第199話 この海の主
ドンッ。
再び船体が揺れた。
海面の下を、巨大な影が横切る。
「……来たか」
「本当に主なのか?」
鬼姫が船縁から身を乗り出す。
加治木が海面を睨みながら口を開いた。
「この辺りの釣り人の間じゃ有名な話っすよ。海底を横切る巨大な影を見たとか、仕掛けを丸ごと持っていかれたとか……」
「釣り上げた奴はいないのか?」
「聞いたことないっすね。だから“主”なんて呼ばれてるんす」
その時だった。
「ワン!」
モコが船縁から身を乗り出した。
「ピキィ!」
ラムもぴょんぴょん跳ねている。
どうやら何か見えたらしい。
「おい、どうした?」
俺が海面を覗き込む。
その瞬間――
ぬっ。
水面からゆっくり現れたものを見て、全員が固まった。
巨大な甲羅。
それも、とんでもなく大きい。
「……亀?」
誰かがぽつりと呟いた。
軽トラックほどもありそうな巨大な海亀が、水面に顔を出してこちらを見上げていた。
しばらく互いに見つめ合う。
やがて亀は「ぷはぁ」と息を吐くように泡を浮かべた。
「主って……」
鬼姫が腕を組む。
「亀じゃないか」
「まぁ……亀っすね」
加治木が頭を掻く。
その時だった。
「ワン!」
モコが嬉しそうに鳴いた。
そして次の瞬間。
ぴょんっ。
船縁から海へ飛び込んだ。
「モコ!?」
慌てて声を上げるが、モコは迷いなく泳いでいく。
そのまま――
ぴょん。
巨大な甲羅の上へ飛び乗った。
「ワンワン!」
尻尾を振りながら楽しそうに鳴いている。
「ピキィ!」
ラムも海へ飛び込む。
続いてマールも。
気づけば甲羅の上はモンスターたちの遊び場になっていた。
それでも亀はまったく嫌がる様子がない。
むしろ――
ゆっくりと泳ぎ出した。
「……」
「……」
「主、優しいな」
帝がぽつりと呟く。
甲羅の上でモコがバランスを取りながら立っている。
ラムはぷるぷる震えながら楽しそうだ。
マールはすっかり落ち着いて座り込み、まるで日向ぼっこでもしているようだった。
「可愛い~!」
タマが大興奮で手を振っている。
「モグゥ!」
モグも負けじと手を振った。
巨大な海亀は、まるでそれに応えるようにゆっくり船の周りを一周する。
完全に“海の遊覧船”だ。
「――いいな」
「なんだ十五夜も乗りたいのか?」
「ば、馬鹿野郎! そんなことあるわけ無いだろう!」
帝に聞かれて顔を真っ赤にさせて否定する十五夜。何か見ててほっこりするな。
そんな中。
カチャン。
リールの音が響く。
振り向くと――
ゴブと竹取が並んで釣りを続けていた。
「……」
「……」
サングラス姿の二人は、この状況でもまったく動じていない。
海面に視線を落とし、黙々とルアーを投げている。
「お前ら気にならないのか?」
俺が聞く。
「ゴブ」
ゴブは短く一声。
どうやら「釣りの方が大事」ということらしい。
竹取も静かに頷いた。
「釣りは集中力が大事」
……ストイックすぎる。
「まぁ確かに」
鬼姫が苦笑する。
「海の主より釣果の方が重要ってことかい」
しばらくすると、亀はゆっくり船の横へ戻ってきた。
モコたちがぴょんぴょん船へ帰ってくる。
「ワン!」
満足そうだ。
亀はもう一度こちらを見上げると、そのままゆっくり海へ潜っていった。
巨大な影が海底へと消えていく。
やがて海は再び静かになった。
「……主」
加治木が苦笑する。
「思ってたより平和な存在だったっすね」
「長生きしてる亀なんだろうな」
帝も笑う。
俺は海を見ながら思った。
あの亀。
もしかすると――
この海をずっと見守ってきた、本当の意味での“主”なのかもしれない。
その時だった。
「ワン!」
モコのロッドが大きくしなる。
「お、ヒット!」
再び船の上が賑やかになる。
午後の釣りは、まだまだ続きそうだった。
そして数日後。
この港の釣り人の間で、新しい噂が広まることになる。
――最近、この海の主はモンスターを乗せて海を散歩しているらしい、と。




