第46話
吉井理子物語 第46話
五回裏、中田翔吾のしぶとい適時打により、全パ・リーグが二対〇とリードを広げた。
試合は膠着状態のまま、七回を迎える。祭りの熱気も中盤を過ぎ、観客が次なるスターの登場を待ちわびる中——全セのベンチから、「異質な男」が這い出してきた。
背番号なし。白地のユニフォームに、どこか生活感の漂う佇まい。
『全セ・リーグ、ピッチャーに代わりまして――烏丸健二。入団テスト枠としての登板となります』
「……烏丸? 誰や、あの清掃員みたいな男は」
ベンチで理子が目を細めた。
実際に烏丸健二は、球場の清掃員として働いていた男だ。だが、その手にはモップではなく白球が握られている。岡田監督が「おもろい奴がおるんや。そらそうよ、試してみる価値はある」と独断でマウンドに送り込んだ、影の刺客だった。
烏丸は無表情にマウンドの土をならした。その周囲には、不気味なほどの「静寂」が漂っている。
バッターボックスには、前の打席で打点を挙げた中田翔吾。
鼻で笑い、威嚇するようにバットを構えた。だがその瞬間、身体が急激に重くなるような錯覚に陥る。
烏丸が初球を投じた。
「……なんじゃあ、あのスローボールは」
理子が声を漏らした。球速、わずか百三十一キロ。現代野球では「遅い」と切り捨てられるスピード。だが、中田のバットがその白球を捉えた瞬間、スタジアムに鈍く重苦しい音が響いた。
――ドォォン!!
バットが真っ二つに折れ、ボールは力なく投手前へ転がった。
「なっ……!? 重い……鉄球でも打ったみたいだ」
中田が痺れた手を振りながら絶句する。
続く九番・山崎幸太郎。烏丸は精密機械のような制球力で、膝元に七十五キロのパームボールを落とし、さらに百十一キロのチェンジアップで完全にタイミングを外してみせた。
「ストライク! バッターアウト!!」
理子はベンチで立ち上がり、食い入るようにマウンドを見つめた。
「……スピードじゃない。球の『重さ』だけで抑えとるんか」
一拍置く。
「あの男、わしとは正反対のやり方で、打者を絶望させとるわい」




