第18話 攻略
二月。攻略準備期間に入った。
攻略wikiは読んだ。問題点のリストはある。一つずつ潰す。
ゲームの攻略と同じだ。ボスの行動パターンを調べた。弱点を把握した。あとは装備を揃えて、レベルを上げて、もう一度挑む。
まず写真だ。
百均に行った。
スマホ用の三脚を探した。あった。三百三十円。安い。だが脚が細くて頼りない。レビューを事前に調べたら「倒れる」と書いてあった。
もう一つあった。フレキシブルアーム式。五百五十円。机やドアに挟んで固定するタイプだ。これなら倒れない。
五百五十円で、人生が変わるかもしれない。変わらないかもしれない。だが五百五十円なら、失敗しても死なない。株で八十二万溶かした男にとって、五百五十円は誤差だ。
買った。セルフタイマー用のBluetoothリモコンも買った。三百三十円。合計八百八十円。
帰宅して、セッティングした。
リビングの窓際。午後二時。太陽が南西から入る時間帯だ。攻略記事に「自然光は午後の斜光がベスト。真上からの光は影が出る」と書いてあった。
フレキシブルアームを椅子の背もたれに固定した。スマホを挟んだ。角度を調整した。
画面に自分が映った。
——問題がある。
顔だ。
顔が暗い。表情が暗い。光は当たっている。自然光だ。窓からの光が顔に当たっている。だが表情が暗い。
笑えばいい。攻略記事に書いてあった。「笑顔。歯を見せろ」。
笑おうとした。
口角を上げた。
画面を見た。
——怖い。
怖い顔が映っている。笑顔ではない。引きつった顔だ。「笑おうとしているが笑えていない顔」は、「笑っていない顔」より怖い。
当たり前だ。二十年間、笑っていない。
正確には、笑ったことはある。ゲームをやっている時に笑った。レイドでボスを倒した時に笑った。レアドロップが出た時に笑った。
だがそれは画面に向かって一人で笑っていただけだ。人に向ける笑顔ではない。筋肉の使い方が違う。
鏡の前で練習した。
口角を上げる。目を細める。歯を少し見せる。
十回やった。十回とも怖い。
YouTubeで「笑顔 練習 方法」を検索した。
動画が出てきた。歯科衛生士の女性が「まず口角を上げて」「頬の筋肉を持ち上げるイメージで」「目も一緒に笑わせて」と説明している。
やってみた。口角。頬。目。
鏡を見た。
——さっきよりはマシだ。
マシだが、まだぎこちない。笑顔の経験値が足りない。
毎朝、歯を磨く時に鏡の前で笑顔を作ることにした。一日十回。デイリークエストに追加した。
三日後、少しだけ自然になった。一週間後、「不自然だが怖くはない」レベルになった。
——これが今の俺の最高レベルの笑顔だ。
写真を撮った。窓際。午後二時。フレキシブルアーム。Bluetoothリモコン。笑顔。
二十枚撮った。
全部見た。
十九枚は使えない。目が半開きか、口が歪んでいるか、首の角度がおかしい。
一枚だけ、見られるものがあった。
光の角度がたまたま良くて、笑顔がたまたま自然に見えて、背景がたまたま白い壁だけで。
「たまたま」が三つ重なった奇跡の一枚だ。
——次は服だ。
クローゼットを開けた。
秋にマネキン買いした服がある。ユニクロの白シャツと紺のチノパン。十一月に買ったやつだ。あの時はXLがきつくてLを買った。
着てみた。
——緩い。
Lが緩い。十二キロ落ちた体に、Lは大きすぎる。腹回りが余っている。肩が落ちている。
せっかくのマネキン買いが、体型変化で無効化されていた。
ユニクロに行った。同じ白シャツと紺のチノパンのMサイズを買い直した。シャツ千九百九十円。チノパン二千九百九十円。合計四千九百八十円。
試着室で鏡を見た。
Mが入る。腹が引っかからない。ボタンが閉まる。
五ヶ月前はXLでもきつかった。秋にLを買った。今はM。
サイズが下がるたびに、人間に近づいている気がする。
帰宅して、新しいサイズの服を着て写真を撮った。
窓際。午後二時。三脚。笑顔。白シャツ。
二十枚撮った。
前回より良い写真が三枚あった。奇跡ではなく、三枚。装備が変わると確率が上がる。
一番良い一枚を選んだ。
——これなら、戦える。
前回の洗面台蛍光灯プロテイン背景とは別人だ。同一人物とは思えない。
次はプロフィール文だ。
「ゲームが好きです。よろしくお願いします」の十四文字を書き直す。
ノートに下書きした。紙のノートだ。訓練校で使っているやつ。
一稿目。
「はじめまして。都内で仕事をしています。趣味は映画鑑賞と料理とジム通いです。休日はカフェで本を読んでいることが多いです。気軽にお話しできたら嬉しいです!」
嘘だ。
全部嘘だ。映画は見ない。料理は鶏むねともやしの炒め物しか作れない。カフェには行ったことがない。本は攻略本しか読まない。
