19.深夜の倉庫にて
宮廷医としての定時までの仕事が終わり、命じられた通り書類は自分の部屋の暖炉で焼いて証拠隠滅をしたあと、カレンはスカーフをかぶり変装をして、窓から抜け出した。
いつもなら暗黒街の『黒猫の足跡』に真っ先に行くのだが、今日は五番街の倉庫まで足早に向かっていた。
道中、街中で寝ている者や、物乞いをしている者もおり、改めて貧困に苦しめられている人は多いんだと、カレンは胸を痛めていた。
(五番街の倉庫は、ここのはずだけれど……)
煉瓦造りの大きな倉庫は、以前は食料などが保管されていたのだろうが、どうやらすべて奪われたのか、誰もおらずがらんとしている。
倉庫の入り口の陰に隠れ物音に耳を済ますも、空っ風が吹いて、地面の落ち葉が飛ぶ音ぐらいしか聞こえない。
カレンは胸ポケットから懐中時計を取り出し時間を確認した。長針がカチリと動き、二十一時丁度を示していた。
「時間ぴったりだ。流石だな、『ミア』」
頭上から偽名を呼ばれ、ハッと息を呑み見上げると、そこには黒いローブに黒いマスクをつけた、黒い影が倉庫の屋根の上に立っていた。
月を背後に服をなびかせて立つ姿は、不気味を通り越していっそ神秘的な雰囲気さえある。
「こんばんは、『死神』さん」
カレンが挨拶をすると、彼は体重を感じさせない身軽さで屋根から地面に飛び降り、カレンの隣に颯爽と立った。
「昼間、執務室で書類を見て動揺しなかったのは、まずは及第点だな」
時間と場所が書かれている指示を見て、背後の部下の看護師たちに異変を悟られなかったのは、上出来だと言わんばかりの態度だ。
しかし、試されていたのかと思うと少し悔しくて、カレンは唇を尖らす。
「あんな伝え方しなくても……」
と異議を申し立てるも、
「お互い多忙だ。
意思疎通も難しいだろうし、無駄に親しくするのも不自然だ」
ヴィンスに一蹴されてしまう。
確かに、宰相と宮廷医は直接的には業務を共にしないし、男女が急に何度も会い出したら怪しいかもしれない。
「確かに、女性に人気なヴィンス宰相と仲良くしたら、私が影で悪口言われちゃうかもしれませんもんね」
仕返しのつもりで少し拗ねた言い方をすると、
「へえ、俺は人気があるのかい。それはいいことを聞いた」
と、本気なのか冗談なのかわからない調子で、ヴィンスは肩をすくめる。
敬語で穏やかな昼の宰相と、軽口を言う夜の『死神』は、同一人物と分かって頭が混乱してしまう。
「もう……今夜はなぜここに集合なんですか?」
いつもはギルドに集まるのに、直接集合した理由をカレンが尋ねると、ヴィンスはすっと目を細めた。
「今日ここで取引が行われるという情報を手に入れた。待ち伏せして、一網打尽にする」
「取引、ですか。また怪しい薬の……」
「いや。今回はもっと重大な案件だ」
ヴィンスが冷静に告げると、カレンは少し怯え息を呑む。
「怖くなったか、お嬢さん。帰るなら今のうちだが」
その様子を見たヴィンスは、と低い声で諭してくる。
「やはり美味しい食事を食べて、温かい部屋でお勉強している方が、君にはお似合いかもしれないよ」
手につけた黒手袋をはめ直しながら、まるで戦力外のように言うものだから、カレンはムキになって言い返した。
「わ、我が家は自慢ではないですか没落貴族です!
三日以上経った硬いパンをミルクに浸して柔らかくして食べてましたし、蝋燭に火をつけて暗い部屋で医学書読み勉強してたんです。
その辺の裕福な貴族と一緒にしないでください」
お嬢さん、と馬鹿にされたのが悔しくて、黒いフードのヴィンスに食ってかかるカレン。
本当に自慢ではないことを畳み掛けるように言うと、一瞬彼は目を丸くして驚いたようだったが、すぐに小さく吹き出した。
「ぷっ、ははっ! それはそれは、頼もしいな」
口元は布で隠れているが、カレンの剣幕に楽しげに笑っているのが伺えた。
「わ、わかってくだされば良いんです……」
急に恥ずかしくなって、カレンはスカーフを被り直し照れてそっぽを向く。
嫌味を言われたのは『死神』だったが、彼は完璧なヴィンス宰相でもあるので、上司の宰相に向かってなんて啖呵を切ったんだと自分でも呆れてしまった。




