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31.母の名を呼ぶ息子

***


 ヴィンスの手作り朝食を食べたら再び睡魔が襲ってきたので、カレンは今日の有給の処理をヴィンスに頼み、患者の隣で仮眠をとることにした。


 昼頃に目を覚ますと、ちょうどラシッド店長や傭兵たちも目を覚まし、昨夜一晩処置に奔走したカレンを労ってくれた。


 重症の青年も目を覚まし、水や重湯を飲むことはできたので、順調にいけば回復するだろう。



(ヴィンス宰相は全然寝てないのに、宮廷に戻って昼の仕事をしているのかしら……。

 体を壊さないように、栄養剤とよく眠れる薬を処方して今度渡そう)



 昼と夜の顔を使い分け、見事に宰相と『死神』をこなしているヴィンスを密かに尊敬しながら、カレンは怪我した青年の包帯を替えた。



 さすがにその日の夜には宮廷へと戻り、次の日は当たり前のように宮廷医の仕事を行った。


 急に休んでも優秀な看護師の部下たちが通常業務をこなしてくれていたらしく、感謝して回る。


 そして夜はまた闇医者ミアとして暗黒街のギルドへと向かい、少しずつ意識を取り戻した青年に食事を与えて薬を飲ませ、痛み止めを塗る。


 そうして数日後、青年は自分の脚で立ち上がり、歩けるほどにまで回復した。



「世話になったな、俺はもう行くよ」



 ギルドの扉の前に立って、カレンに礼を言う青年。



「もう少し傷が良くなるまで休んでいてもいいんですよ?」



 まだ体は痛むし、貧血もひどいはずだ。

 せめてあと一週間は横になっていた方が良いとカレンは思うのだが。



「これ以上アンタたちに迷惑かけられないしな」



 と青年は首を横に振る。

 ラシッド店長や『死神』ヴィンスが見守る中、青年は頭を下げる。



「私は怪我人を治療することを、迷惑なんて思いませんよ」



 それが医者の仕事だし、使命でもあるのだから。

 カレンの意志の強い言葉に青年は面食らう。



「はは、ありがとう」



 少し恥ずかしそうに笑って頷いた。



「そういえば、どうしてこんな大怪我をしていたんですか?」


「いや、ドジっちまって、足滑らして崖から落ちたんだ」



 ずっと疑問だった怪我の原因を尋ねると、気まずそうに頬を掻きながら言う青年。


 全身痣だらけだったのは、山間から落ちてしまったのだという。



(崖から落ちたのなら痣は大きなものが一か所できるはず。あんなに全身に丸い痣がたくさんできるかしら……?)



 カレンは疑問が浮かんだが、深くは追及せずに頷く。



「お母さんに元気になった顔見せてあげてくださいね。きっと安心すると思いますから」



 そう声をかけると、青年は首を傾げた。



「……え、なんで母ちゃんに?」


「あなたがうなされている間、何度もお母さんのことを呼んでましたから。仲がいいんだと思いまして」



 ぼろぼろで血だらけの彼は、何度も何度も「母ちゃん、助けてくれ、死にたくない」とうわ言のように呟いていた。今際の際に思い返すぐらいなのだから、きっと大切な人なのだろう。


 成人し離れて暮らしているのだとしても、顔を見せてあげるのが親孝行ではないかと思ったのだ。


 すると、それまで笑顔を浮かべていた青年は、スッと表情を消した。



「……母ちゃんは、もう何年も前に死んでるよ。

 流行りの疫病にかかって、ころっと逝っちまった」


「えっ……」



 カレンは思わず声を失う。


 では彼は、もうこの世にはいない母親を何度も呼んでいたのか。


 自分の命の危機に、瞼の裏に映る優しき過去の母の姿にすがっていたのかもしれない。


 二人のやり取りを静かに見ていたヴィンスも、青年の言葉をじっと耳を傾けている。



「はは、俺、そんなこと言ってたのか。

 子供の頃熱出した時に看病してくれた母ちゃんと、アンタを見間違えたのかもな」



 気恥ずかしそうに、青年は後ろ髪を掻く。



「じゃあ俺は行くよ。金なくて悪い、助かった」


「はい、私はミアと言います。何かまた困ったことがあったら、ここに来てください。夜ならいると思いますので」



 闇医者としてのギルドでの呼び名、ミアを名乗り、礼を言って去り行く青年の背中に手を振った。


 どうかこれ以上彼が、体にも心にも傷を負わぬようにと願って。



 そうして、行きずりの重傷な青年の窮地を、闇医者ミアことカレンはその手腕で救ったのだ。


 空き部屋を提供してくれたギルドの店長と、色々と甲斐甲斐しく世話をしてくれた店の常連たち、そしてうまく有給消化で昼の仕事の調整をしてくれたヴィンス。


 全員に感謝をせずにはいられなかった。


 医者が一人もいないこの暗黒街で、一人の命を助けた。


 この経験は、カレンに自信を持たせた。


 そう、美談で終わると思っていたのだ。――この時までは。

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