第14話 模擬面接
40歳コドオジニートの下剋上
第14話 模擬面接
訓練校のカリキュラムに「模擬面接」がある。
聞いた瞬間に帰りたくなった。
面接。人と向き合って、自分のことを喋る。ゲームで最も苦手なコンテンツだ。いや、ゲームに面接はない。リアルにしかない最悪のコンテンツだ。
講師が面接官役をやる。受講生が一人ずつ教室の前に出て、椅子に座って、質問に答える。残りの二十人が後ろで見ている。
公開処刑だ。
順番が来た。
椅子に座った。講師が向かいに座っている。後ろに二十人の目がある。
心臓がうるさい。自分の心臓の音が教室に響いているのではないかと思う。響いていない。たぶん。
「では、時田さん。まず自己紹介をお願いします」
「時田浩平です。四十歳です。えーと……」
えーと。
何を言えばいい。自己紹介。自分は何者か。
四十歳。職歴なし。二十年間ゲームをしていました。
言えない。
「……特技はパソコンです」
苦しい。苦しすぎる。
「パソコンというのは、具体的にどういったことができますか?」
「ExcelとWordと……あと、HTMLが少し……」
「なるほど。では次の質問です。これまでに、チームで何かを達成した経験はありますか?」
チームで。何かを。達成した。
ない。
——ない、はずだ。
だが、脳の奥で何かが引っかかった。
チームで何かを達成した経験。
ある。
あるのだ。
口が勝手に動いた。
「四十人の組織を、二年間率いていました」
講師の眉が上がった。後ろの席がざわついた。
「メンバーの出欠管理を毎週行って、能力と適性を見て役割を振り分けていました。週三回の定例ミーティングで戦略を決めて、全員に伝達して、実行中のトラブルには即時対応していました」
言葉が止まらなかった。
「参加率が下がった時は、個別に連絡して事情を聞きました。モチベーションが低い人には、その人が活躍できるポジションを新しく作って任せました。四十人いると派閥ができるので、派閥間の調整もやりました。メンバー同士が揉めた時は、両方の話を聞いて、落としどころを——」
講師が手を上げた。
「時田さん。それは、どちらの会社でのご経験ですか?」
教室が静まった。
「…………World of Warcraftです」
二秒間の沈黙があった。
誰かが吹き出した。
笑いが広がった。何人かが声を出して笑っている。後ろの席の若い男が「ゲームかよ」と言った。
耳が熱くなった。
首が赤くなっているのが自分で分かった。
講師は笑わなかった。少し考えてから言った。
「時田さん、ありがとうございます。次の方どうぞ」
席に戻った。
おばちゃんが小声で言った。「気にしなくていいわよ」
気にしている。めちゃくちゃ気にしている。何であんなこと言ったんだ。四十人のレイドギルドの話を、模擬面接で。
馬鹿だ。
——その日の訓練が終わった後、後藤さんがハローワークの窓口で待っていた。
訓練校から報告が行ったのかもしれない。「WoWを職歴として語った受講生がいます」とか。
「今日の模擬面接、聞いたよ」
「すみません」
「なんで謝るの」
「ゲームの話をしてしまって」
後藤さんが眼鏡を外して拭いた。拭きながら言った。
「時田さんさ、あの四十人のギルドで何が一番大変だった?」
「……出欠管理です。四十人いると、毎回五人くらい来ない。来ない人に代わりを入れて、役割を調整して、当日の戦略を変えて……」
「それ、プロジェクトマネジメントっていうんだよ」
「え」
「四十人のメンバーの出欠を管理して、能力を見て役割を振って、目標に向かって調整する。週三回のミーティングで方針を決めて、トラブルに対応する。派閥の調整。モチベーション管理。これ、会社のプロジェクトリーダーがやってることと構造は完全に同じだよ」
「……でも、履歴書には書けません」
「書けない。それはその通り。でもさ、できるんだよ。時田さんは。できるのに、やったことがないだけで。ゲームの中で二年間やってたことを、リアルでやったことがないだけ」
サーバーを変えれば同じ力が使える。
前にも聞いた言葉だ。
「今日笑われたのは、ゲームで培ったスキルが現実では通用しないと思われたからだよ。でも俺は思わない。通用する。ただし、翻訳が必要なんだ。ゲームの言葉で言っても伝わらない。ビジネスの言葉に翻訳して言えば、同じことが通じる」
