十メートル
闇夜は、二日後に来た。
星が、翼の形に欠け始めたのは、真夜中を少し過ぎた頃。偵察機の目が数えた影は、十二。地上には松明を持たない歩兵がおよそ八十。威力偵察の答え合わせに、本隊の半分を寄越してきた。
笛が、長く鳴る。
村は教わった通りに沈黙した。灯りが消え、子供らが床下に転がり、若い衆が袋小路の持ち場についた。俺は栗の木の上で、六機の武装機を空に上げた。目に、牙を付けたやつだ。
――始まった。
最初の十分は、俺の空だった。
降りてくる翼を、雷が順番に落とす。四枚。五枚。地上の八十は柵の袋小路で詰まり、水路に踏み抜かれ、ブレンの若い衆が二階の窓から石と熱湯を降らせる。訓練どおり。設計どおり。数字が、こっちに傾いていく。
……傾きすぎている、と気づくべきだった。
六枚目を落とした直後、雲の中から、それは来た。
残りの翼が、二枚一組で、俺の機体に喰らいついたんだ。一枚が囮に前へ出て、雷を吸い、その死角からもう一枚が牙で機体ごと噛み砕く。三十秒で、俺の目と牙が、二機まとめて空から消えた。
――学習してる。二日前の威力偵察は、こっちの手札を数えるだけじゃなかった。喰い方の稽古だったんだ。
糸が、千切れていく。四機。三機。空の視界に穴が開く。東の空が、真っ暗になる。
東。
難民たちの、納屋の側だ。
俺は木を蹴って走った。笛を連続で鳴らしながら――俺のことは待つな――柵を跳び、畑を突っ切り、納屋の角を曲がった。
視界が開ける。
燃える軒。逃げる人影。その頭上に、一枚の翼が音もなく滑り込んで、降下角に入るのが見えた。爪の先にいるのは、ニナと、ニナを背中に庇って両腕を広げた、母親だった。
距離、十メートル。
体は、動いた。今度は動いたんだ。走りながら銃を練り、構えるより速く撃った。雷が鳴って、翼は眉間を射抜かれて、失速して、母娘の頭上を逸れて畑に堕ちた。
落ちる寸前の爪が、掠めた。
それだけだった。それだけで、人は、駄目なんだ。
俺は残りの十メートルを走り切って、膝をついて、確かめて、それから何も言えなくなった。母親は、最後まで両腕を広げた形のまま、ニナの上に覆いかぶさっていた。ニナは無傷だった。母親の袖を、両手で握りしめて。
「……ニナ。手を」
離れない。あの小さな指が、袖に喰い込んで、離れない。引き剥がすことは、できた。俺の腕力でも、できた。できなかった。
――あいつら、離すと泣くから。
白い場所で、俺が女神に言った言葉だ。まさかこんな形で、自分の耳に返ってくるなんて。
背後で戦いの音は続いていた。俺は立ち上がらなきゃならなかった。空にはまだ翼が残っていて、袋小路には八十の半分が生きていて、俺の牙は残り三機で、村はまだ、夜の途中だった。
マーサが駆けつけてくれた。何も訊かず、ニナごと母親を抱き込んで、俺に一度だけ頷いた。行け、という頷きだった。
俺は行った。戦争は、悲しむ時間を作ってくれない。それだけは前世で骨まで教わっていた。
◇
敵が退いたのは、夜明けの少し前だった。
翼は十二のうち九枚を落とした。地上の八十は、半分近くを畑と水路に残して国境へ散った。数字だけ見れば、大勝と呼ぶんだろう。守り切った、と。
村の死者は、四人だった。
袋小路の若い衆が二人。逃げ遅れた老人が一人。そして、両腕を広げた形の母親が、一人。
朝の光の中で、俺は自分の設計図を見下ろしていた。どこで間違えた。囮と噛み手の二枚組を、なぜ想定から外した。目を潰されたとき、なぜ東の再配置が三十秒遅れた。答えは全部出る。全部、後からなら出るんだ。
ミラと同じ歳の頃のニナは、マーサの腕の中で、声ひとつ立てずに、まだ母親の袖を握っていた。
――あと十メートル、じゃなかった。今度は、届いたのに。
届いても、守れないことがある。この世界は、そこまで前世と同じにできていた。
夜明けの光の中で、俺は初めて、この世界で敗けた。




