5.闇医者ミアの誕生
「いえ、礼には及びません。
救急処置は無事終わりましたので、あとの経過はかかりつけ医に診て貰えばいいと思います……と。
この街に、医師はいないんでしたっけ」
医者が存在しないここ、『暗黒街』で、傭兵の彼にかかりつけ医などいないのだろう。
身体中には自分で縫ったり、適当に処置をしたような古傷がたくさんついている。
カレンの言葉に、傭兵は寝転がったまま、不安そうに眉をひそめる。
「医者なんていないんだよ。
なあ頼む、完治するまでアンタが診てくれないか。俺は傭兵で、この腕一本で食ってるんだ。
きちんと治らなくて剣を振れなくなれば、どのみち飢え死にさ」
「それは……」
傭兵からの懇願に、カレンは頬を掻く。
(今日はたまたまバレなかったけど、毎日宮廷抜け出したら、いつか見つかっちゃうかも。
宮廷は副業禁止だからな……)
と、身分を隠しており誰にも言えないため、困ったなと迷う。
「俺からもお願いだ。
客を治してくれるなら、ギルドの商売としても俺も助かる」
店長である、青髪に眼帯のラシッドも助け船を出してきた。
確かに、傭兵はこのギルドの常連客のようだし、おそらく依頼主からの仲介料で稼いでいるギルドとしては、客が再起不能になるよりは、無事に治ってくれる方が良いのだろう。
「その代わり、ここの食事やジュースはおまけするよ」
ウインクをしたラシッドの手元には、カレンの好物であるベーコンと卵のサンドイッチや、アップルパイが皿に置かれている。
カレンは思わず、わぁ……! と手を合わせて喜んでしまった。宮廷を出る前に軽く食べただけなので、小腹が減っていたのだ。
横になっている包帯姿の傭兵からの懇願と、店長からの提案と、周囲の客からの温かい歓迎の視線。
最初にギルドに入ってきた時の、部外者のような疎外感はもう感じなかった。
「じゃあ……このギルドのかかりつけ医として、しばらくお邪魔することにしますね」
金髪ポニーテールを揺らしカレンが頷くと、ギルドの中で歓声が上がった。
横になり安静にしている傭兵も、嬉しそうに笑っている。
「お嬢ちゃん、さっきは本当に医者かなんてからかって悪かったな。あんたすげぇよ」
最初にカウンターで酒を飲んでいた中年が、見直したと言わんばかりに背中を叩いてきた。
「まさに、暗黒街の『闇医者』の誕生だな!」
「はは、闇医者って……ちょっと恥ずかしいですね」
暗黒と闇がかかっているが、確かに宮廷医だということを隠して夜だけ秘密で行うのだったら、名実ともに『闇医者』で間違いない。
店長にカウンターに座るように促され、報酬代わりに温かいハーブティーを出してもらった。
「そう言えば闇医者のお嬢さん、あなたのお名前は?」
ラシッドにそう尋ねられ、淹れたての温かい紅茶を飲みながら、カレンはふと考える。
(カレン・フォーニエって本名を言ったら、宮廷医っていつかバレちゃうかも。何か適当な偽名を……)
そこでふと思い浮かんだのが、昔実家で飼っていた猫の名前。
甘えた時に『みゃーみゃー』と鳴く、茶色のブチ猫を、その鳴き声から取った呼び名。
「私のことは、ミアって呼んでください」
あだ名として、本名の代わりに子供の頃たまに使っていたその名を伝えた。
「じゃあミア先生、今後ともよろしく!」
酒の注がれたジョッキを持ったギルドの客や店長たちと、ハーブティーで乾杯をした。
その日は『黒猫の足跡』という暗黒街のたまり場で、没落貴族の宮廷医カレンが『闇医者ミア』として初めて人を救った記念すべき日だった。
(本当に困っている人を、救いたい。
ここならそれができるかも)
老いも若きも、貧富の差も関係なく、怪我や病気で苦しむ人を救いたいという、彼女の真っ直ぐな気持ちが叶ったのである。
そんなギルドの祝杯ムードの裏に、一つの人影が潜んでいた。
そっと窓の外か中の様子を監視しているその高い影は、初めてギルドに訪れた少女を見つめていた。
全身真っ黒の服を纏い、頭にも黒いフード、口元も黒のマスクをつけ、肌が見えるのは、微かに目の周りのみ。
漆黒に溶け込んでしまいそうなその青年は、深く息を吸う。
「ミア……彼女が、なぜこんなところに……」
低く呟いた声は、夜風にかき消されて誰の耳にも届かなかった。