だが攻略記事にはこう書いてあった。「嘘をつけとは言わないが、見せ方を変えろ」。
二稿目。
「はじめまして。40歳です。最近ジムに通い始めて、体を動かす楽しさに目覚めました。プールで泳ぐのが好きです。料理は修行中で、最近やっと野菜炒めがまともに作れるようになりました。インドア派ですが、外に出る楽しさも覚え始めています。のんびりお話しできる方と出会えたら嬉しいです」
嘘はない。
ジムに通っている。事実。プールで泳いでいる。事実。料理は修行中。事実。インドア派。事実。外に出る楽しさを覚え始めた。事実。
「ゲーム」は消した。
ゲームは俺の本体だ。本体を隠して出撃するのは不本意だ。だが攻略記事が言っている。「ゲームはマッチ後に出す情報。プロフには書くな」。
戦略的撤退だ。初手でゲームを出さないのは隠しているのではなく、タイミングを選んでいるのだ。
——と、自分に言い聞かせた。
三稿目、四稿目と修正して、最終版を決めた。
二稿目とほとんど同じだ。「野菜炒め」を「自炊」に変えた。細部の微調整だけで三十分かかった。
プロフィール文を変えた。写真を差し替えた。
新しい俺が、Pairsに並んだ。
——訓練校の昼休み。村瀬に言った。
「マッチングアプリ始めた」
村瀬が弁当の箸を止めた。
「マジか」
「先月始めて、三十人にいいね送って全滅した」
「だろうな」
「だろうなって」
「あんた、写真がヤバかったろ。暗い部屋で撮った自撮りとかだろ」
「洗面台」
「洗面台は下から三番目くらいにダメなやつだ。一番ダメなのは車の中の自撮り。二番目がトイレの鏡」
「詳しいですね」
「俺は元嫁とマッチングアプリで出会ったんだよ」
知らなかった。
「マッチングアプリで出会って、結婚して、離婚したの?」
「そう。Pairsで出会って、三ヶ月で付き合って、一年で結婚して、三年で離婚した」
「……」
「だからマチアプはあんまり勧めない。でもあんたの場合、他に出会いがないだろ」
ない。
「訓練校には女性もいるけど——」
「長谷川さんは五十六歳です」
「だよな」
村瀬が茶を飲んだ。
「写真は撮り直したのか」
「撮り直した。三脚買って、自然光で、マネキン買いした服着て」
「見せてみ」
スマホを出した。新しい写真を見せた。
村瀬がしばらく見ていた。
「悪くはない。だが——」
「だが?」
「笑顔が硬い。練習したろ。練習した笑顔だってのが分かる」
図星だ。
「でもまあ、写真は数撃てば当たる。何枚も撮って、一番自然なやつを使え。あとサブ写真。メインの顔写真以外に、趣味の写真を入れろ。プールで泳いでるとか、料理してるとか」
「料理の写真」
「鶏むねともやしでもいい。皿に盛ってあればそれっぽく見える」
村瀬は営業を十二年やっていた。人に見せる技術を知っている。
「あとな、有料会員になれ。無料だといいねの数が少なすぎる。月三千七百円だ」
三千七百円。
ジムが七千八百円。プロテインが三千二百円。メンクリが千五百円。眠剤が六百円。
体と脳に月一万三千円かけている。恋愛に三千七百円を足すのか。
「出会いに月三千七百円は安いほうだ。合コン一回で五千円飛ぶ。居酒屋で奢ったら一万だ」
合コンに行ったことも、居酒屋で女性に奢ったこともないが、比較対象としては分かりやすい。
「考えます」
「考えてる間にいい女は流れるぞ」
営業トークだ。だが営業を十二年やった男の言葉には、経験の重みがある。
——その日の帰り、長谷川さんに声をかけられた。
「時田さん、今日なんかいつもと違わない?」
「え」
「服。新しいでしょ。それと眉毛。いじった?」
眉毛。
攻略記事に「眉毛を整えろ」と書いてあったので、YouTubeで「男 眉毛 整え方」を見て、百均の毛抜きで抜いた。痛かった。涙が出た。左右のバランスがおかしくなって、もう一回やり直した。余計おかしくなった。
最終的に訓練校の近くの千円カットに行って、「眉毛もお願いできますか」と聞いた。「できますよ」と言われて、三分で整えられた。最初からプロに頼めばよかった。
「眉毛と服、両方変えたわね。もしかして——」
長谷川さんが目を細めた。
「好きな人でもできた?」
「いえ、まだ、そういうのでは——」
「あら。じゃあこれから作るのね。いいじゃない。時田さん、顔はそんなに悪くないのよ。痩せたら見違えたわよ」
顔はそんなに悪くない。
四十年間、誰にも言われたことがない言葉だ。
お世辞かもしれない。おばちゃんのお世辞かもしれない。だがお世辞でも言われると少し背筋が伸びる。
帰宅して、村瀬のアドバイスに従ってサブ写真を撮った。
自炊の写真。鶏むねともやし炒め。皿に盛った。百均の白い皿だ。見た目は地味だが、「料理している男」という情報は伝わる。
