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第17話 いいね


 一月の終わり、眠剤を飲んで布団に入った夜に、ダウンロードした。

 Pairs。

 マッチングアプリだ。

 YouTubeの広告で何十回も見た。「運命の出会いがここに」。嘘だと思っている。だが嘘だと思いながら広告をスキップしなくなっていた。五秒でスキップしていたのが、十秒見るようになり、最後まで見るようになり、今、インストールした。

 眠剤が効き始めている。判断力が落ちている。これは判断力が落ちた状態で押したボタンだ。

 だが判断力が落ちないと押せないボタンもある。

 アプリが開いた。

 「プロフィールを作成しましょう」

 名前。年齢。職業。身長。居住地。年収。

 ——職業。

 何と書く。

 「無職」とは書けない。「フリーランス」は嘘だ。「自営業」も嘘だ。Uberとせどりとタイミーを「自営業」と呼んでいいのか分からない。

 「その他」にした。

 年収。

 去年の八月から十二月までの五ヶ月で、Uberとせどりとタイミーの合計が約五十万。年間に換算すると百二十万くらいだ。だが給付金を入れると百七十万。給付金は年収に入るのか。入らない気がする。

 「200万未満」にした。

 一番下の選択肢だ。

 身長。百七十二センチ。これは嘘をつかなくていい。

 写真。

 写真が要る。

 スマホのカメラを開いた。自分に向けた。

 洗面台の鏡の前で撮った。洗面台の蛍光灯は白い。白い光の下で、自分の顔が映っている。

 十二キロ痩せた。顎のラインは出た。だが四十歳だ。目の下に隈がある。不眠の隈だ。眉毛が手入れされていない。髪は美容室で切ったが、二ヶ月経ってボサボサに戻りかけている。

 背景に洗面台の棚が映っている。プロテインの袋と歯ブラシとシェーバーが雑然と並んでいる。

 ——これでいいのか。

 分からない。他の男のプロフィール写真を見たことがない。比較対象がない。

 撮った。一枚。

 自己紹介文を書く欄がある。

 「ゲームが好きです。よろしくお願いします」

 これでいい。事実だ。ゲームが好きだ。よろしくお願いしたい。

 登録した。

 プロフィールが完成した。

 画面に女性の写真が並んでいる。

 ——おお。

 女性だ。大量の女性が並んでいる。笑っている。カフェにいる。旅行先にいる。犬と映っている。

 綺麗だ。

 綺麗な人しかいない。全員綺麗だ。こんなに綺麗な人間がこの世にこれだけいるのかと思った。

 一人の写真をタップした。プロフィールが開いた。

 二十八歳。看護師。趣味はカフェ巡りと旅行。「一緒にいて安心できる人がいいです」。

 いいなと思った。「いいね」を押した。

 次の人。三十二歳。事務職。趣味はヨガと映画鑑賞。「穏やかな関係を築きたいです」。

 いいなと思った。「いいね」を押した。

 次の人。次の人。次の人。

 十五人に「いいね」を送った。

 送った後に気づいた。「いいね」には上限がある。無料会員は月に三十いいねまで。半分使った。

 ゲームでいえば、MPを湯水のように使って通常モンスターに全体攻撃をぶっ放したようなものだ。ボスの前にMPが切れるパターンだ。

 だが送ってしまった。

 翌日。

 通知を見た。

 いいね返し:ゼロ。

 まだ一日だ。一日で来るわけがない。

 三日後。

 ゼロ。

 一週間後。

 ゼロ。

 十五人に送って、ゼロ。

 残りの十五いいねを送った。今度は少し条件を変えた。年齢が近い人。三十代後半から四十代。趣味に「ゲーム」と書いてある人を探した。

 「ゲーム」と書いている女性は少ない。十人中一人くらいだ。見つけたらすぐにいいねを送った。

 一週間後。

 ゼロ。

 三十人に送って、ゼロ。

 ——バグではないか。

 アプリの設定を確認した。通知はオンになっている。プロフィールは公開されている。位置情報もオンだ。

 バグではない。

 送ったいいねは届いている。届いた上で、三十人全員がスルーしている。

 俺のプロフィールを見て、誰一人として「いいね」を返さなかった。

 ——なぜだ。

 夜、布団の中で考えた。眠剤を飲む前の三十分。眠剤が効くまでの待機時間に、考えた。

 他の男のプロフィールを見た。

 「いいねが多い男性」のランキングが表示されている。

 写真を見た。

 全員、まともだ。

 屋外で撮っている。自然光。背景がカフェか公園か旅行先。服がシンプルで清潔。笑顔。歯が見えている。

 俺の写真を見た。

 洗面台。蛍光灯。隈。ボサ髪。プロテインの袋。

 ——これは、負けている。

 負けているどころか、同じ土俵に立っていない。

 株の時と同じだ。プロと同じ土俵に、プロ以下の装備で立っている。装備の差を理解せずに参戦して、瞬殺された。

 自己紹介を見た。

 ランキング上位の男の自己紹介。

 「都内でIT系の仕事をしています。休日はジムに行ったり、友人とBBQをしたり。最近はコーヒーの自家焙煎にハマっています。猫派です。一緒に美味しいものを食べに行ける方と出会えたら嬉しいです!」