翻訳。
「四十人のレイドギルドを率いた」→「四十人規模のチームのプロジェクト管理を二年間担当した」。
同じ事実だ。言い方が違うだけだ。
「……ありがとうございます」
「礼はいいから。次の模擬面接では、翻訳してから言えよ」
——その週、別のことがあった。
タイミーで「治験」の求人を見つけた。
治験。新しい薬の試験に参加する仕事だ。入院して、薬を飲んで、検査を受ける。報酬が高い。二泊三日で五万円。
五万。
Uber五日分だ。寝てるだけで。
応募した。
事前検査があった。指定の病院に行って、血液検査と心電図と身体測定を受ける。
結果は翌週。
病院に行った。
先生が画面を見ている。俺の血液検査の数値が並んでいる。
「時田さん、治験への参加は今回は見送りとさせてください」
「え、なんでですか」
先生が画面を指差した。
「肝臓の数値がかなり高いです。脂肪肝ですね。それと血圧も上が百五十を超えています。高血圧です」
脂肪肝。高血圧。
「二十年間の運動不足と食生活の影響だと思います。今すぐ命に関わるものではありませんが、このまま放置すると、糖尿病や心筋梗塞のリスクが上がります」
先生が眼鏡の奥から俺を見た。
「時田さん、本気で運動してください。痩せてください。このままだと本当にまずいですよ」
本当にまずい。
医者に「本当にまずい」と言われたのは初めてだ。
治験は不合格。五万円はもらえない。
だが五万円より大事なことを聞いた。
——俺の体は、まだ壊れかけている。
リングフィットを三ヶ月やった。体重は八キロ落ちた。見た目は変わった。顎のラインが出た。服が着られるようになった。
だが内臓は二十年分のダメージを抱えている。外見が変わっても、中身がまだ追いついていない。
ゲームのキャラクターでいえば、見た目装備は新しくなったが、HPの上限値にデバフがかかっている状態だ。デバフを解除しないと、いくら見た目を変えても、根本的に弱い。
その夜、リングフィットを起動した。
スクワットを始めた。膝がズキッとした。
最近、膝に来る。体重がまだ重いのだ。
気になるが、今夜はそのまま続けた。
きつい。
きつい、と体が言っている。
だが脂肪肝と高血圧が言っている。「このままだと死ぬかもしれない」。
きつさと死を天秤にかけたら、きつさのほうがマシだ。
リングフィットのモチベーションが変わった。
今までは「見た目を変えたい」だった。コンビニのガラスのぶよぶよを消したかった。マチアプで写真を撮りたかった。
今は「死にたくない」だ。
死にたくない。
四十歳で死にたくない。やっと外に出られるようになった。やっと金を稼げるようになった。やっと飯を作れるようになった。
ここで死んだら、全部無駄になる。
死なないために動く。
リングフィットだけでは足りない。
翌日から、訓練校まで歩くのをやめて、走ってみた。
百メートルで膝が痛くなった。
息が切れたのではない。膝だ。体重がまだ重い。八キロ落ちたとはいえ、まだ標準より十五キロ以上多い。その重さが着地のたびに膝に来る。
三日間走って、四日目に膝が腫れた。
リングフィットのスクワットも膝に来ていた。あの夜のズキッはこれだった。体重が重い状態での屈伸は関節を壊す。タイミーの二の舞だ。
走るのはやめた。リングフィットもスクワットとランジを外して、腕立て・プランク・腹筋・背筋だけにした。上半身と体幹なら膝に来ない。
だが運動をやめるわけにはいかない。脂肪肝と高血圧が待っている。
膝に負担をかけずに、有酸素運動ができる方法。
二つ見つけた。
一つは自転車だ。
自転車はペダルを回す運動で、膝への衝撃がない。体重が重くても関節を壊さない。
中古の自転車を買った。リサイクルショップで八千円。ママチャリだ。かっこよくないが、走れればいい。
訓練校まで自転車で行くことにした。片道二十分。往復四十分の有酸素運動が毎日の通勤に組み込まれる。
バスに乗らなくて済む。バス代が浮く。運動にもなる。一石三鳥だ。
Uberの配達も、近場は自転車でやることにした。ガソリン代が浮く。
もう一つ、見つけた。
——ジムに入会した。
大手のスポーツジムだ。月額七千八百円。
高い。パチンコで三万二千円溶かした男が「高い」と言うのは滑稽だが、固定費が増えるのは事実だ。
