第34話 確定申告
二月。税務署から封筒が届いた。
市役所からの封筒は見慣れていた。国民健康保険の通知。住民税の通知。だが税務署からは初めてだ。
開けた。
「確定申告のお知らせ」。
確定申告の時期は二月十六日から三月十五日です。期限内に申告してください。
——確定申告。
後藤さんが言っていた。「確定申告のことも考えろ。来年の確定申告で地獄を見る前に今から準備しとけ」。
準備していなかった。
一年半分の収入がある。Uber。せどり。クラウドソーシング。攻略サイト広告。YouTube広告。HP修正。リフォーム会社のSEO。ゲーム会社のSNS運用。株のデイトレ。
九種類の収入。
九種類の収入を、一度も申告していない。
——やばい。
やばいという言葉では足りない。二十年間引きこもっていた男は、税金という概念から完全に離れていた。収入がなければ税金はない。税金がなければ確定申告もない。
収入ができたのに、税金のことを忘れていた。
いや、忘れていたのではない。知らなかった。
サラリーマンは会社が税金を天引きしてくれる。俺はサラリーマンではない。天引きしてくれる人がいない。自分でやらないといけない。
自分でやる方法を知らない。
——ネットで調べた。
「確定申告 やり方 フリーランス」
大量の情報が出てきた。読んだ。三時間読んだ。
理解できたこと。
一、年間の収入が四十八万円を超えたら確定申告が必要。超えている。はるかに超えている。
二、収入から経費を引いた金額が「所得」。所得に対して税金がかかる。
三、経費。事業に必要な出費は経費として引ける。ガソリン代。通信費。サーバー代。梱包資材。
四、白色申告と青色申告がある。青色の方が控除が大きいが、事前に届け出が必要。届け出ていない。
五、届け出ていない場合は白色申告になる。控除は少ないが、申告しないよりマシ。
六、申告しないと「無申告加算税」と「延滞税」がかかる。
——無申告加算税。
申告しなかった場合のペナルティ。税額の15%~20%が追加される。
さらに延滞税。納付が遅れた期間に応じて年利数%がかかる。
一年半分の収入を全く申告していない。ペナルティが上乗せされる。
胃が痛くなった。
株で八十二万溶かした朝と同じ痛みだ。
——落ち着け。
パニックになるな。パニックになると判断を誤る。株で学んだ。リナで学んだ。
データを集める。状況を正確に把握する。それから判断する。
ノートを開いた。訓練校のノート四冊目だ。
過去一年半の収入を全部書き出した。
銀行の入出金履歴。メルカリの売上履歴——BANされてアクセスできない。ヤフオクとラクマの売上。Uberの報酬明細。CrowdWorksの報酬明細。Googleアドセンスの支払い。YouTubeの収益レポート。リフォーム会社とゲーム会社からの振り込み。
全部エクセルに入力した。訓練校で覚えたExcelだ。SUMIFで月ごとに集計した。
一年半の収入合計を見た。
——想像より多かった。
一つ一つは小さい。Uber月五万。せどり月三万。広告月千円。だが全部足すと、一年半でかなりの額になっている。
そしてその大部分に対して、所得税と住民税がかかる。
概算で計算した。
——払えなくはない。払えなくはないが、痛い。
しかも無申告のペナルティが上乗せされる。
——一人では無理だ。
分かった。一人では無理だ。
後藤さんの声が聞こえる。「一人で抱えるな」。
プロに頼む。税理士だ。
「税理士 相談 フリーランス」で検索した。
無料相談をやっている税理士事務所がいくつか見つかった。
電話した。電話するのは怖くなくなっていた。二年前は電話ができなかった。ハローワークに電話するだけで三十分かかった。今は普通にかけられる。
「あの、確定申告の相談をしたいんですが。一年半分、申告してなくて」
電話口の女性が少し黙った。
「一年半分ですか。収入の種類はどのくらいありますか」
「九種類くらいです」
「……来所いただけますか」
——翌週。税理士事務所。
小さなビルの二階。税理士の先生は四十代の女性だった。名前は吉田さん。
Excelで作った収入一覧を印刷して持っていった。
吉田さんがそれを見た。
「……整理されてますね。Excelでここまでまとめてくる方は珍しいです」
訓練校のExcelが役に立っている。
「ただ、経費の記録がほとんどないですね」
「経費って何が経費になるんですか」
「事業に使ったお出費です。時田さんの場合——ガソリン代はUberの経費ですね。通信費のうち事業で使っている割合。レンタルサーバー代。梱包資材。百均で買った三脚やリモコン。ユニクロの服は——これはどういう用途ですか」
「マチアプの写真用に——いえ、その、仕事の打ち合わせ用です」
「打ち合わせ用なら、衣装代として一部経費にできる場合もあります。PCは?」
