第32話 再戦
証券口座に十四万円が残っている。
二年間、一度も触らなかった。
あの日、含み益に浮かれて、追証で叩き落とされて、八十二万を溶かした口座だ。残った十四万は傷跡のように残っていた。
二年間、NISAの積立だけやってきた。毎月三万。元本六十三万。評価額は約七十万。堅実で、安全で、退屈だ。
NISAは触らない。老後の保険だ。
問題は、十四万の方だ。
——BNFという男がいる。
ネットで見つけた。百六十万を元手に、数年で数十億にした個人トレーダー。
もう一人、cisという男がいる。三百万から数百億にした。
どちらもデイトレーダーだ。
一日の中で売買を完結させる。朝買って、昼に売る。あるいは、数分で買って数分で売る。一回の利益は小さい。だがそれを一日に何度も繰り返す。
そして複利で回す。
十四万を毎月15%で複利運用すると、一年後に約七十二万。二年後に約三百七十万。二年半で二千五百万に届く。
計算上は。
計算上の話だ。毎月15%を安定して出すのは、プロでも難しい。
だが計算上は届く。その事実だけで、心臓が跳ねた。
——BNFとcisの手法を二週間かけて調べた。
YouTube。ブログ。掲示板のまとめ。書籍。攻略情報を集めるのと同じだ。
BNFは逆張り。下がりすぎた株を買って、反発で売る。二十五日移動平均線からの乖離率を見る。
cisは順張り。上がっている株に乗って、勢いが止まる前に降りる。
どちらも共通しているのは、損切りが速いこと。そして一日の中で完結させること。
——デイトレ。
一日で完結する。
これが重要だ。二年前、俺は株を持ったまま夜を過ごした。含み益を抱えて眠れなくなった。含み損を抱えて吐きそうになった。
夜に持ち越すから、感情が入る。
日中に完結すれば、夜はフラットだ。ポジションがゼロなら、不安もゼロだ。
——だがデイトレには技術が要る。
板読み。
株の売買画面には「板」がある。買いたい人と売りたい人の注文が、価格ごとに並んでいる。
板を見た瞬間、ギルドマスター時代のレイド画面がフラッシュバックした。
レイドでは、画面に大量の情報が表示される。ボスのHP。メンバーのHP。バフとデバフの残り時間。次の攻撃の予兆。全部を同時に見て、瞬時に判断して、指示を出す。
板読みは同じだ。
買い注文の量。売り注文の量。その比率。大口の注文が入った位置。注文が増えている方向。全部を同時に見て、瞬時に判断して、売買する。
レイドのHP管理と同じだ。ボスのHPが減る速度を見て「あと何ターンで倒せる」と判断していた。株価の動きを見て「あとどれだけ上がるか」を判断する。
五分足チャート。五分ごとの値動きをローソク足で表示する。
これはボスのフェーズ移行だ。
ボスは一定のHPを切ると行動パターンが変わる。フェーズ1では通常攻撃。フェーズ2では範囲攻撃。フェーズ3では即死技。
株価も同じだ。寄り付き直後は値動きが激しい。九時半を過ぎると落ち着く。十一時前に一度動く。後場の寄り付きでまた動く。十四時半から大引けにかけて最後の波が来る。
一日の中にフェーズがある。フェーズごとに動き方が違う。
ゲーマーは、パターンを読む生き物だ。
——ルールを決めた。ノートに書いた。
一、信用取引は総資産の二倍まで。フェーズ2に入ったら段階的に使う。
二、一銘柄は総資産の三分の一まで。
三、ゲーム関連銘柄のみ。知識の外に出ない。
四、損切りは買値から0.5%下で機械的に。デイトレの損切りはスイングより浅い。
五、利確は1~3%を目安に段階的に。欲張らない。
六、原則、大引けまでに手仕舞い。日をまたがない。
七、月の最大損失が総資産の15%に達したらその月は停止。
七つのルール。
第六のルールが最も重要だ。日をまたがない。夜にポジションを持たない。
——ただし例外がある。
日をまたぐ判断基準も決めた。
またがない。引け前に材料が出尽くしている時。出来高が減ってきている時。翌日に決算発表などのリスクイベントがある時。大引けで手仕舞い。翌朝はゼロからスタート。
ダンジョンを途中でセーブして、翌日リスタートするのと同じだ。セーブすれば、死んでもセーブ地点からやり直せる。
またぐ。引け後にIR発表が予定されている時。YouTubeのコミュニティで翌日のアップデートへの期待が高まっている時。チャートが上昇トレンドの初動で、翌日の寄り付きでギャップアップが見込める時。