 長い。具体的だ。趣味が三つ以上ある。人柄が見える。

 俺の自己紹介。

 「ゲームが好きです。よろしくお願いします」

 ——十四文字。

 十四文字で人生を伝えようとしている。ゲームのNPCのセリフより短い。モブキャラ以下だ。

 しかも「ゲームが好き」は、マッチングアプリにおいてはマイナスだ。ネットで調べた。「ゲーム好き」はインドア・非社交的・子供っぽいという印象を与える。女性ウケが悪い趣味ランキングの常連だ。

 つまり俺は、マイナスの情報を十四文字で効率よく伝えている。

 最悪の効率だ。

 ——これは、攻略が必要だ。

 ゲームで新しいコンテンツに入った時、最初にやることは何だ。

 攻略情報を調べる。

 スマホで検索した。

 「マッチングアプリ プロフィール コツ」

 「マッチングアプリ 写真 男 40代」

 「マッチングアプリ いいね もらえない 原因」

 大量の記事が出てきた。

 攻略wiki。リアルの攻略wikiだ。

 読んだ。二時間読んだ。眠剤の効き目を超えて読んだ。

 分かったことを整理した。

 写真の問題。

 一、洗面台の自撮りは論外。

 二、蛍光灯は論外。自然光で撮れ。

 三、背景に生活感を出すな。

 四、笑顔。歯を見せろ。

 五、清潔感。髪を切れ。眉を整えろ。

 プロフィールの問題。

 一、十四文字は短すぎる。二百文字以上書け。

 二、趣味を三つ以上。具体的なエピソード込み。

 三、「ゲーム」は書くな。書くなら「ボードゲーム」にしろ。

 四、相手が「この人と会ったら何をするか」を想像できる内容にしろ。

 五、「よろしくお願いします」で終わるな。受け身すぎる。

 ——全部、逆をやっていた。

 全部の項目で最悪の選択をしていた。

 攻略情報を読まずにボスに突っ込んで全滅するパターンだ。

 いつものパターンだ。

 株もそうだった。コンビニバイトもそうだった。最初に全滅して、攻略情報を読んで、二回目で攻略する。

 一回目は死ぬ。全滅する。そこまでは仕方ない。

 問題は、二回目をやるかどうかだ。

 一回目の全滅で「クソゲー」と言って投げるか。攻略情報を読んで二回目に挑むか。

 俺はゲーマーだ。クソゲーでも投げない。攻略する。

 ——ただし、今月のいいねは使い切った。

 来月まで待たないといけない。

 来月までの一ヶ月間で、準備する。

 写真を撮り直す。プロフィールを書き直す。髪を切る。眉を整える。

 攻略準備期間だ。

 ゲームで言えば、ボスの前でセーブして、装備を整え直しに町に戻るところだ。

 恥ずかしい。三十人に送ってゼロだったのは、恥ずかしい。

 だがゲームでボスに全滅した時、恥ずかしいと思ったことは一度もない。「次はこう行く」としか思わなかった。

 これもゲームだ。攻略する。

   残金:1,038,709円

   (内訳:証券口座13万2,000円 + 銀行87万6,709円 + NISA6万円)

   ※収入:Uber Eats +65,000円(冬後半、体力ついて稼働増)

   ※収入:求職者支援給付金 +100,000円

   ※収入:メルカリせどり +24,000円(年末年始の在庫が回転)

   ※食費:約17,000円

   ※ガソリン代:約7,000円

   ※光熱費:約24,000円(冬ピーク)

   ※通信費:約11,500円

   ※国民健康保険:約1,500円

   ※歯医者6回目:約2,500円(そろそろ終わる)

   ※ジム月額:約7,800円

   ※プロテイン:約3,200円

   ※メンタルクリニック再診:約1,500円

   ※眠剤:約600円(追加処方1週間分)

   ※NISA積立:−30,000円(2回目。自動引落)

   ※マチアプ月額:0円(無料会員のまま。課金はまだしない)

   ★収入増で残金微増。100万ラインを安定維持★

   ★いいね:30送信、0返し。勝率0.0%★

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