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幸人君のガラが悪くなってます。
愛ゆえとお目こぼし下さい。
その2人は、前触れもなく突然やってきた。
その時、俺とハルは昼食後のご近所散策に出かけていた。
なかなか昼寝してくれない時の最終手段で、ベビーカーの振動が気持ち良いのか、よく寝てくれるのだ。
だいぶ近所の人と交流も増え、人見知りしてたハルも顔を覚えて愛想を振りまくようになった。
最近では、黙っている時と笑った時のギャップに近所の奥様&おばあさま方はメロメロだ。
最も、ハルの最近のお気に入りは三軒隣の柴犬サンだが。
室内飼いが主流の昨今、お庭に鎮座する立派な番犬様だ。
ちゃんとご主人に紹介してもらってからは、愛想を振ってくれるようになった賢いわんこである。
20分程歩き回り、ハルが眠ったところで家に戻る。
真昼の陽射しはかなり暑く、すでにうっすらと汗をかいている。
ちなみにハルはベビーカーの日除けと保冷剤パットで暑さ対策はバッチリだ。……変わってほしい。
帰ったらシャワーでも浴びようかな。
呑気なことを考えつつ、玄関に入れば見慣れない男女の靴。
………イヤな予感がする。
あえて音を立てず、ソゥッとハルを和室に玄関から直接運ぶ。
出かける前にクーラー入れて布団ひいてたから準備はバッチリだ。
スゥッと汗が引いていく感覚に目を細めると一息つく。
ハルを布団に転がしてお腹にタオルをかけてやりながら、隣のリビングに耳をすます。
襖一枚向こうでは複数の人の気配。
その中に、母さんとは違う、でも聞き覚えのある声を見つけ、ため息が出る。
それは、安堵か落胆からか、はたまた怒りを抑えるためか。
自分の気持ちながら複雑すぎて上手く表すことができない複雑な想いを抱えながら、俺は重い腰を上げ、あえて1度玄関側に戻ってから、リビングのドアを開けた。
「ただいま」
小さくつぶやきながら中に入れば、ソファーに座っていた女性が立ち上がって振り向いた。
肩より少し下で切りそろえられたサラサラの黒髪。同じ色の大きな瞳は長い睫毛に彩られ、少し潤んでみえた。……泣いていたのかもしれない。
シンプルな空色のワンピースは華奢な肢体を引き立て、潤んだ瞳と相まって庇護欲をかき立てた。
「お帰りなさい、幸人。大きく、なったね」
3年ぶりに会う姉貴は、あんまり変わってなかった。
対して、13から16の男なんて1番変化が激しい頃だ。
姉貴の目が驚いたように細められるのを、俺はどこか他人事のような気持ちで眺めていた。
「ハルは?」
一歩、こちらに近づいた姉が尋ねる。
「寝てるから、隣に置いてきた」
姉がいそいそと和室に行こうとするのを、とっさに腕を掴んで阻止する。
そして、どうして止められたのかキョトンとする姉の頬を殴り飛ばした。
バシンッと素晴らしい音がして、不意打ちを食らった姉の体がよろけた。
倒れそうになった体を、姉貴の隣にいた男が支えた。
少し見上げる位置にある真っ黒に日焼けした顔は端正で、そして、ハルの面影があった。
この人が、ハルの父親で間違いないだろう。
切れ長の瞳が、突然の俺の暴挙に驚いたように眇められている。
「………ユキ君、なんで?」
赤くなっている頬をおさえ、姉貴が信じられないものを見るような目を向けてきた。
「なんで?んな事も分かんないのかよ」
思ってたより冷たい声が出て、姉貴が泣きそうな顔になった。
視界の隅で両親が「あ〜あ」って顔してるけど、知った事じゃない。
俺は怒ってんだよ。
「初めまして、幸人といいます」
姉貴を無視して、隣に立つ男ににっこりと笑って見せた。
「あ、どうも」
突然の変化に男が虚をつかれたような顔をしてから、慌てて挨拶をしようとした瞬間の隙をつき、力一杯鳩尾を殴りつけた。
姉貴と違って顔にしなかったのは、社会人が顔に青あざはいろいろまずいだろうという最低限の配慮だ。
「ぐ……うぅ…」
「ユキ君、ひどい!なんてことするのよ!」
腹を抑えうずくまる男に姉貴が悲鳴を上げ、非難する。
「ひどいダァ?あんたたちがハルにした事の方がもっと酷いだろうが。1歳にならない赤ん坊を放り出して、何してんだよ」
「……だって、それは!」
「大人の事情があった、か?知らねぇよ。聞いてないしな。姉貴のやった事は立派なネグレクト。虐待だよ」
甦るのはハルの悲痛な泣き声。寂しそうな後ろ姿。
「小さなハルにとって母親が世界の全てだった。ある日目が覚めたらそれがなくなってたんだ。それが、どんな絶望だったか考えた事あるか?」
淡々と言葉を重ねれば、青い顔をして黙り込み、うつむいた。
「たぶん、父さんも母さんも姉貴を責めない。だから、俺が代わりに言ってやるよ。
姉貴、あんたがやった事は最低だ」
鋭く息を吸い込む音。
耳に……心に痛い言葉だったんたろう。
まして、自分を断罪しているのは今まで1度も逆らった事のない弟だ。
変わり者の姉は、どんな時でも自分を見捨てない家族をとても大切に思ってたのを俺は知ってる。
だから、俺も姉貴が好きだったのだから。
だからこそ、姉貴には気づいて欲しい。
自分のやった事。
どんな理由があっても、やってはいけない事だった。
どうしても、追いかけたいのなら、だまし討ちのように放り投げていくのではなく、ちゃんと時間をかけて、この家と俺たちにハルが慣れてから動けばよかったんだ。
そうすれば、ハルはきっとあんな風に泣かなくても良かった。
辛い夜を、過ごさずにすんだはずだ。
それなのに。
俯く姉の姿が、とても哀しかった。
読んでくださって、ありがとうございました。




