第54話
吉井理子物語 第54話
二死。
バッターボックスへ向かう三番・佐々木洋平は、静かだった。
山川の三振を、ベンチから一部始終見ていた男だ。理子の新フォーム、超スローカーブの使い方、そして最後の「名前のない球」——すべてを、冷静な目で記録していたはずだ。
「……嫌な打者じゃね」
理子は小さく呟いた。
力でねじ伏せる山川とは違う。佐々木洋平は「守備の名手」であり、打撃でも「嫌らしい繋ぎ」を見せるタイプだ。長打は狙わない。ただ、確実に塁に出ることだけを考えている。
そういう打者が、一番厄介だった。
實森がサインを出す。外角低め、シンカー。
理子は頷いた。
初球。
新フォームから放たれたシンカーが、外角の低めへと沈んでいく。
佐々木は動じない。ハーフスイングで、バットの先にかすらせる。ファウル。
(……やっぱりな。芯は外れとるのに、バットに当ててきた)
二球目。內角シュート。
佐々木はギリギリまで引きつけ、詰まりながらも三塁側へファウル。
(当てることだけ考えとる。ゾーンを絞らず、来た球に合わせてくる。……山川より、よっぽど嫌らしい)
理子の額に、汗が滲む。
球数を稼がれている。疲れさせる——細田亜紀子と同じ戦略だ。
實森がタイムを要求した。
「理子、奴は長打を狙っとらん。粘って四球を選ぶか、ポテンに落とすかのどっちかじゃ」
「わかっとるわ」
「じゃあ——」
「わかっとるって言うとるじゃろ」
理子は實森を遮り、マウンドの土を踏み固めた。
(佐々木。あんたは「当てること」に徹しとる。じゃあ、当てさせてやるわ。……どこに飛ぶかは、わしが決めるけぇ)
三球目。
理子は思い切って高めに投じた。
アンダースローの高め——打者からすれば、最も「見やすい」球のはずだ。
佐々木のバットが、迷わず出た。
狙い通りだった。
打球が高く舞い上がる。
レフトの鈴木明美が、数歩下がって定位置で待つ。
――パシッ。
平凡な左飛。
「チェンジ!」
三者凡退。
理子はグラブを叩き、ベンチへ向かった。
すれ違いざま、黒木が短く言った。
「……嫌らしい打者を、あっさり料理しやがって」
「嫌らしい打者には、考えさせんのが一番じゃけぇ」
理子はそれだけ言って、水を一口飲んだ。
右腕に、まだ余力がある。
西本監督が、スコアブックに何かを書き込んでいた。
その手が、一瞬だけ止まった。




