第26話
吉井理子物語 第26話
二〇三〇年四月十五日。
北の大地に新しく築かれたスタジアムの夜は、四月半ばとは思えない冷気を含んでいた。マウンドに立つ者が吐く息は白く、スタンドを埋める観客は厚手のコートに身を包んでいる。
この日、対するはマリーンシーガルズ。
そしてフライヤーズの先発マウンドに立つのは――球界の至宝、ファルード有志。
一回表。ファルードがマウンドに上がった瞬間、スタジアムの空気がピンと張り詰めた。
その右腕から放たれるのは、「七色の暴力」とでも呼ぶしかない代物だ。加藤、藤田といったシーガルズの打者たちは、見たこともない軌道で曲がり落ちるナックルカーブに腰を砕かれ、火を噴くようなフォーシームに差し込まれる。スライダー、スプリット、カットボール。すべてが決め球のクオリティ。シーガルナインは霧の中を彷徨うように、手も足も出ないままベンチへ引き上げた。
「……化け物じゃね」
出番を待つ理子は、グラブを静かに叩きながら呟いた。
一回裏。今度は理子がマウンドへ向かう。
フライヤーズの応援歌が広大なドーム内に反響する。だが、彼女の心は凪のように静かだった。
(あのファルードが相手なら、一分も油断はできん。……一人ずつ、毒を盛ってやるけぇ)
一番・大沢友貴哉。フライヤーズが誇る俊足巧打のリードオフマンが、低く構える。
理子は大きく身体を沈め、右腕を地面スレスレまで振り下ろした。
一球目。内角ギリギリ、胸元へ鋭く食い込むカットボール。
――バシッ!
大沢のバットが空を切る。続く球、浮き上がるストレートで追い込み、最後は外角のカットボールで沈めた。空振り三振。
広島、大阪と修羅場を潜り抜けてきた理子のボールには、もう「弱小投手」の影はなかった。
二番・佐藤寿也、三番・新道豊に対しても、理子は揺れない。打者の思考を読み、その裏をかく。派手さはない。ただ確実に、凡打の山を築き上げる。
一回裏、無失点。
スコアボードに、冷徹な「0」が刻まれた。
圧倒的な才能でねじ伏せるファルード。
執念と洞察で、地を這うように抑え込む理子。
北の大地を舞台にした極限の投手戦が、幕を開けた。




