第四章 宰相との密約関係の始まり 18.書類に書かれた文章
第四章 宰相との密約関係の始まり
窓から暖かな陽の光が差し、高価な調度品が置かれた部屋の中が明るく照らされる。
カレンは 宮廷医の執務室の椅子に座り、机においた書類に目を落としていた。
傍目に見たら、真面目で真摯な宮廷医の姿――なのだが。
(……バレた、バレちゃったよ、もうおしまいだ)
カレンは、内心落ち込みまくっていた。
夜に外出して暗黒街に行っていることは絶対にバレないよう、変装にも物音にも細心の注意を払っていたし、見張りの門番のシフトも把握し、出入りも完璧にしていたつもりだ。
そして夜の疲れを残して、本業である昼間の宮廷での仕事に支障をきたさないよう、睡眠時間や栄養管理にも気を配っている。
宮廷の人たちとの人間関係も良好で、真面目に淡々と仕事をこなしていたのに。
だから、闇医者として数時間、暗黒街の闇医者をしたって問題ないと思っていたがーー。
まさかヴィンス宰相がすでに暗黒街に潜入していた有名人だったとは。
彼の治療をしたのだから、本人にバレるに決まってるし、本末転倒も甚だしい。
(最悪だ、ヴィンス宰相は夜の顔はお互い他言無用だって言ってたけど、どこまで信用できるのか……)
いつも穏やかで完璧な宰相が見せた、自分を追い詰め有無も言わさなかった、冷酷無慈悲な姿を思い出す。
あんな顔もできるんだと、ヴィンス宰相に畏怖を感じたのは否めない。
しかし彼もまた、『死神』としてあの町の人たちを密かに救っているのだというのも、さらに驚きだった。
(昼も激務なのに、夜も人助をするなんて……なんでなんだろう。
少し怖かったけど……悪い人ではないのかも、しれない)
穏やかで敬語なヴィンス宰相が、砕けた口調で皮肉げに笑う姿。その二面性のギャップには驚きだが、ひどい人ではないのだろうと信じたい。
「あの、カレン先生?」
離れた席に座って事務処理していた部下の看護師が、おずおずと手を挙げていた。
「ええと、私がお渡しした書類、何か間違いがあったでしょうか……?」
その看護師からチェックするための書類に目を通しながら、ヴィンス宰相との昨日の押し問答を思い出し、ムムムと百面相をしていたカレンに、心配そうに看護師が尋ねてきた。
「い、いえ! 書類は何も問題ないです、ありがとうございます!」
書類に不備があったから渋い顔をしていた訳ではないと、カレンは慌ててサインをして看護師へと渡した。
(いけないいけない、しっかりしなきゃ)
ふう、と息をついて、今日の仕事に向き合おうと決める。
コンコン。
しかし次の瞬間、宮廷医の執務室をノックする音。
「カレン先生、こちらにいらっしゃるでしょうか」
扉を開けて入ってきたのは、ちょうど頭がいっぱいだった張本人だ。
「ヴィンス宰相、どうされましたか」
濃紺の宰相の服をなびかせ、入室してきたのはヴィンスだった。
カレンは慌てて立ち上がり、扉の前の彼に駆け寄る。
「今日から宮廷の修繕のために、ひと月ほど職人たちが離宮に常駐いたします。
彼らの健康診断と、体調管理をお願いしたくて参りました」
昨日のやりとりなどなかったかのように、淡々と仕事の受け渡しをするヴィンス宰相。
彼の特徴的な手の甲の血管をちらりと見た後、カレンは頷く。
「こちらがその資料です。全てに目を通しておいてください」
「わかりました」
カレンが頷き、手渡された数枚の書類をさっと黙読する。
職人たちの個人情報や健康診断の詳細などが詳細に書かれており、宰相の生真面目な性格が反映されているなと思っていたが、最後のページをめくると、そこにはたった二行、
『今夜二十一時、五番街倉庫入り口にて待つ。
この紙は燃やすこと』
と彼の字ではっきりと書かれていた。
背後に部下の看護師たちがいる手前、大きな反応をできないカレンが、金髪のポニーテールを揺らし宰相を見上げると、無表情の彼がじっと見つめてきていた。
そして、周囲には決して聞こえぬ微かな声で、
「……遅れないでくれよ、ミア」
と囁くとそっと目を細めて会釈をし、ヴィンス宰相は颯爽と次の仕事のために廊下へと出て行ってしまった。
『お互いの夜の顔は、誰にも他言無用』
交わした密約の重さを、今更ながらカレンは感じていた。




