第200話 釣りの終わり
「そろそろいい時間だ。陸に戻るか」
時計を確認しながら帝が言った。空はすっかり茜色に染まり始めている。
海面に夕陽が反射し、赤金色の光が揺れていた。
確かにそろそろ戻った方がいいかもしれないな。
「楽しかったよ。たまにはこういうのもいいもんだねぇ」
鬼姫が満足そうに肩を回す。今日は大物も釣り上げていたし、かなり満喫できたんだろう。
「若の姐さんにそう言って貰えると、海に出た甲斐があるってもんですね」
加治木さんが嬉しそうに笑う。
「――おい鯛蔵。その呼び方は」
「ハッ! しまった! 申し訳ありません!」
加治木さんが慌てて頭を下げた。
一瞬だけ鬼姫の空気が鋭くなった気がしたが、すぐにふっと肩の力を抜く。
「ふぅ……まぁ仕方ないね」
どうやら普段は外で使わない呼び方なんだろうな。
若の姐さん、か――。
何となく鬼姫の昔の姿を想像してしまう。
「ハ~ルさん♪」
「わわッ!?」
突然タマが後ろから抱きついてきて思わず変な声が出た。
柔らかい感触と甘い匂いが一気に押し寄せる。
こ、この子、いつも距離感がおかしくないか!?
「もう~頭のことそんなに見て~」
タマが拗ねたように俺の顔を覗き込んでくる。
「言っておくけどぉ~頭には想い人がいるから狙っても無駄なんだよ~?」
「ん? いや、そんなことはないけど――桜ちゃんもいるし、もう結婚してるんじゃ?」
「あ――」
タマの顔が固まった。
そして次の瞬間、露骨に目を逸らす。
「ご、ごめんね! 今のナシで!」
「――あぁ。大丈夫。プライベートを詮索するほど野暮じゃないから」
何か触れてほしくない事情があるんだろう。
誰にでもそういうことはある。
そこを無理に聞くほど空気が読めないつもりはない。
「……今日の釣り、楽しかったね」
タマが一旦俺から離れ、海を見ながらぽつりと呟いた。
夕焼けに照らされた横顔は、いつもの軽い雰囲気と少し違って見える。
なんというか――妙に大人っぽい。
不覚にも少しドキッとしてしまった。
「ワン!」
「ピキィ♪」
「ゴブゥ」
「マァ~♪」
「モグゥ……」
モコたちも満足そうに鳴いていた。
ただモグだけはちょっと眠そうだ。
かなり遊び回っていたからな。
「おっと、大丈夫~?」
タマがモグをひょいっと抱き上げる。
そして優しく頭を撫で始めた。
「モグゥ……♪」
モグが気持ちよさそうに目を細める。
ぬいぐるみ扱いされてる気もするけど、モグ本人が満更でもなさそうだからいいか。
「ハルさん。また遊びに行こうよ」
「あぁ。そうだな。今度は秋月や皆も誘って遊ぶのも楽しそうだ」
「――はぁ……」
何故かタマが盛大にため息を吐いた。
「ハルさんって本当にそういうタイプだよねぇ……」
「え? 何が?」
聞き返したけど、タマは「別にぃ~?」と返してくるだけだった。
なんなんだ一体。
「うん! でも皆で海もいいよね! 夏だし!」
「海か。確かに時期的にも良さそうだな」
七月に入ったばかりだし、海遊びには丁度いい時期かもしれない。
「海いいじゃないか。だったら夏合宿も兼ねて行くとするかい」
鬼姫が面白そうに笑った。
「合宿ぅ!? 頭ぉ~! たまにはそういうの無しでもよくないですかぁ~?」
「いいわけないだろう! 冒険者として鍛錬は欠かせないんだからな!」
「そんなぁ~!」
タマが露骨に嫌そうな声を上げる。
だけどその横で――
「合宿上等! 今年も夜李鬼流ぜ!」
「――風間夫婦に追いつけるよう頑張るッ」
十五夜と竹取はやる気満々だった。
特に十五夜なんて拳を突き上げて完全に気合十分だ。
「おぉ……気合入ってるな」
「毎年かなりハードだからねぇ」
鬼姫が苦笑する。
いや、その様子を見る限り、苦笑で済むレベルじゃない気もするんだが。
「そうだ! だったらハルさんも合宿に参加しましょうよ! それがいいよ!」
「え!? いや、俺が参加したら迷惑だろうし」
「別に構わないよ。うちは来るもの拒まずだからね」
「参加上等!」
「風間の姓を持つ者として歓迎する」
……なんだか俺も参加する流れになってる気がするな。
というか竹取よ。
その“風間夫婦”って実は俺の両親なんだが――まぁ今ここで言う必要もないか。
「皆はどう思う?」
俺が聞くと、モンスターたちが一斉に鳴いた。
「ワン!」
「ピキィ!」
「ゴブッ!」
「マァ!」
「モグゥ……」
どうやら皆も乗り気らしい。
モグは半分寝ながら返事してるけど。
「そうだな。わかった。考えておくよ」
「おう。決まったら早めに連絡頂戴」
鬼姫が笑顔で答える。
すると――タマがまた耳元へ顔を寄せてきた。
「おニューの水着、用意して待ってるからね――♪」
甘い声でそんなことを囁かれた。
おニューの水着。
み、水着って――いやいやいや!
危うく変な想像しかけて慌てて頭を振る。
駄目だ。
タマは本当にペースを乱してくる!
そんな俺を見て、タマはくすくす笑っていた。
その間にも、帝の操縦するDAIKI号はゆっくりと港へ近づいていく。
茜色の海を進むクルーザーを眺めながら、俺は今日一日の出来事を思い返していた。
……うん。かなり騒がしかったけど、最高の休日だったな。