だが脂肪肝と高血圧を宣告された男に、月七千八百円は保険料だと思えばいい。本物の医療費のほうがずっと高い。
問題は、ジムに行くこと自体が怖いことだ。
リングフィットは家でできた。一人でできた。誰にも見られなかった。
ジムは違う。知らない人間が大勢いる。マシンの使い方が分からない。ロッカールームで着替えなければいけない。裸を見られる。
裸。
四十歳の、まだ腹が出ている裸を、知らない人間の前で晒す。
——五ヶ月前の俺なら絶対に無理だった。
だが今の俺は、市役所で三つの窓口を回った男だ。ハローワークに毎日通っている男だ。コンビニでレジに立った男だ。Uberで百件以上配達した男だ。
ジムくらい、行ける。
たぶん。
初日。受付で会員証を作った。スタッフが館内を案内してくれた。マシンエリア。スタジオ。そしてプール。
プール。
水泳は大学時代の体育の授業以来だ。二十年ぶり。泳げるのか。
泳げた。
体が覚えていた。クロール。最初の二十五メートルで腕が死んだ。だが泳げた。
水の中は、いい。
水の中では誰の目も気にならない。顔は水面の下だ。ゴーグルをつけていれば、世界はぼやけた青だけだ。
何より、膝と腰に負担がない。
タイミーの倉庫で壊した腰と膝。走ろうとして痛めた膝。水の中では全部痛まない。浮力が体重を支えてくれる。
二十五メートル泳いで、壁で休んで、また二十五メートル。
三十分で五百メートル泳いだ。
プールから上がった時、体が軽かった。
リングフィットとは違う疲労感だ。筋肉ではなく、体の芯が温まっている。
ロッカールームでシャワーを浴びた。周りに裸のおじさんたちがいる。誰も俺の腹を見ていない。みんな自分の体のことで忙しい。
——誰も見ていない。
コンビニの時は「視線が刺さる」と思っていた。でも実際は、他人はそれほど他人を見ていない。
俺が思っていたほど、世界は俺に興味がないのだ。
それが分かったら、少し楽になった。
訓練校の後、Uberに出る前の一時間をジムに充てることにした。
月・水・金はプール。火・木はマシン。交互にやる。週五回。
同じ日にプールとマシンをやろうとしたら、着替えが二度手間だと気づいた。水着に着替えて、泳いで、シャワー浴びて、ジムウェアに着替えて、マシンやって、またシャワー。ロッカールームを三往復する羽目になった。
初日にそれをやって、隣のロッカーのおじさんに「兄ちゃん、何回着替えてんの」と笑われた。
交互にした。プールの日はプールだけ。マシンの日はマシンだけ。
プールでは事件があった。
二週目。隣のレーンでバタフライを練習しているおじさんがいた。ものすごく下手だった。溺れているようにしか見えなかった。水しぶきが半端ない。俺のレーンまで波が来る。
そのおじさんが、俺に話しかけてきた。
「あんた、クロール上手いね。どこで習った?」
「大学の体育で……」
「おお。俺にちょっとバタフライのコツ教えてくれない?」
——教えたがりおじさん、ではなく、教わりたがりおじさんだ。
俺はバタフライなど泳げない。クロールしかできない。
「すみません、僕もクロールしかできなくて」
「そうか。じゃあ一緒にクロール泳ごうぜ」
断れなかった。
おじさんと二人で、隣のレーンでクロールを泳いだ。おじさんは遅い。俺も遅い。
「お互い遅いな!」
おじさんが笑った。
水の中で笑われるのは、陸で笑われるのと違って、なぜか痛くなかった。
このおじさんとは、その後も週二回くらい顔を合わせるようになった。名前は知らない。互いに名乗らない。「プールのおじさん」と俺は心の中で呼んでいる。
ジムに通い始めて三日目の朝、体が動かなかった。
タイミーの時とは違う。あの時は腰と膝だった。今回は全身だ。
背中。肩。腕の裏側。腹の横。尻。太腿の内側。
今まで使ったことのない筋肉が、一斉に悲鳴を上げている。
リングフィットで鍛えていたはずだ。だがリングフィットで使う筋肉と、プールで使う筋肉は別物だった。クロールは背中と肩を使う。リングフィットのメニューには背中を集中的に使う動きが少ない。
二十年間眠っていた筋肉が、急に起こされて怒っている。
階段を降りるのに手すりが要った。腕を上げると肩が軋んだ。くしゃみをしたら腹の横が攣った。
ネットで「筋肉痛 回復 早く」と検索した。
プロテイン、という単語が出てきた。
プロテイン。筋肉の材料になるタンパク質を粉にしたやつだ。ゲーマーの俺でも名前は知っている。マッチョが飲むやつだ。
