8.『死神』との出会い
「でもこんなに魚を獲れるなんてすごいね。ルイくんは釣りが上手なんだね」
キッチンに置かれた網いっぱいの魚は、ルイが全部釣ったらしい。
魚を釣って料理屋に売り、賃金を得る。幼いのに、立派な商売ができていることに感心した。
「うん! えへへ、釣りはね、死神のお兄ちゃんに教えてもらったんだ」
「死神のお兄ちゃん……?」
急に物騒な単語が出てきて、カレンを首をかしげる。
「この街には『死神』って呼ばれている、正体不明の男がいるんだよ。全身真っ黒でマスクまでして、顔もわからない。
でもとんでもなく強くて、どこからともなく現れては、街を荒らす無法者を退治してくれるのさ」
魚を捌いて下拵えをしているラシッド店長が、丁寧に説明をしてくれた。
しかし内容を聞いたとて、怪しさ満点であまり想像できない。
「それは、ギルドの依頼ではなく?」
「ああ。依頼主もいないし報酬も出ない。本当にただの、慈善活動だな」
『無法者を退治してくれ、報酬は三千フィル』とかの依頼をこなしてるわけではなく、たった一人でこの荒れた暗黒街を掃除しているのだとしたら、たいそうな人格者だ。
「『真っ黒な服着た死神が、悪い子の魂を地獄に連れてっちゃうよ』って、この街の子供を寝かすときのおとぎ話の常套句はあるんだ。
その死神に似てるってんで、ついた二つ名だな。悪い奴らからしたら、確かに死神。
でも善良な市民からしたら、英雄だ」
子供を寝かしつける時に母親が言いそうな文言だ。
そんな言い伝えの中の存在として呼ばれるほど、ここ暗黒街では有名な存在らしい。
「ひとりぼっちでおなかが減っててね、ぼく毎日ゴミ捨て場で、固いパンを拾って食べてたんだけど」
オレンジジュースを飲むルイが、当時を思い出して話してくれる。
辛い過去にカレンは、胸を痛めて静かに聞いた。
「そんな時、死神のお兄ちゃんが現れて、ぼくに『魚が釣れる場所がある、釣り方を教えてやるからそれで生計を立てろ』って教えてくれたんだ」
ルイは身振り手振りで、その時のことを真剣に教えてくれる。
「最初は釣るの大変だったけど、毎日来て教えてくれてさ。
今はお魚売ったお金で、ちゃんとパンも買って食べられるようになったよ!」
釣りはコツを掴むまで難しいし、一日中粘っても一匹も釣れないことなんてよくある。
少年が一人で釣れるようになるまで、付き添って教えてくれるのは、なんとも辛抱強い。
「それはよかった。残飯は食中毒の危険もあるから、お店のものを食べたら安心だね」
「うん!」
自慢げに胸を張り、笑顔を浮かべるルイが可愛らしくて、カレンは思わず彼の赤毛を撫でる。
「実は俺も、前に魔獣に襲われてた時に間一髪助けてもらったんだよな」
ラシッドも笑いながら、左目につけている眼帯を撫でる。
「彼が助けてくれたから、左目だけで済んだけど。
もしかしたら今頃魔獣の餌になってたかもしれないんだ、これが」
あっけらかんと笑って言っているが、危機一髪のところを救ってくれたのが、『死神』だという。
「悪しきを挫き、弱きを救う。
死神も、あんたと同じだな。ミア先生」
キッチンの中のラシッド店長が、ふふ、とおかしそうに笑った。
確かに、悪人を倒し幼い子を救うその『死神』と、怪我人や病人を治療する自分は、この街では近い存在なのかもしれない。
カランコロン。
ドアについたベルが鳴り、『黒猫の足跡』に来客が来たことを告げた。
月明かりしかない暗闇から抜け出したかのように、ヌッと現れた不気味な影が一つ。
「おっと、噂をすれば」
しかしその客は顔見知りらしく、店長は驚くことなく招き入れた。
ランプの下に照らされたのは、真っ黒なローブのついた服と黒いブーツを身に纏い、口元にまで黒い布をつけ、全身真っ黒な男性。
店長の口ぶりと、一目見てぎょっとするような出立ちを見て、
「あなたが……『死神』……?」
カレンは思わず、その物騒な二つ名を小さく呟いてしまった。
突然の来訪者はそんなカレンには目もくれず、無言で店内の中へと歩いてくる。
「店長、酒をくれないか」
温度を感じさせない、低い声。しかしラシッド店長は、慣れたものだと気にせず返事をする。
「あいよ、ビール? それともウイスキー?」
「飲むわけじゃない。度数の高い蒸留酒を」
淡々と返事をする来客に、店長が手際よく後ろの酒棚からちょうどいい銘柄のものを取り出す。
そこで、カレンは気がついた。
店の玄関から彼が歩いてきた床の上に、真紅の染みが辿るようについていることに。
(あれは――血痕だ)
微かに香る血の匂い。
カレンは医者の反射神経で来訪者の方を見つめる。
すると彼は、奥のテーブルに酒の入ったグラスを置き、黒い服の袖をたくし上げ血の滴る左腕を露出させた。
そしてグラスを持ち上げると、
バシャッ!
自らの血まみれの左腕に、注文したばかりの酒をぶっ掛けた。
「ちょ、ちょっと! 何してるんですか!?」
突然の奇行にカレンが驚き、カウンター席から立ち上がり止めに入る。
「……消毒だが。何か」
そこで初めて、『死神』と目が合った。
目しか見えないので表情はほぼ読み取れないが、氷のように冷たい視線が、カレンに突き刺さる。
「清潔にしないまま飲み物を直接かけたら、化膿してより悪くなりますよ……!」
慌てて駆け寄り、酒と血が匂いが混じり合う彼のそばに行く。
カレンを避けるように身を捩ってきたので、ちゃんと身分を伝えようと、
「私は医者です。私が治療しますので、診せてください」
胸ポケットに入れていた医師免許をサッと見せ、『死神』を説得する。
「この店に、医者が?」
カレンの身分は信じたのだろう。
怪訝そうな声で『死神』が呟く。
「ああ。なんでも、医者に見放された我らが暗黒街に、初のお医者様が生まれたよ。しかもお金はいらないんだと」
カウンターの中で腰巻エプロンで手を拭きながら、ラシッドが端的に説明する。
「あんたと同じ、慈善活動だってさ。
お二人さん、気が合うんじゃない?」
首を傾げて笑いかけてくる陽気な店長に、
「……へぇ」
感心したのか、呆れたのかわからない気の抜けた相槌を打ち、じろりとカレンを見下ろす『死神』。
そんな世間話をしている間にも、ポタ、ポタと彼の左腕から鮮血が床に落ちる。
出血量を考えるとあまり悠長なことはできないと、カレンはそっと近づき、患部を確認しようと彼の手首を優しく掴んだが、
「――触らないでくれ!」
次の瞬間、強い力で腕を振りほどかれてしまった。




