第15話 年越し
十二月に入って、Uberの注文は増えた。
意外だった。寒くなったら減ると思っていた。逆だ。寒いから外に出たくない人間が増えて、デリバリーの注文が増える。しかも寒さを嫌って配達員が減る。需要が増えて供給が減る。単価が上がる。
ゲームのイベントと同じだ。参加者が少ないイベントほど報酬が良い。
稼げる。
稼げるのだが、体がもたない。
寒い。十二月の夜に車から降りて、マンションのエントランスまで走って、置き配して、また車に戻る。その往復で指がかじかむ。息が白い。鼻水が止まらない。
路面が凍る日もある。ワゴンRのタイヤはノーマルだ。凍った坂道でブレーキを踏んだら、ゆっくり滑った。死ぬかと思った。
自転車はもっと無理だ。十二月の夜に自転車で配達するのは自殺行為だ。
稼げるが、体が壊れる。四十歳の、五ヶ月前までコンビニにも行けなかった体が、真冬の夜に耐えられるわけがない。
風邪を引いた。三日間寝込んだ。寝込んでいる間はUberもせどりもできない。収入がゼロになった。
体が資本だ。体を壊したら、稼げる仕事も稼げなくなる。
Uber一本に依存するのは危険だ。だからせどりとメルカリを始めた。収入源を分散する。ゲームでいえば複数のクエストラインを同時に進める。一本が詰まっても、別の一本で稼げる。ジムは収入ではないが、体を壊さないための防具だ。攻撃力だけ上げても、防御がゼロなら一撃で死ぬ。
——訓練校で、Excel の実技テストがあった。
課題は「架空の店舗の月次売上データを集計して、グラフを作れ」。
配られたデータは三ヶ月分の売上リスト。商品名、数量、単価、日付が並んでいる。
制限時間は四十分。
周りが動き出した。
隣のおばちゃんが「SUM関数ってどうやるんだっけ」と小声で言っている。向こうの席の若い男がセルの結合で苦戦している。
俺はデータを見た。
三ヶ月分。約二千行。商品が三十種類。
SUM関数では面倒だ。SUMIFで商品別に集計して、月ごとに分けて、クロス集計表を作る。
作った。十分で。
残り三十分。グラフを作る。棒グラフと折れ線グラフを組み合わせた複合グラフ。これも五分で終わった。
残り二十五分。
暇だ。
暇な時間に、手が動いた。
VBAエディタを開いた。
何をしているのか、自分でもよく分からない。だが指が覚えている。大学の情報工学科で、プログラミングの基礎を叩き込まれた指だ。そしてゲームのマクロを何百本も書いた指だ。
マクロを書いた。
ボタンを一つ作った。「集計実行」というボタンだ。
押すと、生データから自動的に商品別・月別の集計表が生成され、グラフが更新され、前月比の増減率が色分けで表示される。
新しいデータを貼り付けてボタンを押せば、一秒で全部やり直せる。
——別に求められていない。課題は「集計してグラフを作れ」だ。マクロは要らない。
だが手が動いた。効率化したくなるのは、ゲーマーの本能だ。繰り返し作業は自動化する。WoWでも毎日のデイリークエストをマクロで半自動化していた。
講師が巡回してきた。
俺の画面の前で立ち止まった。
「時田さん」
「はい」
「これ……何ですか」
「あ、すみません、勝手にマクロ——」
「VBAですよね。これ」
「はい……大学で少し……あとゲームのマクロで……」
講師が俺の画面を見ている。しばらく見ていた。
「時田さん」
「はい」
「あなた、IT系に進んだほうがいい」
「え」
「この教室でVBAが書けるのは、あなただけです。たぶんこの訓練校の全クラスを合わせても、あなただけです」
講師が真顔で言っている。
「あなたのスキルは、データ入力の仕事をするレベルではありません。もっと上があります」
もっと上。
何の上だ。
「IT系」。
講師は去った。俺は画面を見ていた。
自分が書いたマクロが動いている。ボタンを押すと一秒で集計が走る。
これが「スキル」なのか。
二十年間、ゲームのマクロを書いていた。効率化のために。少しでも楽をするために。
それが「スキル」だと言われた。
IT系。
頭の隅に置いておく。まだ何のことか分からない。だが置いておく。
——十二月二十四日。
クリスマスイブだ。
何もない。
予定がない。相手がいない。ケーキがない。チキンがない。
Uberの注文は多かった。クリスマスだから。みんな家でチキンやピザを頼む。配達員には稼ぎ時だ。
他人のクリスマスディナーを運んでいる。
ある家に届けた時、玄関のドアが開いて、中からクリスマスソングが聞こえた。子供の笑い声が聞こえた。
「ありがとうございます。メリークリスマス!」
奥さんが笑顔で言った。
「メリークリスマス」
言えた。自然に言えた。
車に戻った。
泣いてはいない。
泣いてはいないが、ハンドルを握る手が少し濡れていた。汗だと思う。たぶん汗だ。
夜十時に配達を終えて、家に帰った。
コンビニでチキンを一個買った。二百八十円の、レジ横のやつ。
一人で食った。うまかった。
——十二月二十九日。
訓練校は年末休みに入った。Uberも年末は注文が減る。
時間がある。
