102年前の出来事
1995年に起きた阪神・淡路大震災当時の神戸市の、実に10倍の人口を抱える東京都には、未だ数多くの旧耐震基準=既存不適格の木造建築物が残り、それらが密集している木造住宅密集地域=木密の総面積は16,000haに達します。神戸市における「緊急密集住宅市街地」が316haであることからも、その広大さが伺えます。
阪神・淡路大震災の犠牲者の実に77%、4,224人がこうした地区における圧死者だったことを考えますと、その危険度の高さは言うまでもありません。1923年9月1日午前11時58分に発生した大正関東地震、いわゆる関東大震災における圧死者の数は概ね1.5万人。倒壊した木造住宅はそのまま出火の苗床となり、136箇所にわたる同時多発火災は折からの強風に煽られ瞬く間に拡大。延焼40時間以上に及ぶ大火となり、旧東京市の実に43%にあたる3,830haを焼き尽くし、7.5万人あまりの焼死者を出しました。
秒速数百m、摂氏1000度を超える火災旋風が複数発生し、鉄骨造のビルヂングの骨組みを飴細工のように捻じ曲げ、本所(現墨田区南部)の被服廠跡地に避難していた約4万の市⺠をたったの十数分で焼き尽くし、その亡骸を千葉県まで吹き飛ばす猛威を振るいました。
当時観測を続けていた中央気象台(現気象庁)は、地震翌日未明に気温46.4℃を記録したのち、多くの地震記録とともに消失したそうです。その他、行方不明者などを合わせ、東京だけでも実に9.1万人が亡くなりました。旧東京市の人口は250万人でしたので、単純に現代の東京に当てはめると、50万人あまりが亡くなる計算になります。
現代の東京でそんなこと起きるわけがない。確かに新耐震基準の建築物は無事でしょう。中高層のビルや免震・制振構造の建造物であれば揺れそのもので倒壊するようなことはないものと思われます。超高層ビルについては、そうした建造物が巨大地震に遭遇したことがありませんので未知数といえます。さらに言えば、人口1400万人の都市が巨大地震に直撃された事例自体が皆無です。
大正関東地震は、M7.9の本震から3分後のM7.2、さらに5分後のM7.3という3つの巨大地震が連鎖して起きるという多重震源地震でした。神奈川県南部や千葉県南部、そして東京東部の0M地帯において、震度7の激震がおおむね10分程度続いたことになります。
そして、総人口1.2億人を超える巨大国家が、その1割以上の被災者を抱えた事例は、歴史上存在しません。人類史上初となるこの出来事は、今後30年内に70%の確率で起きるとされており、東日本大震災が起きる以前に想定されていた「宮城県沖地震」の20年内発生確率80%以上に匹敵する、「今そこにある危機」です。それに備えて、一体何ができるのか?
考えることだけはタダですので、とりあえず色々考えていこうと思いまーす。




