11.尚書室での邂逅
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日付が変わった夜遅くに宮廷へと密かに戻り、窓から部屋へと入って、泥のように眠った翌日。
宮廷内の尚書室という、貴重な文献や記録が保管された、役職がある者しか入ることができない書庫でカレンは医学書を探していた。
魔獣の毒の種類についてもっと詳しく勉強したかったので、それらが書かれた文献はないかと本棚を探す。
先日の傭兵は運よく手持ちの薬で治すことができたが、魔獣と戦う冒険者が多いギルドでは、幅広い毒に効く薬を持っていた方が良いだろうと思ったのだ。
「ふわーぁ……」
しかし、昼夜共に働く生活が祟り、疲れがたまっていたため、カレンは思わずあくびをしてしまう。
いつもはお付きの看護師や侍女と共に仕事をしているが、今は休憩時間で一人のため、思わず隙が出てしまった。
口を手のひらで覆いながら、目尻に浮かんだ涙を拭う。
(睡眠時間は確保してるけど、さすがに疲れがたまってるのかも……)
と、目当ての医学書を本棚から取り出そうとしたら、ふと横から声がかかった。
「こんにちは、大きなあくびですね」
声の方を向くと、少し離れた本棚の前に、背の高い男性が立ってこちらに挨拶をしてきた。
「わわ、すみません、ヴィンス宰相……!」
誉れ高き宰相のヴィンスだ。宮廷医のカレンにとって、ヴィンスは上司でもある。
彼は奥の扉から宮廷の予算の決算書を取りに来たのだろう。束ねられた書類を手に持ちながら、話しかけてきた。
「カレン先生、お疲れでしょうか?
無理はされないでくださいね」
形の良い眉を下げ、労わるように部下へと声をかけてくれる。
「は、はい。ありがとうございます」
慌てて頭を下げると、手に数冊持っていた分厚い医学書を床へと落としてしまった。
(ああ、もう馬鹿! 宰相の前でなんて情けない……!)
恥ずかしさに顔から火が出そうになりながら、カレンが床に落ちた本を拾うと、音もなく近づいた宰相の大きな手が、医学書を拾い手渡してくれた。
「どうぞ、お気を付けて」
そう言って至近距離でふと笑いかけてくれる顔がとてもかっこよくて、カレンの心臓は高鳴ってしまう。
さすが、宮廷内女性人気ナンバーワンのヴィンス宰相なだけある。
医学書を拾ってくれた宰相は一礼して、目当ての決算書を腕に抱えて証書室を出て行ってしまった。
身を翻し、ヴィンス宰相が尚書室から去って行く時、ほのかな香りが漂ってきた。
それは、髪につける香油の匂いだ。
一瞬で、カレンの頭の中に、月の下で首を傾げて目を細める、『暗黒街のヒーロー』の姿が浮かぶ。
長いまつげ、憂いを含んだ瞳、しゃんと伸びた背筋。
(……ヴィンス宰相と、昨夜の暗黒街の『死神』……。
もしかして似てる……?)
顔の大半を隠している『死神』と、由緒正しく選ばれし人しか着ることができない宰相の制服に身を包んだヴィンス宰相。
全く違う印象なのに、どこか似ているとふと思ってしまった。
カレンに対する態度も、口調も、何もかも違うのに。
(いやいやまさか、完全無欠なヴィンス宰相に限って、そんなわけないか)
真面目で誠実で仕事に厳しいヴィンス宰相が、宮廷内の規則を破るはずがない。
(宮廷を抜け出して、身分を隠して『暗黒街』に行くなんてそんな危なっかしいこと……私ぐらいしかしてないよ)
浮かんだ仮説に頭の中でバツをつけながらも、実際自分はかなり危ない橋を渡っていることを自覚し、カレンはそそくさと医学書を抱えて尚書室の外へと出た。
『あなたが私を助けてくれるの?』
『……どうかな』
少し笑ったような低い声が、まだ鼓膜に残っている気がした。




