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第九十三話 嬉しい怪我

「先輩!? 乙女の部屋になに入って来てるんですか!」

「嫌か?」

「嫌では......ないですけど」

「ならいいな。元気そうでよかった。鈴音さんたちから様子が変って聞いてたから心配したぞ」


 海原は毛布から目だけをだし壁に背中をつけている。

 まるで俺から逃げるように。


「心配おかけしました。でも大丈夫です。元気ですし、先輩が盾になってくれたおかげで傷一つ......ないです」

「なぜそこでどもる」


 そこでどもったらなにかありましたと言っているようなものだし怪我をしたことになる。


「あの嬉しい怪我なので気にしないでください。ほんと、痕にもなりませんし誰でもする怪我なので」


 そこまで言われると逆に気になる。

 海原が座るベッドへと歩いていきそれに対し海原は下がろうと毛布の中で動くが後ろは既に壁。

 すぐに海原を捕まえることが出来た。


「先輩、強引すぎます。女の子に嫌われますよ」

「これで嫌いになるなら既に離れてるだろ。そうじゃなくて取り敢えず顔見せて見ろ」

「ダメです! 顔だけは見せられません!」

「やっぱ怪我してんじゃねぇか! なにもしないから見せろ!」

「え、なにもしてくれないんですか......」

「どうされたいんだ。いや、答えるなだいたい想像つくから」

「めちゃめちゃに♡」


 そう言い合っている間にも海原の抵抗は続く。

 引き剥がすのは一旦諦めて俺は海原を抱きしめた。


「ふぇ!?」

「怪我させたなら悪かった。俺の不注意だ」


 唯一出ている頭を優しく抱きしめると海原の腕が毛布ごと背中に回ってきた。

 そうなると顔はがら空き。改めて海原と目を合わせた。

 顔には大きな傷はなく特に怪我と言えるものはなかった。そこにまず一安心。


「怪我ってなんだ」

「これです」


 観念したのか海原は自分の上唇を指した。

 暗闇で見づらいが、薄ピンク色の唇に赤い筋が入っているように見える。

 

「俺が切ったのか......?」


 恐る恐る聞いてみると海原は首を縦に振った。

 こういう時にどういう反応をしたらいいのか分からない。

 傷つけられたことは多々あるが俺から傷つけたことはほとんど、全くと言っていいレベルでない。

 その傷を俺が見える形で物理的につけてしまったのだ。

 海原海老名という後輩の唇に。


「どうやって切った? 俺が殴ったりしたか?」

「はい?」

「俺が眠ってる間に第二の人格が目覚めて海原を殴ったりとか? 気絶した時に頭が顔に当たったとか、俺が盾になりきれなかったとか!」

「先輩、落ち着いてください」


 熱くなった俺の思考回路を冷やす手。手が離れたと感じた時には柔らかいものに包まれていた。

 ほどよく体温がありずっと抱きしめていたくなる。


「落ち着きましたか?」

「ああだいぶ」

「それは良かったです。このまま答え合わせしますか?」


 俺は黙ってうなづいた。


「わたしは先輩に殴られても頭突きもされていません」

「俺の記憶が正しいならまだ意識がある時には唇の割れもなかったぞ」


 季節は九月の後半で時期的なものと最初っから言われれば納得できたかもしれない。

 海原は制服のスカートのポケットから手鏡を渡してきた。


「先輩の顔見てみてください」


 手鏡を見るといつも通りの冴えない顔があった。

 そして俺は気付いてしまった。

 俺も海原と同じく上唇が切れていることに。通りで起きた時に鉄の味がしたと思った。


「さて、問題です。わたしのこの唇はどうなったでしょう」


 曖昧で敢えて表現を避けるように海原は聞いてきた。

 だがここまでの状況証拠で俺の中での答えは一つに絞られてしまっていた。


「俺の歯が当たったのか」


 歯が唇に当たったとなれば当然他の部分も当たっている。当たってないわけがない。

 片方は意識がないわけだし。


「だから言ったんですよ。嬉しい怪我だと」


 耳元で海原がそう呟いた。


「先輩からキスしてくれるなんて。意識はなかったですけど......わたしのファーストキスを奪ったんですから、責任はとってくださいね?」


 楽しそうに海原が笑い、真面目な声になった。


「わたしだって我慢してるんです。誕生日の日に先輩におでこですけどキスをされ、この前だって......「もう少し待ってくれ」とかお預けされて我慢してるんですよ?」

「それはもうしわけない」

「でも待ちます。先輩が「待ってくれ」というのなら何十年だって待ちます。ですけど、わたしにお預けをさせておきながら他の女の所に言ったらこうですよ?」


 背中にトンと海原の拳が当たった。本来ならトンなんて可愛らしい音ではなくグサッ! とか、ザクッ! という確実になにかを切り裂いたであろう音だと思う。

 一瞬背中がゾワッとしたがこの悪寒こそが海原の愛なのだと思ってしまうようになった。


「大丈夫だ。俺には海原しか見えてないから」

「本当ですかぁ? わたしと同じ胸の大きさの子が現れたらどうするんですか?」

「人を勝手に貧乳好きにするな。お前はそれでいいのか」

「先輩から必要とあれるならどんな扱いでも受け入れます」

「俺は海原海老名という人間の努力や考え方を好いたのであって決して身体目当てではないと言っておく」

「ではわたしとエッチなことしたくないですか?」

「したくないと言えば嘘になる」


 男の性だ。そこは。

 俺が人間の男性という性別である限りそれ目当てじゃないとしても頭の片隅では考えてしまうことではある。

 それを表に出すか出さないかで、アメのようになるかどうかの違いだ。


「ふふっ。待ってますよ? 先輩から意識あるキスをされるときを」


 海原は笑い俺の背中に回した腕に力を込めた。


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