楽譜
職場の先輩に勧められて、音楽を聞きながらその楽譜(フルオーケストラの楽譜)を眺めるということを始めてみた。
まだ二曲しかできてないけどこれとんでもない。他人の書いた文章読むとそのヒトの思考に侵食されることはあるけれど、音楽の場合、書いたヒトの精神状態が入り込んでくるみたい。普通に聞いてるだけだと、あ〜綺麗な音楽だなぁ、くらいにしか思えなかったものが、全部思惑つきで見えてくるのがコワい。
大事なことは二回言う。大事なこと言う前は静かにする。そんななかでもフラグ立てとく。使う楽器は別のものだったりする場合もある。バーンって主題に行くときはみんな一緒だけど、それ終わって引く時は全員一斉だったり三々五々だったり。あっちの楽器に渡して、こっちの旋律から引き取って、隙間でちょっと遊んでみたり、次の旋律をにおわせたり。たぶん楽器の配置(左側の弦楽器とか右側の金管楽器とか)まで計算して作ってあるっぽい。
特にコワいのが印象的な旋律が2つの意味を持たされているって分かった時。たとえば『こうもり』。序曲の中で、たぶん朝の日常生活の様子や夫婦の会話を描いているっぽい旋律が、本編入ると細切れに分解されてそれぞれ全然別の歌になって現出してくる仕掛けみたい。コレ序曲と本編どっち先に書いたとかさっぱりわからないけど、原作の戯曲が存在しててそっからインスピレーション得て6週間で作曲とかいう神展開だから、本編のほうが後付けなんじゃないかなぁと思う。素人考えだけど。
ってことは作曲百年後に振り付けされたバレエ『こうもり』なんかは、その構造を逆手にとってご家庭生活中心の作品に改編してるっぽいから、ある意味シュトラウス先生の意図汲んだプティ先生の洞察からのアノ振り付けなのではないかと。まぁ思い付きだけど。
『タンホイザー序曲』なんか、弦楽器奏者に恨みでもあるのでしょうか的旋律で雰囲気作っといて、言いたいことは全然別物ぶつけてきてドヤ顔。聞いてるこっちが申し訳ありません状態。たぶん最適な日本語は“キチガイ”。でもなぜか主題で泣ける。この世のホントの姿をちら見させられてる感半端ない。ワーグナー先生にはいったいナニが見えていたんだろうか? 譜面見てるとニタニタしながら“またスゲーの思いついちゃった〜”って感情しか読み取れないのは筆者の精神年齢が低いからだと信じて疑わない。
何百年もそのままの状態で受け継がれてきたものってやっぱりスゴくて変態。きっと“え? こんなの簡単じゃん。なんでみんなできないの?”っていう類の天才の作品なんだと思う。半端ない。
しかもこの楽譜(ちっこくて一冊で一曲のってる系のヤツ)を出版してる会社の所在地がウチ(自宅)の裏手徒歩3分とかでマジ半端ない。思わず迷わず通い詰められる系




