3、ギルド『黒猫の足跡』
* * *
夕刻になると宮廷には鐘の音が鳴り響き、本日の業務時間は終了となる。
門の見張りや夕食の給仕など、夜の仕事がある者以外は、執事や侍女たちも自室へ戻り自由時間となる。
「それでは、失礼いたします」
宮廷医としての本日の業務を終えたカレンは、礼儀正しく部下や同僚たちの挨拶をし、廊下を出て自室への道を進む。
二階の最奥にある部屋は、カレンと入れ替わりで辞めた老医師が長年使っていた部屋だということで、医療関係の貴重な書物や図鑑が本棚に残っており、ありがたかった。
しばらくベッドに座り読みものをしていたら、夕食の時間になり、ドアがノックされ侍女が食事を運んできた。
宮廷に住む皇族や貴族以外の役職持ちの者は、部屋まで朝食、夕食を運んできてもらえるシステムだ。
パンと野菜のスープ、魚のムニエルとシンプルな食事だが、味付けが繊細でカレンは好きだった。
食事がひと段落したら、早ければ眠る人も出てくる時間だ。
カレンは窓の外を眺め、宮廷の中から城下町を見下ろす。
『怪我人がたくさん出たみたい』
その言葉を聞いて、決意ができた。
(……やっぱり、放っておくことはできない)
カレンは長い金髪をリボンで高くしっかり結び、寒さ対策と顔を隠すためにスカーフを頭にかぶり、音がしないようそっと窓を開ける。
(宮廷は夜間外出禁止だけど、構っていられない。
こんな目と鼻の先に怪我人がいるのなら、助けに行かなきゃ)
窓の桟に足をかけ、思い切って夜空に身を出した。
二階のため、背中が壁を伝うように慎重に降りれば、簡単に着地することができた。
草を踏みしめる感触と、澄んだ夜風と、抜け出してしまった背徳感と。
(宮廷勤務は副業禁止だし、ばれたらクビにされちゃうかも……)
なんて思いながら、カレンは見張りがいない塀の上を乗り越え、宮廷を抜け出し、夜の道を走りだした。
***
宮廷の人に見つからないように最初は小走りで、そのあとは早足で歩き、二十分程度。
散歩したら着くほどの距離に、その街はあった。
はっきりと境界線があるわけではないのだが、大河から派生した小さな川に掛かる、細い橋を渡れば、雰囲気は一変。
どろり、と体にまとわりつくような黒い空気で、一気に雰囲気が変わった。
真っ暗な路地裏にはボロボロに朽ち果てた家屋や、破れた新聞が落ちている。
痩せたネズミがカレンの足元を走り抜け、カラスが屋根の上から小さく鳴いていた。
(かなり衛生環境が悪い……これでは治るものも治らないわ)
カレンは周囲を見渡しながら、『暗黒街』の実情にごくりと唾を飲み込んだ。
本当に名前の通り真っ暗で閑散とした街で、月明かりで目を凝らさないと自分の足元さえ危うい。どこからか焦げ臭い香りがするので、火事の後だというのを感じる。
角を曲がった先に、灯りがついている店があることに気がついた。
丸太小屋の小さな店には、『黒猫の足跡』という名前の看板が出ている。
中からは微かに人の話し声や笑い声が聞こえる。
(灯りがついてるのはここしかないから、まずは入って中の人に話を聞こう)
カレンは意を決して、その『黒猫の足跡』という店の扉を押した。
「す、すみませーん……」
カランコロン、と扉につけられた来客を告げるベルが鳴り、カレンがおずおずと足を踏み入れると、店の中で盛り上がっていた会話が途切れ、客と店員の視線が一斉にこちらを向いた。
内装は酒場のような雰囲気だ。
カウンターの中には店長と思しき青年が立っており、その前のカウンター席には中年の男性が座って酒を飲んでいる。他のテーブル席にも、ちらほらと人が座っているが、年齢も人種もまちまちだ。
「お嬢ちゃん、見ない顔だな。ここがなんの店か知ってんのかい?」
カウンターに座っている中年の男性が、赤ら顔で声をかけてきた。
「ええと、初めて来たので知らないのですが、酒場……ですか?」
カレンが答えると、相手はハッと笑い肩をすくめてしまった。外れたらしい。
「ここはギルドだよ。『訳あり』の傭兵やその日暮らしの流れ者が、日銭を稼ぐための依頼を受ける場所。まあ、酒や軽食も出すけどね」
カウンターの中に立っている腰巻きエプロンの青年は左目に黒い眼帯をしており、クールに答えてくれた。
なるほど、よく見ると店の壁には『魔獣討伐』、『商人護衛』、『農作物収穫手伝い』といった依頼の紙が貼られており、それぞれに成功報酬の金額も載っている。
暗黒街の中で、夜間も唯一灯りをつけて営業をしているギルドは、ここに住む人たちの溜まり場なのだろう。
「俺は店長のラシッドだ。お姉さんは、迷子かい?」
青い髪で眼帯の店長はラシッドというらしい。腕を組みながら、突然の来客のカレンを見つめている。
カレンは頭に巻いていたスカーフを脱ぐと、自己紹介をする。
「こんばんは。私は医者なのですが、最近この近辺で怪我人が出たと聞き、治療したいと参りました。どなたかご存知ですか」
その言葉に、目を丸くして二人が目配せする。
「お嬢ちゃんが医者? 寝言じゃねぇよな?」
「はい、正式な医師免許を持っております」
茶化すように中年の客が言うものだから、ムッとしたカレンは常に携帯している医師免許を胸ポケットから出し見せた。ふーん、と納得する店長のラシッドと客。
「お医者様がわざわざこの暗黒街にいらして、治療してくれるってか」
中年客の声に、他のテーブルの客たちもチラチラとカレンを見ては噂話をしている。
「怪我人なんて日常茶飯事、そんなやつその辺にゴロゴロいるから、どいつかなんてわからないよなぁ」
その声に、違いねぇ! 相槌を打ったり、せせら笑う声が他の卓から聞こえる。
自分はここには場違いな存在なので軽くあしらわれていると、カレンは唇を引き締める。
「気を悪くしたらすみませんね。
この街には医者なんて一人もいないから、みんなあなたが物珍しいのでしょう」
「医者が……一人もいない……?」
店長のラシッドが注目の的になってしまったカレンに気を遣うように言うが、カレンは眉根を寄せる。
「街には必ず、人口に合わせて医者を配属させるはずですが……」
医療学生時代に習った、大きな街でも小さな村にも、住人の数に合わせて医療従事者を配置するのが、医師法にて決まっているはずだ。
老いも若きも、貧富の差は関係なく、医療を受けられるために。
「まあ、ここは地図には載らない、『暗黒街』ですから。
よその決まりなんて関係ないんですよ」
店長はグラスを布で拭きながら、苦笑しながら話す。
「そう、なんですか……」
宮廷から少し歩き、橋を渡ったら着く場所なのに。まるで世界の反対側に来てしまったような感覚だ。
カレンが店の中央で立ち尽くしたまま途方に暮れていると、
バンッ!
荒々しく店の入り口のドアが開き、その後大柄な男が店に入ってきた。
「た、助けてくれ、誰か!」
自らの右腕を押さえたその男は、脂汗をかき、息も絶え絶えである。




