利用した広告業」「前各号に付帯関連する一切の業務」。

 資本金五百万円。

 証券口座から五百万を出金した。

 口座残高が五百十三万から十三万に戻った。

 ——十四万で始めて、五百万に育てて、五百万を抜いた。残ったのは十三万。

 振り出しに戻った。

 いや、振り出しではない。十三万は「また育てる種」だ。一度やった。もう一度やれる。

 法務局に登記申請した。

 一週間後、登記が完了した。

 「株式会社ギルド 設立登記完了のお知らせ」

 会社ができた。

 ——名刺を作った。

 ネットの名刺印刷サービスで注文した。百枚で千五百円。

 デザインは自分で作った。WordPressでバナーを作った経験がある。Canvaで名刺テンプレートを選んで、情報を入れた。

 三日後、届いた。

 小さな箱を開けた。

 白い紙の束が入っている。

 一枚取り出した。

 ——

 株式会社ギルド

 代表取締役 時田浩平

 WEBマーケティング / SNS運用 / コンテンツ制作

 〒×××-×××× 東京都〇〇市……

 TEL:×××-××××-××××

 Mail:info@guild-xxxxx.com

 URL:https://guild-xxxxx.com

 ——

 小さな紙だ。九十一ミリ×五十五ミリ。

 この紙の上に、俺の名前と肩書きが書いてある。

 代表取締役 時田浩平。

 三年前、この名前にはどんな肩書きもなかった。ニート。引きこもり。子供部屋おじさん。

 今、この名前の横に「代表取締役」と書いてある。

 名刺を持ったまま、しばらく動けなかった。

 ——後藤さんに名刺を送った。郵送で。

 手紙を添えた。

 「後藤さん。三年間お世話になりました。会社を作りました。名刺ができたので送ります。模擬面接でギルドマスターの話をした日から、ここまで来ました。後藤さんが『使えるぞ』と言ってくれなかったら、たぶん来られませんでした。ありがとうございます。時田浩平」

 村瀬にはサイゼリヤで渡した。

 ミラノ風ドリアを食いながら、名刺を差し出した。

 村瀬が受け取った。

 「株式会社ギルド。代表取締役。時田浩平」

 声に出して読んだ。

 「……まじか」

 「まじだ」

 「あんた、本当に社長になったのか」

 「一人会社の社長だけどな。社員は俺だけだ」

 「社員が社長一人でも、社長は社長だ」

 村瀬がドリンクバーのウーロン茶を持ち上げた。

 「乾杯するか」

 「ウーロン茶で?」

 「ウーロン茶で」

 プラスチックのコップを合わせた。

 カチ、と軽い音がした。

 「おめでとう。ここからが本番だな」

 「ここからが本番だ」

 ——長谷川さんにもLINEで報告した。名刺の写真を撮って送った。

 「時田さん!! 社長さんになったの!! すごいわねえ!!」

 感嘆符が六つ。長谷川さんは感嘆符が多い。

 「社長って言っても一人だけですけど」

 「一人だって立派よ。あの訓練校でExcel教えてくれてた時田さんが社長さん。先生にも教えてあげなきゃ」

 訓練校の先生には吉田さん経由で伝わっているはずだ。HP修正の縁で繋がっている。

 「今度お祝いしましょ。何が食べたい?」

 「長谷川さんの黒豆」

 「笑 年末まで待ちなさい」

 ——メンタルクリニックに行った。

 三ヶ月ぶりの通院だ。通院間隔がどんどん広がっている。

 先生に名刺を見せた。

 「会社を作りました」

 先生が名刺を見た。丸い眼鏡の奥の目が少し大きくなった。

 「代表取締役。すごいですね」

 「眠剤、もう三ヶ月以上飲んでいません」

 「処方はどうしますか」

 「……お守りとして、少しだけもらえますか。飲まないと思いますけど。持ってると安心するので」

 先生が頷いた。

 「分かりました。最小限出しておきます。飲まなくても持っていていいですよ。お守りは大事です」

 リングフィットが体の道具なら、眠剤は脳の道具だ。使わなくなっても、道具箱には入れておく。

 「だいぶ安定しましたね」

 「はい」

 「最初に来た時は、布団から出られないと言っていましたね」

 最初に来た時。正月の後だ。不眠で、不安で、将来が見えなくて。

 「今は、布団から出られます」

 「出られるようになった理由は何だと思いますか」

 「……やることがあるから。朝起きたらやることがある。見る画面がある。返すコメントがある。読む板がある。やることがある限り、布団から出られます」

 先生が微笑んだ。

 「それが一番の薬ですね」

   残金:1,008,039円

   (内訳:証券口座13万円 + 銀行49万8,039円 + NISA42万円 ※NISA評価額+82,500円

    + 法人資本金500万円 ※法人口座に移動済み)

   ※個人の残金は100万だが、法人資本金500万は時田浩平の資産

   ※収入:SNS運用 +150,000円(契約更新済み。二社目の打診あり)

   ※収入:WEBマーケ月額 +20,000円

   ※収入:株デイトレ確定利益 +0円(資本金拠出後。13万で再スタート)

   ※収入:YouTube広告 +18,000円(登録者12,000人に成長)

   ※収入:サイト広告 +8,000円

   ※食費:約16,000円

   ※光熱費:約8,000円

   ※通信費:約11,500円

   ※国民健康保険 → 法人化後は社会保険に切替予定

   ※ジム月額:約7,800円

   ※プロテイン:約3,200円

   ※レンタルサーバー+ドメイン:約1,100円

   ※法人設立費用:約220,000円(登録免許税15万+定款認証5万+司法書士2万)

   ※名刺印刷:1,500円

   ※NISA積立:−30,000円

   ★株式会社ギルド設立。資本金500万。代表取締役時田浩平★

   ★証券口座:14万→513万→資本金拠出→13万。振り出しではなく再スタート★

   ★デイトレ実績:1年2ヶ月で14万→513万。約36倍★

   ★YouTube登録者12,000人。SNS二社目の打診あり★

   ★眠剤:3ヶ月以上服用なし。お守りとして処方のみ★

   ★メンクリ先生「それが一番の薬ですね」★

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