振り返れば奈落
まいちゃんは班長だ。
学校に行く時は、先頭を切って歩くし、角を曲がったらみんながいるか確認をする。
よく寝坊する照美くんには、7時15分になったらマンションのエントランスのインターホンでチャイムを鳴らす。
「照美くん起きとりますか?」
「いつもごめんねぇ。今日もまだ起きとらんのよ。先に行ってもらえんかね?」
「はーい」
いつものことだから、なんにも思わない。
走って追いついてきた照美くんが
「セーフじゃ!」
っていうのはお決まりだ。
前は照美くんが班長で、班長のくせにおくれてきとったからすごくマシになった。
一年生の大輝くんは、目を離すとすぐに道端のもので遊びだす。
電信柱に貼り付けられたチラシを剥がして折り紙にしたり、あかむしを潰して遊ぶのはいいんだけど、川で謎の生き物をかかえて、指を噛まれた時は大変だった。
私だけ付きあって家まで送り届けることになっちゃったんだもん。
班長の仕事は大変なのだ。
ところでいまは月も雲に隠れた真っ暗闇。
こんな時間にわたしの後ろを歩いてくる影はたったひとつ。
仲良くなったばかりのかわいい子。
さっき街頭の下で見つけた真っ白い猫ちゃんだ。
塾帰りの夜道は寂しかったから、とっても嬉しい。
いつも一緒に帰る照美くんは今日は急なお熱でお休みなのだ。
猫ちゃんには私の余ったおやつををときどきくだいて分けてあげながら、なんとか手玉にとっている。
「にゃあ〜ん」
可愛いものだ。
班長の時もついてくるのがみんな猫だったら、もっと楽しいのに。
後ろに並ぶ3匹の大中小の猫ちゃん。
蝶々に戯れたり体をひねってまどろんだりする姿を想像するとついつい口元がゆるんだ。
「まあ、照美くんも嫌いじゃないけどね」
ふふっと笑いながら、ふと前を見ると街灯の下にまた何かがいるようだ。
なにかの袋?いや、また猫かな。
猫ちゃんと列になって近づいてみた。
するとざらざらしたねずみ色の布に包まれたものが電柱の下に置かれていた。
「これ土嚢っていうんだっけ?」
大雨のニュースの時に見たことがある。
大人たちがお店の中に水が入らないようにたくさんたくさん入り口に並べるのだ。
「明日の天気予報は真夏日の快晴って言っとったけどなぁ」
戸惑いながらも、なんとなく気になって、ちょっと立ち止まってみてみる。
すると猫ちゃんが近づいていって、大胆にも前足をのせてふみふみと踏みだした。
すると、それに反応してモゾモゾと動きだし、土嚢袋の口からなにか泥色の顔が這い出てきた。
「いやぁっ」
「にゃあっ」
慌てて駆け出す。
息を切らしながら考えみたものを思い出す。
「なんかぶつぶつした生き物だった。猫や犬じゃない…」
不気味で怖くて、走って、走って、脇目もふらず角を何度も曲がって、足がガクガクした頃にマンションが見えてきた。
そのままエントランスに駆け込むとインターホンに暗証番号『#3333』を急いで押して、マンションの中に入る。
「ここまで来れば…だ、だいじょうぶ…かな…」
からからの喉で唾を飲み込んだ後、やっと振り返ることができた。
なにもおらん。
なんもおらん?
「猫ちゃんは?」
忘れてた。
あんな小さい猫ちゃん大丈夫かな。
泥色の生き物と喧嘩しとったらどうしよう。たしか大輝くんのときはペットショップから逃げ出したフェレットだったよね。
……
「わたしが助けに行かんと」
私は猫ちゃんよりも体が大きいからきっと大丈夫だけど、 猫ちゃんは噛まれたり引っ掻かれたりして怪我してるかもしれない。
私は再びエントランスの自動ドアを抜けて、マンションの外に出た。
遠くからか細く小さな鳴き声が聞こえる。
「にゃぁっ、、、にぃ」
不安そうな消え入りそうな声。
早く行かないと!
さっきの電柱を目指して一つ目の角を走って曲がった。
すると何か踏んでしまったようで、ぬるっと滑って景色がぐるりと回った。
「あぁ、、、いたい」
膝に手をついて起き上がろうとするとなにか生暖かいものでぬるりとした。
どうやら膝やらなにやらを擦りむいたようだ。
手のひらの方には小石がいくつも食い込んで皮膚が逆立っている。地面とぶつかったところが全部がじんじんと痛い。
そして前は真っ暗でよく見えない。
地面にへたり込みながら鞄からスマホを出してライトをつけた。
足元から曲がり角にむけてゆっくりライトを向けると、泥色でゴツゴツしたカエルみたいな怪物がいまにも猫ちゃんを飲み込む真っ最中だった。
「ふゅごぉ」
怪物は光に嫌がって振り返り、飲み込みかけの猫をもごもごと頬張ったまま駆け出していく。
ひたひたと音を立てながらも案外早い。
「だめだめだめっ!」
私はお母さんに言われてつけていた防犯ベルを思い出し、勢いよく引き抜いて、そして、怪物に投げつけた。
「ジリジリジリジリジリジリ………」
あとには虚しくも防犯ベルが転がり音を鳴らし続けるだけで、怪物と猫ちゃんは曲がり角の向こうに消えていき、やがでベルの音にかき消されて猫ちゃんの声は聞こえなくなった。
「はあっ、はぁ、はぁ〜」
痛むからだを無視して考える。
「お母さんを呼ばんと」
スマホのアドレス帳からお母さんを探して、電話をかけてみる。
なかなかでない。
仕方なくラインでメッセージだけでも送ろうと画面を触っていると目の前がなにやら影に覆われて暗くなった。
そして頭にべとっと音をたてて何かがかかった。
「あっ、あめ?」
恐る恐る振り返ると、自分の視界に収まらないほど大きな暗闇が広がっていた。
暗闇の上の方の切れ目から粘っこい液体が私に向かって垂れている。
なかから真っ赤な伸び縮みする生き物が出てきたと思ったら、それは私の首元に巻きついてずるずると暗闇の中に引きずり込まれてしまう。
「いっ…いやあ、おかあさん!!たすけて!」
指先であわててスマホを操作して電話をかけた。
幸いにも今度はすぐにお母さんが電話に出た。
「もしもし?帰りが遅いけど、どうしたん?」
お母さんの声だ!
答えようとしたが、もう口元は生き物だと思ってた大きなべろに覆われ、スマホからも手を離してしまっていた。
猫ちゃんを食べてしまった怪物とは比べ物にならないくらい大きいバケモノ。
洞窟のような口の中しか見ていないけれど、私はきっと食べられてい最中にいるのだ。
「ジリジリ音しよるけど何の音?何かあったん?どこおるん?」
答えることもできず、息もできず、体はどんどん締め付けられていき、頭が焼けるように痛い。
やがて洞窟は閉じられ、私は触覚以外のすべての感覚を取れあげられた。
バケモノの鼓動をどくどくと感じながら、猫ちゃんのか細い声を思い出し、自分の行く末に絶望しつつ、私は奈落の奥底に沈んでいくのだった。




