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吉井理子物語  作者: 水前寺鯉太郎


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第37話

吉井理子物語 第37話


 八回裏、理子の「禁断のスライダー」が實森のミットに突き刺さった。

 ――バシィィン!!

 乾いた、しかし重厚な破裂音が、静まり返ったスタジアムに木霊する。捕球した實森の左手が、痺れるような熱を持って震えていた。

(……なんじゃ、この球は。さっきまでのは何だったんや)

 ミットの中で白球を握り直し、マウンドの理子を見据える。

 理子のメガネの奥の瞳は、もう虫たちを捉えていない。ただ「敵」だけを見つめている。球威は、恐怖を克服したことで以前のそれを遥かに凌駕していた。

(理子、ええぞ……これなら、絶対勝てる)

 實森は、サインを出す指先に力を込めた。

 九回裏。六対四、二点差。

 マリーンシーガルズの攻撃は、五番・山田和利から始まった。

「お嬢があれだけ張ったんだ。恥ずかしい真似はできねぇな」

 ベテランの山田は、スピナーズの守護神・毒島の百六十五キロを真っ向から迎え撃った。最短距離の最短スイングで叩いた打球が、鋭いライナーとなって右前へ抜ける。無死一塁。

 六番・實森ゆか。

 理子の相棒として、今の「熱」を誰よりも近くで感じていた彼女に、迷いはなかった。

「わしらが、このクソ虫どもの糸を切り裂いてやるわ!」

 初球のシュートに食らいつき、執念で三遊間を破る。無死一、二塁。

 ボルテージが最高潮に達する中、打席には大竹野。

 二軍から上がってきたばかりの空腹な野獣は、秋田の異能を恐れるどころか、獲物を見る目で毒島を睨んでいた。渾身のカーブに、バットを投げ出すようにして食らいつく。打球がふらふらと舞い上がり、絶妙な位置に落ちた。

 無死満塁。

 幕張の夜空に、地鳴りのような歓声が響き渡る。

 スピナーズのベンチで、小笠原りこの表情が、初めて崩れた。

「……嘘でしょ。なんで、私の虫たちが……」

 理太郎も言葉を失い、真っ青な顔でグラウンドを見つめている。

 理子はネクストバッターズサークルで、静かに自分の出番を待っていた。

 羽音は、もう聞こえない。

 聞こえるのは、高鳴る自分の鼓動と、勝利を信じて叫ぶ仲間の声だけだった。

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