第25話
吉井理子物語 第25話
五回裏、一死満塁、一対一の同点。
そこから試合は、誰も予想しなかった「泥沼の乱打戦」へと引きずり込まれた。
「いてまえ打線」が火を噴けば、シーガルズも意地という名の毒を撒いて食らいつく。逆転されては逆転し返し、リードを奪っては奪い返される。ドームの熱気は、勝利への渇望というより、生き残るための執念によって沸騰していた。
「……なんじゃ、この泥試合は」
ベンチに引き上げた理子が、吐き捨てるように呟く。
八対八。
スコアボードには、美しさの欠片もない数字が並んでいた。両チーム合わせて二十安打を超える消耗戦。シーガルズの選手たちのユニフォームは、人工芝の緑と泥で汚れきっていた。
九回表、マリーンシーガルズの攻撃。
一死から、打席に三番・山崎幸太郎が立った。先の回で痛恨の併殺打に倒れ、理子の鋭い視線に晒されていた男だ。
「……いつまでも、足引っぱってられるかよ」
山崎は、身体を千切れんばかりにひねって振り抜いた。打球が右中間を真っ二つに割り、フェンスへ到達する。タイムリー二塁打。
九対八。均衡が破れた。
だが、それだけでは終わらなかった。
続く四番・鳥居來樹。沈黙を守り続けてきたベテランが、ゆっくりと、しかし確かな殺気を帯びて打席に入る。
相手投手の初球、甘く入ったスライダー。
鳥居のバットが最短距離でそれを捕らえた。
――ッガァァン!
今日一番の快音が、ドームの天井を貫いた。打球が一直線にレフトスタンドへ突き刺さる。
二ランホームラン。十対八。
ベンチが咆哮した。理子も、小さく、だが力強く拳を握る。
九回裏。
「……あとは、わしが締めるだけじゃ」
理子は再びマウンドへ向かった。
二点リード。だが相手は一撃で試合をひっくり返す打線だ。赤いメガホンが、ドームを揺らして打ち鳴らされる。
理子は身体を深く沈めた。
先頭打者を内角攻めで三振。続く打者を地を這うフォークで引っかけさせ、内野ゴロ。そして最後の一人。
百四十キロの「浮き上がる」ストレートが、バットの上を通過した。
ミットが鳴る。審判の拳が上がる。
試合終了。十対八。
整列へ向かう理子の横顔に、勝利の喜びはなかった。あるのは、過酷な戦いを終えたプロの、冷徹な静寂だけだ。
「……たいぎぃのぉ」
一拍置いて、小さく続ける。
「でも、勝ちは勝ちじゃ」