「二十年前に買ったやつで——」
「減価償却は終わってますね。新しいPCを買ったら経費になります」
経費。経費という概念が、少しずつ理解できてきた。
金を使うと、その一部が税金から引ける。引いた分だけ、税金が安くなる。
ゲームで言えば、装備を買うとステータスが上がるが、同時に税金というデバフが軽減される。装備は経費だ。
「それと、株式の利益は確定申告が必要ですが、特定口座の源泉徴収ありにしていれば、証券会社が税金を天引きしてくれます。時田さんの口座はどうなっていますか」
「特定口座の源泉徴収ありです」
口座を開いた時に、よく分からないまま「源泉徴収あり」を選んでいた。二年前の自分に感謝した。あの時「なし」を選んでいたら、デイトレの利益全部を自分で申告しないといけなかった。
「では株の利益は申告不要です。ただし、損失が出た年に申告しておくと、翌年以降の利益と相殺できます。一年目に損失がありましたよね」
「八十二万溶かしました」
「それを申告していれば、今年の利益と相殺して税金が減ったんですが——申告していないですよね」
「していないです」
「もったいない。まあ、過ぎたことです」
八十二万の損失を申告していれば、今年の利益と相殺できた。損失にも価値があった。その価値を捨てていた。
知らないということは、金を捨てることだ。
「全体の所得と税額を計算しますので、一週間ほどお時間ください。顧問料は——」
「いくらですか」
「確定申告の作成で五万円。今後、継続で顧問契約されるなら月一万円です」
月一万円。
高いか安いか分からない。だが一人でやって間違えるリスクを考えれば、プロに払う方が安い。
「お願いします」
——一週間後。吉田さんから電話が来た。
「計算が出ました。来所いただけますか」
税理士事務所。吉田さんの机の上に書類が並んでいる。
「まず、一年半分の所得税と住民税の概算です」
吉田さんが紙を回してきた。
【一昨年(8月〜12月の5ヶ月間)】
収入合計:約38万円(Uber 25万+せどり 8万+その他 5万)
経費合計:約9万円
所得:約29万円
※基礎控除48万以下のため所得税ゼロ
※住民税:均等割のみ 約5,000円
【昨年(1月〜12月)】
収入合計:約228万円
Uber Eats 64万、せどり粗利 58万、
クラウドソーシング 10万、HP修正 8万、
WEBマーケ月額 6万、SNS運用 15万(12月分)、
サイト広告 3万、YouTube広告 8万、
求職者支援給付金 50万 → ★非課税
課税対象収入:約178万円(給付金を除く)
経費合計:約34万円
(ガソリン8万、通信費按分7万、サーバー1.3万、
梱包資材1.5万、取材用ゲーム課金2万、その他14.2万)
事業所得:約144万円
所得控除:
基礎控除 48万、社会保険料控除 12万(国保+年金免除分)
課税所得:約84万円
所得税(税率5%):42,000円
復興特別所得税:882円
住民税(税率10%):84,000円
合計:126,882円
「ここに無申告加算税が乗ります」
【ペナルティ】
無申告加算税(自主申告のため5%):6,344円
延滞税(概算):約4,200円
合計ペナルティ:約10,544円
【納付総額:約142,400円】
十四万二千四百円。
手切れ金百万のうち、十四万を税金で持っていかれる感覚だ。
「想像よりは安いですか? 高いですか?」
「……想像がつかなかったので、何とも」
「経費をきちんと計上したので、だいぶ圧縮されています。経費の記録がなかったらもっと高かったですよ。あと、給付金が非課税なのが大きいです。あれが課税対象だったら、税率が10%の区間に入って跳ね上がっていました」
十四万。残金百三十六万のうちの十四万。払える。痛いが、払える。
だが問題は来年だ。
SNS運用が月十五万で年百八十万。デイトレの利益は特定口座で天引きされるから別。それ以外にWEBマーケ、広告収入、YouTubeを足すと、来年の事業所得は二百五十万を超える可能性がある。
「来年は所得税の税率が上がりますね。課税所得が百九十五万を超えると、税率が5%から10%に上がります」
税率が倍になる。稼ぐほど税金が増える。
「あと、消費税は大丈夫ですか」
消費税。商品を買う時に払うあの10%だ。売る側も払うのか。
「今は大丈夫です。年間の課税売上が一千万円以下の事業者は消費税が免除されます。時田さんは今のところ免税事業者です」
一千万。今の収入なら遠い数字だ。
「ただし、インボイス制度というのが始まっていまして。企業と取引する場合、インボイス登録していないと先方が消費税の控除を受けられなくなります。ゲーム会社やリフォーム会社から、登録を求められる可能性があります」
