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吉井理子物語  作者: 水前寺鯉太郎


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第21話

吉井理子物語 第21話


――黄金の暴君、いてまえの咆哮

 四月七日、広島。

 三連戦の最終日。吉井理子はマウンドにはいなかったが、ベンチの最前列で声を枯らしていた。

 九回裏、二死満塁。守護神・津田恒斗の百六十キロを、不器用なベテラン・鳥居が「マブイ」で押し返した。白球がライト線を破った瞬間、理子の視界は真っ白になった。

 

 狂喜、嗚咽、そして安堵。

 千葉マリーンシーガルズ、今季初勝利。

 その夜、理子が廿日市の実家で見上げた星空は、幕張の空よりも少しだけ明るく見えた。だが、勝利の美酒に浸る時間は、プロの世界には用意されていない。

 四月九日、午前。

 理子は新幹線「のぞみ」の窓から、流れていく瀬戸内の景色を眺めていた。

 隣の席では、用具係の定岡が、理子の予備グラブに特殊な「重油系オイル」を塗り込んでいた。

「……大阪の芝は、広島より硬いですよ、吉井さん」

 定岡が、窓の外を見ずに呟く。

「レッドブルズの本拠地は、二〇三〇年に改修された最新の人工芝だ。打球の速度が、生身の反応速度を超えてくる。……奴らはそれを、狙っている」

「……たいぎぃのぉ。あんなキンキラキンの街で野球せんでもええのに」

 理子は首元を緩めた。手元には、大阪レッドブルズのデータ。

 昨シーズン二位。だが、実質的な「破壊力」ではリーグ一位との呼び声高い、黄金の暴君たち。

 大阪。そこは、理子が育った広島の「泥臭い執念」とは正反対の、圧倒的な「個の力」が支配する街だった。

 

 新大阪駅に降り立った瞬間、理子を包み込んだのは、暴力的なまでの色彩と喧騒だった。

 道頓堀の巨大なデジタル看板からは、レッドブルズの四番・ブーマーの義体化された筋肉を強調する広告が流れている。街全体が、彼らの「勝利」を確信しているかのような、尊大な熱気に満ちていた。

 バスが球場に到着する。

 そこには、昨今の「カラクリ・ブーム」を象徴するような、ネオン煌めく巨大なドームがそびえ立っていた。

 大阪レッドブルズ。

 彼らの代名詞は、二〇世紀の伝説を二〇三〇年の技術で再構築した「新生・いてまえ打線」。

「……えげつない並びじゃね、ほんまに」

 理子は三塁側ベンチから、相手の練習風景を冷徹に観察した。

 一番・吉野正尚。驚異的な体幹バランスで、どんな悪球も安打に変える安打製造機。

 二番・ブーマー。三年前、打撃特化型の人工筋肉カラクリ・マッスルを導入し、推定飛距離二百メートルを記録した規格外の怪人。

 さらに三番・オマリー、四番・李太陽……。

 彼らのスイングが空気を切り裂くたびに、ドーム内に「バォォォン!」という、戦闘機の離陸音のような衝撃音が響き渡る。

 

「吉井。……見てるか、あいつらのスイングを」

 

 背後から声をかけたのは、今回の先発を任された黒木大地だった。

 広島戦での負傷から、最新の「細胞活性化カプセル」で無理やり肘を繋ぎ合わせた男の顔は、死人のように白い。

「あいつらは、一打席で投手の選手生命を終わらせにくる。……『いてまえ』ってのは、ただの掛け声じゃない。相手のマブイを食い尽くせ、っていう呪いだよ」

「……黒木さん。あんた、またそんな縁起の悪いこと言うて。……食われる前に、こっちが毒を盛ればええだけの話ですよ」

 理子はベンチの奥、黄金色のネオンが届かない暗がりに移動し、一本のタバコを取り出した。

 大阪紅牛会。ライトスタンドを埋め尽くす彼らの応援団が、トランペットではなく、巨大な重低音スピーカーで「鎮魂歌」のような応援歌を鳴らし始める。

 ドーム全体が、音の暴力で震えていた。

「……眩しすぎて、ヘドが出るわ」

 理子は、指先の感覚を確かめるように、定岡が磨き上げたグラブの革を強く擦った。

 広島の「赤」が燃える炎なら、大阪の「金」はすべてを焼き尽くすいかづちだ。

 

 黒木がマウンドへ向かう。

 一塁側スタンドから上がる、圧倒的な圧力を伴った「いてまえ」コール。

 その最前列で、理子はメガネを押し上げ、相手の打線を一人ずつ「処刑リスト」に書き加えていく。

「……いてまえ、ね。……じゃあ、こっちは『消えてまえ』で行かせてもらいましょうか」

 理子の瞳に、大阪のネオンを反射する、冷徹な殺気が宿る。

 

 二〇三〇年、四月九日。

 黄金のドーム。

 吉井理子の「毒」が、大阪の夜を真っ黒に染め上げる準備を整えていた。

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