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吉井理子物語  作者: 水前寺鯉太郎


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第47話

吉井理子物語 第47話


 九回表、全セ・リーグの打線がついに牙を剥いた。

 岡田監督が仕掛けた「代走攻勢」と、渡会、宮本による連打で二点を奪い、試合は二対三。全セが逆転に成功した。

「……ちっ、一瞬の隙じゃね。全セの連中、お祭りでも勝ちへの執着だけは本物か」

 ベンチの理子が苦々しく呟く中、スタジアムに静寂が訪れる。

 九回裏。全セの勝利を確実にするため、マウンドには再び烏丸健二が送られた。

 だが、今の烏丸は七回の時とは明らかに違っていた。

 背負っているのは「勝利」の二文字。その重圧を、彼は自らの力へと変換していた。

「……おい、さっきより球筋が光っとるぞ」

 理子が身を乗り出した。

 烏丸のフォーシームが、百三十一キロから一気に百四十一キロへと跳ね上がる。数字以上に、ベース板の上でさらに加速するような不気味な伸び。全パの強打者たちが、その「重すぎる剛速球」の前に、まるで落ち葉のようにバットを折られていく。

 二死。ランナーなし。

 全セの勝利まで、あと一人。

 打席に入るのは、鳥居來樹だった。

「鳥居さん……」

 理子が祈るように見つめる中、マウンドの烏丸と打席の鳥居の間で、奇妙な共鳴が起きた。

 烏丸の初球。百四十一キロのフォーシーム。

 鳥居はピクリとも動かない。

「……ええ球じゃ。清掃員の仕事にしては、綺麗すぎるわ」

 鳥居が小さく呟き、二球目を迎える。

 八十八キロのスローカーブ。百四十キロ台の「重戦車」のような直球の後に、空に溶けるような魔球が襲いかかる。

 鳥居のバットが空を切った。追い込まれた。

「……終わらせるわ。グラウンドは、綺麗な方がええ」

 烏丸が初めて口を開いた。

 運命の三球目。百十一キロのチェンジアップ。

 理子の「超スローカーブ」とは違う。烏丸のそれは、打者の目の前で急激に重力を増し、地底へと沈み込むような「重い失速」だった。

「ストライク! バッターアウト!!」

 鳥居のバットが、宙を舞った。

 試合終了。二対三。

 オールスター第一戦は、名もなき「掃除屋」のセーブによって幕を閉じた。

 理子は、ベンチを去る烏丸の背中をいつまでも眺めていた。

「……球速じゃない」

 一拍置く。

「自分の信念を球に込めることができれば、あんな真似ができるんか」

 メガネの奥の瞳が、静かに細くなった。

 敗北の悔しさよりも、新たな何かに触れた熱が、右肩の痛みよりも深いところで燃えていた。

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