音のない戦争
この世界の戦争は、光っている。
王都の練兵場。年に一度の観閲式。貴賓席の一番端で、俺は八歳の王子らしく、行儀よく座っていた。
眼下では、王国魔導軍の第一梯団が横一列に整列している。純白の隊服。掲げられた杖。指揮官の号令とともに、百人の詠唱がぴたりと揃った。
「――紅蓮よ、集え!」
十五秒。
たっぷり十五秒の詠唱の後、百の火球が一斉に放たれ、二百歩先の標的群を華々しく吹き飛ばした。轟音。歓声。貴賓席の貴族たちが立ち上がって拍手する。続いて重装騎士団の突撃演習。陽光を弾く鎧の密集陣が、鏡みたいに輝きながら、まっすぐ駆けていく。
美しかった。本当に、美しい軍隊だと思う。
――そして、全部が的だ。
詠唱の十五秒間、魔導師は棒立ちになる。百人が肩を並べて。俺の世界なら、最初の一音を発する前に全員が地面に伏している。密集して直進する騎士団は、あの空にドローンが一機いるだけで、進路も数も丸裸だ。輝く鎧は「ここを狙え」と教えてくれる誘導灯でしかない。
この世界の戦争には、音がない。
正確には、「あの音」がない。空の羽音。風を切る落下音。遠くで鳴って、数秒後にこっちの世界を捲り上げる、あの理不尽の音が。ここでは敵は目に見える場所から来て、名乗って、光って、ぶつかる。
だから誰も、空を警戒しない。誰も、散開しない。誰も、伏せない。
……ミラなら三日で覚えた「音を聞いたら物陰に転がる」を、この世界の最強の軍隊が、誰一人知らない。
「――ヴィルフリート」
声をかけられて、俺は数えるのをやめた。
隣の席。第一王子アルノルト。十九歳。次の王様になる人。彫刻みたいに整った顔が、拍手もせずに俺を見下ろしていた。
「先ほどから、指を折っているな。何を数えている」
「旗! 旗の数を数えてた! 二十四本あった!」
にぱっと笑ってみせる。八歳の顔は、こういうとき便利だ。
「……二十六本だ」
「えー、うそだ。数えなおす!」
アルノルト兄上は、それきり俺を見なかった。代わりに練兵場の向こう、来賓席の一角に視線を戻す。黒い礼服の一団――ヴェルダ帝国の使節団。この観閲式そのものが、あいつらに向けた「うちの軍は強いぞ」という展示なのだと、給仕の噂話で知っている。
帝国の使節たちは、拍手をしていなかった。
ただ静かに、光る軍隊を眺めて、何かを書き留めていた。
……あれは、値踏みの目だ。配給所を回ってた業者と同じ目。
この世界は、思っているより平和じゃない。
◇
その夜。俺は寝室の窓から抜け出した。
行き先は、城の北端。使われなくなった古庭園の、涸れ井戸の底だ。縄梯子で三階分ほど降りると、石積みの丸い空間に出る。音は上に抜けない。八年かけて見つけた、俺の工房だった。
ランタンを灯し、床に座り、掌に魔力を練る。
今夜こねるのは、ドローンじゃない。
飴色の光が形を結んでいく。銃床。機関部。銃身。この長さ、この重さ。間違えようがない。前世で、何百回も分解して、磨いて、組み直した一挺だ。
教えてくれたのは、隣の区画のヨゼフじいさんだった。民兵上がりの偏屈な年寄りで、俺が届ける薄いスープの礼に、銃の面倒の見方を仕込んでくれた。「武器ってのはな、坊主。手入れした人間の言うことしか聞かん」が口癖だった。じいさんは二年目の冬に、検問から帰ってこなかった。
だからこの銃の構造は、匂いまで覚えてる。
掌の上で、練成が完了する。ずしり、と本物の重さ。井戸の底で、俺は八年ぶりに小銃を構えた。八歳の体には長すぎて、重すぎる。それでも頬付けの位置を、体が勝手に覚えていた。