「登録すると?」
「免税事業者でも消費税を納める義務が生じます。売上の10%ではなく、実際にはもう少し複雑な計算になりますが。今すぐ必要ではないですが、クライアントが増えてきたら検討してください」
消費税まで取られるのか。稼いだ金からあちこち引かれていく。
だが引かれるということは、稼いでいるということだ。引かれるものがない人生より、ましだ。
「無申告加算税は、自主的に申告すれば5%に軽減されます。税務署から指摘される前に自分から申告するのが重要です。今から出せば間に合います」
自主的に申告すれば5%。指摘されてからだと15%〜20%。
早く来てよかった。後藤さんが「今から準備しとけ」と言っていた意味が分かった。
「それと、時田さん」
「はい」
「来年以降の話なんですが。今の収入規模がこのまま続くなら、法人化を検討された方がいいかもしれません」
法人化。
「個人事業主のままだと、所得が増えるほど税率が上がります。累進課税です。法人にすると、法人税の税率は一定です。一定のラインを超えたら、法人の方が税金が安くなります」
「一定のラインって、いくらですか」
「所得で年間五百万から八百万くらいが目安です。時田さんの場合、SNS運用が月十五万で年百八十万。株の利益は特定口座なので別ですが、それ以外の事業所得を合算すると——来年は超える可能性があります。特にSNS運用のクライアントが増えれば」
法人化。
会社を作る。
四十二歳。大学中退。職歴なし。
会社を作る。
「法人化するには資本金が要りますよね」
「一円から作れます。ただ、取引先への信用を考えると、百万円以上あった方がいいです。理想は三百万から五百万」
三百万から五百万。
証券口座に六十万ある。デイトレで増やしている。フェーズ2の目標は二百万。フェーズ3で五百万。
五百万。届くかもしれない。
「すぐに決める必要はありません。来年の確定申告までに判断すればいいです。今年はまず、きちんと申告して、青色申告の届け出を出しましょう」
「青色申告」
「控除が六十五万円あります。来年からは税金がだいぶ楽になりますよ」
六十五万円の控除。知らなかった。知らないから損をしていた。
知らないということは金を捨てることだ。二回目の教訓だ。
——帰り道。自転車を漕ぎながら考えた。
確定申告。経費。青色申告。法人化。
二十年間、税金を払ったことがなかった。収入がなかったから。
今、税金を払う。
税金を払うということは、稼いでいるということだ。
稼いでいるということは、社会に参加しているということだ。
二十年間、社会の外にいた。税金を払わず、社会に何も貢献せず、部屋で画面を見ていた。
今、税金を払う。社会参加費だ。
痛い。だが払える。払えることが、嬉しい。
——村瀬にLINEした。
「確定申告した。税金やばかった」
「いくら持ってかれた」
金額を送った。
「うわ。でもそれだけ稼いでるってことだろ。俺のサラリーマンの天引きと比べたらまだマシだ」
「税理士に法人化を勧められた」
「法人化? あんた、会社作るのか」
「まだ分からない。株の利益がもう少し増えたら考える」
「四十二歳で会社設立か。すごいな」
「すごくない。一人会社だ。社員ゼロ。社長兼社員兼経理兼雑用」
「それでも社長は社長だろ。名刺に代表取締役って書けるぞ」
代表取締役 時田浩平。
冗談みたいだ。
だが冗談ではなくなるかもしれない。
残金:1,219,039円
(内訳:証券口座65万3,000円 + 銀行29万6,039円 + NISA36万円 ※NISA評価額+68,400円)
※収入:SNS運用 +150,000円
※収入:WEBマーケ月額 +20,000円
※収入:株デイトレ確定利益 +45,000円(通常月)
※収入:YouTube広告 +14,000円
※収入:サイト広告 +6,000円
※食費:約16,000円
※光熱費:約12,000円(冬)
※通信費:約11,500円
※国民健康保険:約3,800円(前年収入増で改定)
※ジム月額:約7,800円
※プロテイン:約3,200円
※レンタルサーバー+ドメイン:約1,100円
※NISA積立:−30,000円
※税理士顧問料:−10,000円(今月から)
※確定申告作成費:−50,000円
※所得税+住民税+無申告加算税+延滞税:−142,400円(一年半分。一括納付)
★残金121万。税金14.2万の出費。だが払えた★
★証券口座65.3万。フェーズ2(50万→200万)進行中★
★税理士と顧問契約。月1万で「知らない→知ってる」を買う★
★青色申告届出済み。来年から65万控除★
★法人化の種まき。資本金500万が目標に浮上★
★「税金を払う=社会に参加している」★