これはダンジョンを今日中にクリアする判断だ。途中でセーブせず、ボスまで一気に進む。リスクは高いが、報酬も大きい。
どちらを選ぶかは、情報量で決める。
情報が多ければまたぐ。情報が少なければまたがない。
——フェーズ1を開始した。
【目標】14万→50万。現物のみ。手法の検証期間。
最初の銘柄は、YouTubeで攻略動画を作ったことのあるソシャゲの運営会社だ。株価は八百円台。一日の値幅が十五~二十五円ある。出来高もそこそこ。デイトレ向きだ。
朝九時。市場が開いた。
寄り付き。八百二十円。板を見た。
買い板が厚い。売り板が薄い。買いの勢いが強い。
八百二十円で百株買った。八万二千円。
九時十五分。八百三十五円。十五円上がった。板を見た。買いの勢いが弱まっている。売りが増え始めた。
フェーズ移行だ。寄り付きの勢いが止まる。
八百三十五円で売った。百株。
利益千五百円。手数料を引いて約千四百円。
十五分で千四百円。
——息を吐いた。
千四百円。からあげクン五個分。十五分で。
だが浮かれるな。これは一回の勝ちだ。次は負けるかもしれない。
十時。株価が八百二十五円まで下がった。
再び板を見た。下値に大きな買い注文が入っている。八百二十円に五千株の買い板。壁だ。これ以上は下がりにくい。
八百二十五円で百株買った。
十時二十分。八百三十八円。再び上昇。
八百三十八円で売った。利益千二百円。
一日に同じ銘柄で二回転。合計利益二千六百円。
——これがスキャルピングだ。
小さい波を何度も取る。一回一回は小さい。だが積み重なる。
ゲームの経験値稼ぎと同じだ。雑魚モンスターを一体倒しても経験値は少ない。だが百体倒せば、レベルが上がる。
問題は、負ける日もあることだ。
——三日目。
朝の寄り付きで買った。八百三十円。
上がると思った。前日の引け後に、この会社の新イベント告知がTwitterで出ていた。ユーザーの反応が良かった。
だが寄り付きで一瞬上がった後、下がり始めた。
八百三十円→八百二十五円→八百二十円→八百十五円。
損切りラインに達した。買値から0.5%下。八百二十六円が損切りライン。
すでに超えている。
——切れ。
二年前は切れなかった。「戻るかもしれない」と思って持ち続けて、八十二万溶かした。
今は違う。
八百十五円で売った。損失千五百円。
胃が痛い。だが痛くていい。千五百円の痛みで済んだ。二年前は八十二万の痛みだった。
損切りは治療だ。傷が小さいうちに切れば、すぐ治る。放置すると壊死する。
——最初の一ヶ月の成績。
トレード日数:十八日。
勝ち:十二日。負け:六日。勝率67%。
総利益:約三万二千円。総損失:約一万一千円。
純利益:約二万一千円。
月利:15%。
15%。
計画通りだ。計画通りの15%が出た。
出来すぎだ。来月は負けるかもしれない。相場が悪い月もある。
だが最初の一ヶ月で手法が機能することは確認できた。
——二ヶ月目。
勝率が落ちた。58%。相場全体が軟調で、ゲーム株も下がった。
だが損切りルールが効いた。負けた日の損失が小さい。勝った日の利益の方が大きい。
月利8%。先月より落ちたが、プラスはプラスだ。
三ヶ月目。
YouTubeのコミュニティで、あるゲーム会社の新作に対する期待感が急速に高まっているのを感じた。コメント欄で「事前登録した」「PVがすごい」という書き込みが増えている。
この温度感は株価に反映されるまでにタイムラグがある。ユーザーの興奮が決算の数字に出るまで一~二ヶ月。だが株価は期待で先に動く。
——ここで「またぐ」判断をした。
その銘柄を引け前に買った。千二百円で百株。
通常なら大引けで手仕舞いする。だが今回は情報がある。コミュニティの温度感という、アナリストのレポートには出ない情報だ。
持ち越した。
翌朝。
寄り付き。千二百六十円。ギャップアップ。前夜にゲームメディアが新作の先行レビューを出していた。高評価だった。
千二百六十円で寄って、千三百二十円まで上がった。
千三百円で売った。利益一万円。
一晩で一万円。
日をまたぐ判断が当たった。
だが毎回当たるわけではない。またいで下がることもある。だから原則はまたがない。情報がある時だけまたぐ。
——三ヶ月の合計。
純利益:約五万六千円。
証券口座:十四万→十九万六千円。
三ヶ月で+40%。
悪くない。だがこのペースだけでは二千五百万は遠い。
スキャルピングは「雑魚狩り」だ。確実に経験値は入るが、一回あたりが小さい。レベルが上がるまでに時間がかかる。