俺はマッチョではない。ぶよぶよの四十歳だ。
だが調べてみると、マッチョになるために飲むものではなく、筋肉の回復を助けるために飲むものらしい。
メリットとデメリットを整理した。ゲーマーの頭で。
メリット。
一、筋肉の回復が早くなる。翌日の筋肉痛が軽くなる。
二、タンパク質が足りないと、せっかくの運動で筋肉がつかない。もやしと卵と鶏むねだけでは足りていない可能性がある。
三、一杯で約二十グラムのタンパク質。卵三個分。卵三個食うより楽。
四、腹持ちがいい。間食が減る。
デメリット。
一、金がかかる。月三千円くらい。
二、まずいらしい。
三、飲みすぎると腹を壊すらしい。
四、飲んだだけでは筋肉はつかない。運動しないと意味がない。
ゲームでいえば、経験値ブーストアイテムだ。使っただけではレベルは上がらない。戦闘してこそ効果がある。だが戦闘するなら、使ったほうが効率がいい。
月三千円。ジムの七千八百円と合わせると、体への投資が月一万円を超える。
——パチンコで三日で三万二千円溶かした男が、月一万で健康を買えるなら安い。
ドラッグストアで買った。チョコレート味。一キロ入り。三千二百円。
シェイカーがないのでコップで混ぜた。ダマになった。
飲んだ。
——まずくはない。
まずくはないが、うまくもない。チョコレート味と書いてあるが、チョコレートに謝ったほうがいい味だ。
だが飲める。
毎朝一杯と、ジムの後に一杯。
一週間続けたら、筋肉痛の回復が少し早くなった気がする。気のせいかもしれない。
だが気のせいでもいい。
パチンコは三日でやめた。プロテインは続いている。違いは「飲んだ後に何か残るかどうか」だ。パチンコは何も残さない。プロテインは筋肉を残す。
マシンエリアでも事件があった。
チェストプレスというマシンに座った。胸の筋肉を鍛えるやつだ。重りのピンを一番軽い五キロに刺した。
押した。軽い。
十キロに変えた。押した。まあまあ。
十五キロに変えた。押した。三回目で腕がプルプルした。
横から声がかかった。
「もうちょっと肘の角度を開いたほうがいいよ」
振り向いた。筋肉の塊みたいな男が立っていた。タンクトップから丸太のような腕が出ている。
教えたがりおじさんだ。
ネットで読んだ。ジムには「求められてもいないのにアドバイスしてくる常連」がいると。
「はあ……」
「あとね、呼吸。押す時に吐いて、戻す時に吸う。それだけで全然変わるから」
試した。
変わった。
マジで変わった。十五キロが少し楽になった。
「ありがとうございます」
「おう。続けな」
去っていった。
——教えたがりおじさんにも、当たりとハズレがあるらしい。
今のは当たりだった。
ジムには色々な人間がいる。コンビニの客とは違う。ここにいる人間は、全員、自分の体を変えようとして来ている。目的が同じだ。
目的が同じ人間の集まりは、居心地が悪くない。
ギルドに似ている。
レイドに集まる四十人は、全員同じボスを倒しに来ている。目的が同じだから、多少の性格の違いは気にならない。
ジムも同じだ。全員、自分の体というボスと戦いに来ている。
いつかはキックボクシングジムに行きたい。
ネットで見た。パンチとキックを打ち込む。ストレス発散にもなるらしい。
だがまだ早い。今はプールとマシンでいい。レベルが足りない。
レベルを上げてから、次の装備に手を出す。学んだはずだ。
残金:973,609円
(内訳:証券口座12万8,000円 + 銀行84万5,609円)
※収入:Uber Eats +58,000円(体調管理で稼働セーブ)
※収入:求職者支援給付金 +100,000円
※収入:メルカリせどり +18,000円
※治験:不合格(収入なし)
※食費:約16,000円
※ガソリン代:約8,000円
※光熱費:約22,000円(冬本番)
※通信費:約11,500円
※国民健康保険:約1,500円
※歯医者4回目:約2,500円
※治験事前検査:0円(治験側負担)
※ジム月額:約7,800円
※プロテイン:約3,200円
※自転車購入(中古):−8,000円
※運動:ジム(プール+マシン)週3+自転車通勤毎日。リングフィットは膝メニュー除外で継続
★残金もうすぐ100万円(手切れ金の回復ライン)★