ジムの写真。ロッカールームの鏡で撮った。ジムウェアを着ている自分。マシンエリアが背景に映っている。「ジムに通っている男」という情報。
プロフィール写真を三枚にした。メインの笑顔。サブの自炊。サブのジム。
有料会員になった。月三千七百円。
デビットカードを登録した。銀行口座を開いた時に一緒に作ったやつだ。審査がない。口座に金が入っていれば使える。クレジットカードは審査で落ちる。職歴なし、年収二百万未満の四十歳を信用する会社はない。
いいねの上限が増えた。月に五十いいね。プラス、「本日のおすすめ」機能が使えるようになった。
準備は整った。
新しい写真。新しい服。新しい笑顔。新しいプロフィール。
先月の俺とは別人だ。
装備を整えた。レベルを上げた。攻略情報を読んだ。
二回目の挑戦。
いいねを送った。
今度は闇雲に送らない。プロフィールを読んで、共通点がある人にだけ送る。「インドア派」「のんびり」「一緒にいて落ち着く人」。
十人に送った。
翌日。
通知が来た。
「○○さんからいいねが届きました!」
——来た。
いいねが来た。
マッチではない。俺が送った相手からではなく、別の女性が俺のプロフィールを見て、向こうから「いいね」を送ってきた。
心臓が跳ねた。
タップした。
三十四歳。事務職。笑顔の写真。
——向こうからだ。向こうから来た。
俺の写真を見て。俺のプロフィールを読んで。「いいね」と思った人がいる。
先月、三十人に送ってゼロだった男に。
装備を変えただけで。見せ方を変えただけで。
中身は何も変わっていない。四十歳の元ニートだ。職歴なし。年収二百万未満。
だが写真と文章を変えたら、一人の人間が「いいね」を押した。
——見せ方って、こういうことか。
株の時は「見せ方」がなかった。数字がすべてだった。損は損。利益は利益。見せ方で変わらない。
マッチングアプリは違う。同じ人間でも、見せ方で反応が変わる。
メルカリと同じだ。
メルカリで百十円のサントラを四千五百円で売った時、写真と説明文がすべてだった。同じ商品でも、暗い写真と雑な説明文では売れない。明るい写真と丁寧な説明文なら売れる。
人間も商品も、見せ方で値段が変わる。
俺の中身は変わっていない。だが見せ方を変えたら、ゼロがゼロではなくなった。
いいね返しを送った。
マッチが成立した。
画面に「おめでとうございます! マッチしました!」と表示された。
マッチした。
人生初のマッチだ。
——ここからメッセージを送る。
メッセージ。
何を書けばいい。
「はじめまして」だろうか。「いいねありがとうございます」だろうか。「プロフ読みました」だろうか。
攻略記事をもう一度読んだ。
「最初のメッセージは相手のプロフィールに触れろ。コピペと思われたら終わり」。
相手のプロフィールを読んだ。「休日は美術館に行くのが好きです」と書いてある。
美術館。行ったことがない。
だが「行ったことがない」も話題になる。
「はじめまして! いいねありがとうございます。プロフィール拝見しました。美術館がお好きなんですね。恥ずかしながら行ったことがないのですが、おすすめの美術館はありますか?」
送った。
送った後に気づいた。
「恥ずかしながら行ったことがない」は、正直すぎるかもしれない。マイナス情報だ。
だがもう送った。取り消せない。
——返信が来るかどうか。
それは、明日の問題だ。
今日はもう眠剤を飲む。今日は飲まなくても寝られるかもしれない。心臓がまだ跳ねている。いいねが来た興奮で。
飲まなかった。
三十分後、眠れた。
眠剤なしで。
残金:1,020,039円
(内訳:証券口座13万2,000円 + 銀行85万8,039円 + NISA6万円)
※収入:Uber Eats +60,000円
※収入:求職者支援給付金 +100,000円
※収入:メルカリせどり +20,000円
※食費:約17,000円
※ガソリン代:約7,000円
※光熱費:約23,000円
※通信費:約11,500円
※国民健康保険:約1,500円
※歯医者7回目:約2,500円(来月で終了予定)
※ジム月額:約7,800円
※プロテイン:約3,200円
※メンタルクリニック再診:約1,500円
※眠剤:約600円
※マチアプ月額:−3,700円(有料会員化)
※ユニクロ(Mサイズ買い直し):−4,980円
※100均(三脚・リモコン・毛抜き):−1,210円
※千円カット(眉毛込み):−1,200円
※NISA積立:−30,000円(3回目)
★残金微減。装備投資期間★
★いいね受信:1。マッチ成立:1。勝率は測定不能だが、ゼロではなくなった★
★眠剤なしで眠れた夜:1回★