ゲームで効率よくレベルを上げるには、雑魚狩りだけではダメだ。要所でボスを倒す必要がある。ボスは経験値が大きい。一体倒すだけで、雑魚百体分の経験値が入る。
株のボスは何だ。
決算だ。
四半期に一回、企業が業績を発表する。市場の予想を上回れば株価が跳ねる。下回れば沈む。一晩で10%、20%動くことがある。
決算はリスクだ。どちらに動くか分からないから、普通のトレーダーは決算前にポジションを外す。
だが——
俺には、普通のトレーダーにはない情報がある。
——六ヶ月目。証券口座は三十二万まで育っていた。
スキャルピングとスイングの組み合わせで、月平均12%。良い月は20%、悪い月は3%。ルールを破らなかった月は全てプラスで終わった。
その月、異変を感じた。
YouTubeのコメント欄だ。
俺が攻略動画を出しているソシャゲがある。運営は中小メーカーのD社。株価は六百円台。時価総額が小さい。出来高も少ない。普段は誰も注目しない銘柄だ。
そのD社のゲームのコメント欄が、二ヶ月前から明らかにおかしかった。
「課金しすぎて今月やばい笑」「限定ガチャ回しすぎた」「このイベント、財布が死ぬ」。
課金報告が増えている。
普通のアナリストはYouTubeのコメント欄を読まない。証券会社のレポートにはこの情報は載らない。
だが俺は毎日読んでいる。八千人のコミュニティの温度を、毎日肌で感じている。
このゲーム、今期の売上が跳ねている。
コメント欄だけではない。ゲーム内のランキングを見た。課金でしか手に入らない限定キャラの所持率が、前回イベントの二倍近い。
ユーザーが金を使っている。明らかに、前四半期より多く使っている。
D社の前期の営業利益は二億円だった。コンセンサス予想は二億三千万。
俺の肌感覚では、もっと行っている。三億は超えるかもしれない。
コンセンサス予想を30%以上上回る決算が出たら、株価は跳ねる。時価総額が小さい銘柄ほど、跳ね方が大きい。
——決算発表は二週間後だ。
ここで決断を迫られた。
通常のルールなら、決算前にポジションは外す。結果がどう出るか分からないリスクイベントだからだ。
だが今回は「分からない」ではない。
俺には予感がある。いや、予感ではない。根拠がある。コメント欄の課金報告。ランキングの所持率データ。コミュニティの温度。
アナリストが見ていない情報を、俺は持っている。
——信用取引を使う。
ルール第一条。信用取引は総資産の二倍まで。
三十二万の二倍で六十四万。
現物で三十二万。信用で三十二万。合計六十四万。
D社の株価六百二十円。六十四万なら約千株買える。
——千株。
手が震えた。二年前の追証がフラッシュバックした。
あの時も信用取引だった。あの時も「上がる」と思って全力で張った。
違う。あの時とは違う。
あの時は根拠がなかった。「なんとなく上がりそう」で買った。
今回は根拠がある。八千人のコミュニティから集めた、リアルタイムの消費者データだ。
あの時はルールがなかった。損切りラインもなかった。
今回はルールがある。決算が期待外れだった場合の撤退ラインを決めてある。翌朝の寄り付きで5%以上下がったら、成行で即売り。損失は最大三万二千円。口座の10%。痛いが、死なない。
——買った。
決算発表の三日前。六百二十円で千株。約六十二万円分。うち三十万が信用。
買った後、スマホを閉じた。
三日間は見ない。値動きを見ると感情が入る。決算まで待つ。
三日間、Uberをやった。せどりをやった。YouTubeの動画を編集した。普通に過ごした。
眠剤は——飲まなかった。
二年前なら眠れなかっただろう。含み益で興奮して、含み損で震えて。
今は寝られた。なぜなら、最悪のシナリオを受け入れているからだ。三万二千円の損失。痛いが、死なない。死なないなら寝られる。
——決算発表当日。引け後の十五時に発表。
十五時三十分。スマホを開いた。
D社のIRページ。決算短信。
売上高:前年同期比38%増。
営業利益:三億四千万円。
三億四千万。コンセンサス予想の二億三千万を48%上回った。
——勝った。
いや、まだだ。勝ったかどうかは、明日の寄り付きで決まる。
その夜、Twitterでゲーム系のインフルエンサーたちが決算を取り上げ始めた。「D社、決算サプライズ」「売上爆増」。個人投資家のブログにも出始めた。
翌朝九時。
D社の気配値を見た。
——買い気配。