問題は、ここからだった。
弾がない。
正確には、弾を「撃ち出すもの」が作れない。練成は、俺が構造を理解した物しか形にできない。弾頭はいい、ただの金属の塊だ。だが装薬――あの火薬が何でできて、どう燃えるのか、俺は知らない。前世の俺は整備はできても、中身の化学は知らないままだった。理解してないものは、練れない。
三十発、練っては失敗した。形だけの弾は、当然、鳴らない。
「…………」
井戸の底で、俺は不発の弾を転がしながら考えた。
――待て。
そもそも、火薬にこだわる必要があるのか。あれは弾を押し出す「圧」を作る道具に過ぎない。で、俺は今、何を使ってこの銃を作った? 魔力だ。物を形にする力。なら、形にしなくていい。圧のまま、薬室の中で一瞬だけ弾ければいい。
弾頭だけを練る。その尻に、練りかけの魔力を固めずに封じる。引き金の衝撃で封が破れ、魔力が一気に膨れる――
装填。頬付け。井戸の壁に向けて。
息を半分吐いて、止める。
指が、引き金を絞った。
――ダン、と。
世界が、鳴った。
肩を蹴られたような反動。石壁で砕ける弾頭。硝煙の代わりに、焼けた魔力の匂いが鼻を刺す。狭い井戸の底で音が暴れ回り、俺の骨まで揺らして、消えた。
俺は、動けなかった。
この音を知ってる。三年間、この音の届く側にいた。この音がした方角から母さんは帰らず、この音を数えながら地下で夜を明かし、ヨゼフじいさんはこの音の理屈を、スープ一杯で俺に遺した。
殺しに来る側の音だ。
それが今、俺の手の中で鳴った。俺の指が、鳴らした。
……震えてるのは、反動のせいだけじゃなかった。怖いのか、と自分に訊いた。違う。これは武者震いですらない。ただ体が、この音の意味の重さを、俺より先に思い出しただけだ。
深呼吸を一つ。それで終わりにした。
銃を膝に置き、俺は今日の観閲式を思い出す。光る軍隊。棒立ちの詠唱。値踏みする黒服。そして、この井戸の底の音。
これを王城で鳴らせば、どうなるか。
簡単だ。八歳の第三王子は、その日から「王国の切り札」になる。丁重に、大切に、今の百倍分厚い檻に入れられて、国の都合で撃つ道具になる。城を抜けることも、ロゼンの空を飛ばすことも、いつか堕ちてくる二人を探しに行くことも、二度とできなくなる。
王子の椅子は檻だが、兵器の檻は、もっと狭い。
「……お前は、まだ鳴くなよ」
銃を撫でて、魔力に還す。飴色の光が掌に溶けて、井戸の底には焼けた匂いだけが残った。
この世界に、俺の武器庫は要らない。俺の掌が武器庫だ。必要な時に、必要な場所で、練って、使って、消す。誰にも渡さない。国にも、王家にも。
これは、ユリとミラの空を空けておくためだけの音だ。
◇
部屋に戻る途中、渡り廊下で足が止まった。
月明かりの中に、アルノルト兄上が立っていた。
「……夜風に当たっていた」
訊かれる前に言う。兄上は肯定も否定もせず、ただ俺を眺めた。それから、独り言みたいに言った。
「今日の観閲式。帝国の使節は、魔導軍の演習を三度書き留め、騎士団の突撃では筆を置いた」
「? むずかしい話?」
「――お前は、旗など数えていなかった。詠唱の秒数を数えていた」
心臓が、一拍だけ跳ねた。
顔には出さない。八歳の、きょとんとした顔のまま。
「びょうすう? なにそれ」
「……もういい。部屋に戻れ、ヴィルフリート」
兄上は先に歩き出した。その背中に、俺は行儀よくお辞儀をする。
……第一王子、アルノルト・アルディス。
この城で一番、目がいい人。
どうやら俺の檻の見張りは、使用人七人だけじゃないらしい。