PCの前に座って、今年の収支を整理することにした。
Excelを開いた。訓練校で鍛えたExcelだ。
八月から十二月までの全収支を入力した。
収入。支出。残高。月ごとに。
折れ線グラフにした。
百万から始まって、株で十八万まで急落して、そこからじわじわ上がっている。
V字回復。
ゲームで見たことがある形だ。序盤で死にかけたキャラが、中盤からレベルが上がり始めて、経験値曲線が加速する。
今、百万のラインに戻りかけている。
——あと少しで、百万に届く。
姉貴の手切れ金。あの百万に。
百万に届いたら何が変わるわけではない。だが一度溶かした百万を自分の力で取り戻すことには、意味がある。
グラフを見ながら、YouTubeを開いた。
「お金 増やし方 初心者」で検索した。
投資信託の動画が出てきた。
最初は「また株か。もう懲りた」と思った。
だが内容が違う。
デイトレードは「PvP」だった。プロと同じ土俵で殴り合い。
この動画が言っているのは「放置ゲー」だ。
オルカン。eMAXIS Slim全世界株式。世界中の会社に少しずつ投資するファンド。一つの会社が潰れても、世界全体が成長すれば上がる。
「レイドボスに一人で挑むんじゃない。世界中のプレイヤーにちょっとずつベットする」
ドルコスト平均法。毎月同じ金額を買い続ける。高い時は少なく、安い時は多く買える。
「毎日ログインボーナスを受け取るのと同じだ。一回は小さいが、やめなければ溜まる」
——Excelで計算してみた。
Yahoo!ファイナンスでオルカンの実績を見た。
過去五年の平均利回り。年率約二十パーセント。
にじゅっぱーせんと。
月三万円を年利二十パーセントで二十年間積み立てたら——
Excelに数式を打った。
約九千四百万円。
画面の前で固まった。
きゅうせんよんひゃくまん。
元本は七百二十万だ。増えた分は八千六百八十万。椅子に座って、毎月三万入れるだけで。
俺が株で溶かした八十二万の百倍以上が、寝てるだけで——
——待て。
落ち着け。
株で学んだはずだ。「地合いが良かっただけ」だと。
動画のコメント欄を読んだ。
「過去五年は出来すぎ」「コロナ後のバブルが含まれてる」「長期平均は五〜七パーセントで見たほうがいい」
もう一度Excelを叩いた。
月三万。年利五パーセント。二十年。
約千二百三十万円。元本七百二十万。利益五百十万。
月三万。年利七パーセント。二十年。
約千五百六十万円。元本七百二十万。利益八百四十万。
九千四百万は夢だった。
だが千二百万から千五百万は現実的だ。
「二十年間ゲームをして稼いだ金がゼロだった男が、二十年放置するだけで五百万から八百万。放置ゲーの才能なら負けない」
複利。利益が利益を生む。
パッシブスキルだ。一度セットしたら、放置で効き続ける。経験値が入ると、経験値の入り方自体が速くなるスキル。
NISAなら利益に税金がかからない。通常は約二十パーセント取られる。非課税バフだ。
新NISA口座を開設した。
つみたて投資枠で、毎月三万円、オルカンに積み立てる設定をした。
設定して、終わり。
毎月勝手に引き落とされて、勝手に買われる。
あとは放置。
ログインしないほうが強い。放置ゲーの極致だ。
——十二月三十一日。
大晦日。
去年の大晦日を思い出した。
部屋にいた。同じ部屋だ。同じPCの前だ。同じ椅子だ。
去年は、階下から母さんが作る年越し蕎麦の匂いがしていた。テレビの紅白歌合戦の音が聞こえていた。俺はWoWのレイドをやっていた。
今年は、匂いがしない。音がしない。
部屋は片付いている。ゴミ袋十八袋分のゴミは消えた。
PCの横に、Excelで作ったグラフが表示されている。
V字回復。
右肩上がり。
去年、家族がいて、何もしていなかった。
今年、一人で、全部やっている。
鍋で蕎麦を茹でた。乾麺だ。めんつゆを百均で買ってきた。
一人で食った。
うまかった。
うまいのかどうか分からないが、自分で茹でた蕎麦だ。自分で買った麺つゆだ。自分で稼いだ金で買った材料だ。
全部、自分でやった。
時計が零時を指した。
年が変わった。
「あけましておめでとう」
誰もいない部屋で言った。
声が少し響いた。
——来年は、もっと上がる。
グラフの線が、もっと上がる。
体重が、もっと下がる。
できることが、もっと増える。
来年。
来年だ。
残金:1,031,309円
(内訳:証券口座12万8,000円 + 銀行87万3,309円 + NISA3万円)
※収入:Uber Eats +52,000円(単価は上がるが体調不良で3日休み)
※収入:求職者支援給付金 +100,000円
※収入:メルカリせどり +22,000円
※食費:約16,000円
※ガソリン代:約6,000円
※光熱費:約24,000円(暖房フル稼働)
※通信費:約11,500円
※国民健康保険:約1,500円
※歯医者5回目:約2,500円
※ジム月額:約7,800円
※NISA積立開始:−30,000円(毎月自動)
★★★残金100万円突破。手切れ金を自力で回復★★★