寄り付かない。買い注文が殺到して、売り注文が足りない。値がつかない。
九時五分。まだ寄らない。
九時十二分。寄った。
七百八十円。
前日終値六百三十円から、一気に七百八十円。+23.8%。
千株持っている。
含み益。十五万円。
——ここだ。
二年前の俺は、ここで売れなかった。「もっと上がる」と思った。
今の俺は——
半分売った。五百株を七百八十円で売却。
確定利益:八万円。
残り五百株。まだ上がるかもしれない。だが半分は確定させた。
九時三十分。八百十円まで上がった。
さらに二百株を八百十円で売った。
確定利益追加:三万八千円。
残り三百株。
十時。八百三十円。
ここで止まった。出来高が減り始めた。買いの勢いが弱まっている。フェーズ移行だ。
残りの三百株を八百二十円で売った。
確定利益追加:六万円。
——全ポジション決済完了。
合計確定利益:十七万八千円。
十七万八千円。
一回の取引で。
スキャルピング半年分の利益を、一晩で超えた。
これがボス戦だ。雑魚百体分の経験値を一体で落とすボスだ。
——だが忘れるな。
これは成功したから言えることだ。
決算が期待外れだったら、翌朝に5%下がっていたら、三万二千円の損失だった。
成功した時のリターンが大きく、失敗した時のリスクが限定されている。そういう勝負だけを選ぶ。
毎回やるものではない。年に一回か二回。コミュニティの温度感で「これは来る」と確信した時だけ。
確信がない時は雑魚狩りを続ける。地味に、確実に、積み上げる。
そして確信が来た時だけ、レバレッジをかけてボスに挑む。
——証券口座の残高を見た。
四十九万八千円。
十四万から始めて、半年で約五十万。
フェーズ1の目標「14万→50万」。
ほぼ達成だ。
【ロードマップ】
フェーズ1:14万→50万 ★ほぼ達成★
フェーズ2:50万→200万(信用取引を本格導入)
フェーズ3:200万→500万(手法確立。再現性確認)
フェーズ4:500万→2,500万
フェーズ1の完了が想定より早かった。決算トレードが効いた。
だが再現性はまだ分からない。今回はコミュニティの読みが当たった。次も当たる保証はない。
BNFは四年かかった。cisは七年かかった。
俺はまだ半年だ。先は長い。
だが方向は見えている。
スキャルピングで基盤を固めて、決算で跳ねる。日々の雑魚狩りでレベルを上げて、ボスで一気に稼ぐ。
RPGの効率周回と同じだ。
ゲーマーは、効率を追求する生き物だ。
——帰り道。
コンビニに寄った。
二年前、含み益が出た夜にも同じコンビニに寄った。あの時はからあげクンを買って、ベンチで食った。含み益で浮かれていた。
今日もからあげクンを買った。
同じベンチに座った。
味は同じだ。
だが食っている人間が違う。
二年前の俺は含み益を利益だと思っていた。含み益は利益ではない。確定して初めて利益だ。
今日食っているからあげクンは、十七万八千円の確定利益の日に買っている。
二百五十二円。
実現した利益で食うからあげクンは、含み益で食うからあげクンより美味い。
残金:1,210,439円
(内訳:証券口座49万8,000円 + 銀行39万2,439円 + NISA30万円 ※NISA評価額+55,600円)
※収入:Uber Eats +46,000円
※収入:せどり粗利 +50,000円
※収入:サイト広告 +4,800円
※収入:YouTube広告 +11,000円
※収入:WEBマーケ月額(リフォーム会社) +20,000円
※株デイトレ確定利益:+234,000円(6ヶ月累計)
内訳:スキャルピング/スイング +56,000円
決算レバレッジ +178,000円
※食費:約15,000円
※ガソリン代:約6,500円
※光熱費:約8,000円
※通信費:約11,500円
※国民健康保険:約1,500円
※ジム月額:約7,800円
※プロテイン:約3,200円
※レンタルサーバー+ドメイン:約1,100円
※からあげクン:252円
※NISA積立:−30,000円
★フェーズ1達成:14万→49.8万(目標50万)★
★決算トレード:コミュニティの温度感でD社の決算サプライズを予知★
★信用2倍レバで+17.8万。半年のスキャルピングを一晩で超えた★
★手法確立:雑魚狩り(スキャルピング)+ボス戦(決算レバレッジ)★
★からあげクン:2年ぶり。今度は確定利益で買った★




