37.手紙の筆跡
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そして夜。宮廷の窓をそっと抜け出し、カレンは闇夜を走る。
暗黒街を照らす光、『黒猫の足跡』という看板の出たギルドの扉を叩くのだ。
「はい、これで大丈夫ですよ」
カレンが怪我をしたというギルドの客の処置を終え、優しく包帯で手の甲を包む。
「助かったよミア先生。煉瓦を運んでいたら手を切っちゃってさ」
ギルドに良く入り浸っている中年の男性は、鼻の下をこすりながら照れ笑いをする。
若い女性の闇医者に手を握られて、少し照れくさいようだ。
「王都から金が下りて、崩れた煉瓦の建物を直すための新しい資材が届いたんだよ。
それで煉瓦積みのギルドの依頼を受けたんだ」
「俺たちみたいな暗黒街の貧民に、まさか貴族様たちが目をかけてくれるなんて、冗談かと思ったぜ」
「どうやら宮廷の宰相とやらが、暗黒街を直すために色々やってくれてるらしい」
「へぇ、珍しい奴もいたもんだ」
焼いたパンにバターを塗って皿に盛っているラシッド店長が宰相の噂を話すと、宮廷に住む奴なんて暗黒街を下に見ていると思っていた客たちは、嬉しそうに肩を揺らす。
「そうそう、昨日のお昼に三番街の方で炊き出しをしてたんだ!
野菜たっぷりのスープとパンが食べられたよ。おいしくて僕、おかわりしちゃった」
今日も釣った魚を売りに来たルイが、嬉しそうに喋っている。
「家がない奴や飢えて倒れてたやつらも、救われるよな」
「うん、週に2回来てくれるんだって。僕、今度ありがとうって手紙書いて渡そうと思って」
お腹いっぱい食べられることは、それだけで気持ちが満たされるだろう。
カウンターの高い席では足が床に突かないルイは、足をぶらぶらさせながら感謝の手紙を書くと言っている。
それもこれも、会議で提案をし、反対を押し切り皇帝に直談判し法案を通した、ヴィンス宰相のおかげだ。
和気あいあいと話すギルドの客たちの輪に混ざりつつ、カレンはその宰相本人であるヴィンスをそっと振り返る。
黒いフードに黒いマスクをした『死神』の姿の彼もギルドに居たのだが、話には混ざらず、店の奥の壁に寄りかかり俯いている。
少し近づくと、彼は手に持った紙切れにじっと視線を落としているようだった。
「何を見ているのですか?」
「……ん? ああ、いや」
カレンが近づき声をかけると、自分の世界に入っていたらしき『死神』ヴィンスはふと顔を上げた。
フードとマスクで、目しか露出していない顔をカレンに向ける。
「この字、どこかで見たような気がしてな」
そうして指でつまんだ紙切れをひらひらと揺らすヴィンス。
「これは……」
「この前倉庫で子供を攫っていた、王都の商会から依頼を受けた奴の持っていた手紙だ。
差出人は、『暗黒街浄化』計画の主犯者だろう」
幼い子供たちを縛っていた悪党を懲らしめた時に、主犯格の胸ポケットに入っていた紙。
そこには、数行で報酬や子供の条件などが書かれているだけだ。
「依頼主を知らないと奴らは言っていたが、この筆跡を探ろうと思う。黒幕に近づけるかもしれないしな」
金目当てで依頼を受け、手紙でやり取りをしていたと言っていたので、自筆で書いたらしきこの手紙は重要なヒントになる。
「子供を誘拐して危険な目に合わせるような人間です、許しておけません」
「そうだな。宮廷内のここ最近の書類に目を通すとしよう」
カレンが怒りを込めた口調で同意すると、ヴィンスは小声で頷く。
しかし、宰相の執務室に積まれ、今にも雪崩が起きそうだった山のような書類の枚数を思い出し、それを一枚一枚確認するのかと、カレンは想像するだけで眩暈がしそうになった。
「昼も多忙で、夜もここで戦っているのに、どこにそんな時間と体力があるんですか……?」
自分は昼も夜も命に係わる責任重大な仕事をしているせいで、夜は泥のように眠るし、休みの日は一日中自室のベッドから起きれないほど休息を取らないと持たないのに。
行動的なヴィンスに、カレンは尊敬を通り越して思わず呆れてしまう。
「俺の心配してくれてるのかい? ミア先生」
するとヴィンスが、片眉を上げて紫の瞳で覗き込んできた。
どうやら愉快そうに、少しからかっているような調子だ。
「そ、そりゃあ、医者として、あまり体を酷使するのは良くありませんし」
しどろもどろで返事をすると、ふ、とマスクの裏で笑い声が漏れる声がする。
昼間は生真面目で冗談の一つも言わない癖に、夜は素が出るのか、少し意地悪なヴィンスに、まだなかなか慣れない。
「私も暇を見つけて、手伝いますね」
「……助かるよ」
宮廷医の隙間時間に、宰相の書類の中でこの手紙と筆跡が似ているものがないか探すと、カレンは密かに約束をした。




